見出し画像

no more words 〜勝者の限界と敗者だから出来ること〜

2023年最後の浜崎あゆみカウントダウンライブ。
最序盤でno more wordsを歌ってくれた。

♪もしもこの世界が勝者と敗者との
ふたつきりにわかれるなら
ああ僕は敗者でいい
いつだって敗者でいたいんだ

この歌詞を聞いて大学1年の時のことを思い出す。
明るくてリーダー気質があり、周りの女子からは
割と信頼度が高かったサークル同期。
ただ、傷を負ってきたことが無いんだろうな、と感じていた人。
同期の男子何人かでいる時に、あゆが大好きなことを知っている僕の前で
彼は笑いながら言った。
“あゆ、いいよね。俺も歌詞大好きだもん。ただあれだけ分かんないんだよね。敗者の方がいいってやつ。だって勝者の方がいいじゃん。”

確かにこの曲はアルバム曲だったし、パッとこの歌詞が出てくるってことは彼なりにはあゆを好きだったんだろう。
ただ、このセリフを笑いながら僕の前で言えてしまう奴に
あゆの歌詞の何が分かるんだろう、と思ったと同時に、
そういう機微を感じ取るためにこそ、僕達は敗者でいたいんだ、
まさにこの歌詞のことを分かっていない証拠だな、と感じたものである。


年末はここまでのことだけを書いて1記事にしようと思っていたが、
年が明けてもう1つ似たことを思い出した。
僕達は大学生の時、池袋子ども会という、
地域の小学生の子達と遊ぶサークルに所属していた。
当時はまだネット上には“掲示板”と呼ばれるものが普通にあった。
個人が管理(ではないものもあったが。)して、
色々な人がハンドルネームで各スレッドに自由に書き込めるものである。

先輩が管理している掲示板にちょっとおかしな投稿があった。
いくつかのハンドルネームを使い分けているものの明らかに同一人物が、
生きるのが辛いというSOSを発したり、そのSOSを発している人を擁護したり、叩いたり、そんな投稿。
どうやら子ども会を卒業した中1の子だということも分かった。
僕は当時、まだ痛みにとても鋭い時期だったから、
この子は本気でSOSを発している、そう感じた。

ところがその先輩が、
“お前全部○○(その子の本名)だろ。掲示板荒らすんじゃねーよ。”
みたいな書き込みをしていた。
他の先輩も、○○気持ち悪いよな、
みたいなことを言っていたのを覚えている。

ああ、これが痛みを負ったことのない人間の限界か、と。
その書き込みを見て、僕は面識のなかったその子にメールをした。
SOSを発しているように見えるけど大丈夫?と。

その子はやはり、いじめられて辛い、
誰かに助けてほしかった、とのことだった。
面識もないまましばらくやり取りをして、
少し回復してくれたように見えた。

その子からだけ、今でも年賀状が届く。
今年も年賀状をくれてそのことを思い出した。
その子から来る年賀状は、
ああ、僕は今までちゃんと正しく生きてこられたんだな、と
僕を支えてくれる。


本気で死にたいと願ったことがある人間にしか見えない世界が
あると思っている。
そういう人間だからこそ救える心があると信じている。
だから僕達は、いつだって敗者でいたいんだ。



今まさに生きることに苦しんでいる人は、そこを抜けたら、
そんなあなただからこそ産み出せる価値があるということを、
心の支えの一つにしてくれれば幸いである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?