コミュ障過ぎて苦しいという話
色々と自分がコミュ障過ぎて苦しいという話。
色々あるから箇条書きに近い形になるかもしれない。
文字にすると、分かってるならやめればいいじゃない、
という話ばかりなのだが、その行動をしてしまう時は
そこまで考えているわけではなく、
オートでその行動を取る癖が完全についてしまっている。
そして後で自己嫌悪、のループ。
・幸い仲良くさせてもらっている人は大勢いるが、
ほぼ全ての人に対して、自分からは相手のこと5番目くらいに仲良いが、
相手からは自分のこと10番目くらいに仲良い、
のような関係性と思っている。
お互いにお互いが1番という関係性を誰かと築くことについて理解出来たら
この感覚はまた薄れていくのかな。
家族が機能している人はその点羨ましい。
・SNSなかなか自分からフォロー出来ない
例えば人狼ゲームで同村した人をフォローするか否かという話。
自分から誰かをフォローする以上は、同じタイミングで同村した人
全員をフォローしないと、たまたま見つけた人だけフォローするのは
失礼じゃないか、と思ってしまってなかなか出来ない。
(もちろん、この人はあの人のことはフォローしてるのに自分のことはフォローしてくれてない!という所まで把握されるほど自分のことを他人は見ていない、ということを頭では分かっている。)
じゃあ全員同時に見つけたらフォローするのか、というと、
それはそれでまた、自分からフォローする以上はその人のツイート、
人となりなどある程度把握しないと失礼である、と思ってしまうので、
一気に大勢フォローするとそれが出来ないからこれもなかなか出来ない。
・SNSの誕生日おめでとうツイート
気付いた人にはおめでとうと言えばいいだけなのだが、
全員分気付ける自信が無い以上、この人にはおめでとう言ってたのに
自分には無いんだ、と思わせてしまうことを考えてしまい
なかなか言えない。
基本ベース、プラスを産むことよりマイナスを産まないことを重視しがち。
いや、それ自体は悪いことではないが、その過敏さが異常。
あと、小さな努力で人からの好感度を稼ぐべきではない、というような
自分への縛りもある気がする。
飲み会の時などは、自分だけシラフで“いさせてもらっている”という立場で
人より周りがよく見えるのだから、その優越的立場で好感度を稼ぐなど
まかりならん、などと強く思っていた。
大学のサークルの飲み会の後、公園にみんなでいる時に雨が降ってきて
自腹で傘を何本か買って、なんか配ってるみたいです、などと言って
周りの人に渡したりなどしてた。
(なんでなんだろうな・・・。
まあサークルの人達のことがとても大事だったんだろうな。一方的に。)
周りの酔っ払いは、その僕が配った傘を持っていって、
俺が君を傘に入れてあげるよ、みたいな立ち回りもしてて、
人間ってやだなって思ったものである。
・敬語崩せない
明らかに相手が歩み寄りでため口を使ってくれた!
と理解出来た時でも自分の方の敬語を崩せず、
人との距離を縮めることが出来ない。
とあるプロゲーマーの方と話してて、そこまでお互い敬語だったのに、
おお、じゃあ同い年じゃん!って
明らかに仲良くなりに来てくれたタイミングでそれに応えられなかったのはずっと後悔している。
敬語崩せない僕に対して、ああ、敬語崩せないタイプの人か、と理解して
向こうも敬語に戻してくれたり、気を使わせてしかいない。
その人に限らずそういうことは多々ある。
子どもとは仲良くなりやすいのは、僕が最初から敬語を使っていないから
なのかもしれない。
・大勢いる場での立ち回りが下手過ぎる
大勢でどこかへ向かって道を歩いていると、自然と2~3人の塊が
いくつか出来る形になりながら目的地に向かうことになる。
その際、特定の誰かと話すことが基本出来ない。
その人は僕よりも僕以外の誰かと話したいだろうしな、と思ってしまう。
(1番目の項目が自分の根底にあるからなんだろう。)
かといってずっと一人でいると、
一人でいる人を見つけて話しかけてくれる優しい人に
気を使わせてしまうことも多々あるので、
そういう人にバレそうな時はスマホをいじったり、
少しのタイミングだけ近くの輪に加わったり、など
我ながらぼっちになるための立ち回りが極まり過ぎている。
古くは大学のサークルの飲み会の時も、数十人規模の飲み会で
数時間にわたり、ちゃんとその場にいながらにして誰とも話さないという
立ち回りをこなしていた。忍者かよ。
それでいて周りをめちゃくちゃ気にしているから
(周り気にしていないと誰とも話さない立ち回り出来ないしね。)
誰かが飲み物をこぼすなどした際にだけかけつける。もはやホラーである。
近くでめちゃくちゃ入りたい話題があっても基本我慢する。
今まで黙って座ってたやつが突然話題に入ってきたら気持ち悪いだろ?
ちなみに僕は逆の立場なら気持ち悪いとは思わない。
どないやねん。
そもそも少人数しかいない時は全然普通に話せるのにね。
不思議である。
めちゃくちゃ気の置けないグループであってすら
大人数であったらオートで発動するスキル。
そのくせ、後で独りぼっちだったことに大いに凹む。
自分はどうしたいのか自分でも分からない。
あと人狼ゲーム後の感想戦なども自分の思いを伝えるカットインが
下手くそ過ぎる。先日、各自思い思いに村中の面白話を語る中、
自分もちょっとした面白話を語ろうとして、そういえばさっき、
と3回言いかけてタイミング間違え続け諦めた。
人狼ゲーム中、マダミス中、ボドゲ中、とかだと大勢でも平気なんだけどね。
ゲーム内でしか生きられないのか、と・・・。
自分が子どもの頃は大人がこんなことで悩んでいるだなんて
全く思ってもみなかったな。
成長が無さ過ぎて恥ずかしい。
あと、自分の良い点?なのかな。
普段は上記に書いたようなことで自分が凹んでいる、ということ自体を
忘れてるんだ。例えば大人数の立ち回りをした時に、
人の誕生日ツイート見た時に、ああ、自分そうだった、と思い出して凹む。
(だから覚えている今のうちに文字にするか、と思い立った所がある。)
他にも普段人生で困ってることを、基本的に普段忘れている。
なんなら思い出せない。
多分、今思い出せないけど実は人生の特定の場面で困っていることが
たくさんあったはずなんだ。
だから何とか生きていられるのかもしれないし、
だから成長が無いのかもしれない。
(塾にいる時は仕事の内容思い出せても
塾にいない時は思い出せなかったり、
逆に塾にいる時は家の用事を思い出せなかったり、と
場面場面で記憶が途切れがち。
違うファイルを取り出して生きている感覚?)