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自己憐憫の気持ち良さに負けない

ともするとすぐ自己憐憫に陥りがちである。
例えば直近だと、

会社にサイレントで給与を減らされ生活が苦しくなったことから
株をはじめ、20年我慢して我慢して生活して貯めてきた貯金を全て失った。
日の目を浴びにくいような仕事ばかりコツコツ真面目に長年取り組んできても会社からは一向に評価されず、会社のためを思って言いたくもない苦言を呈したり、と辛いことも多かった中、結局された仕打ちがこれ。

といった具合に。
もう本当にどうなってるんだろうと思うくらい報われない人生過ぎて、辛かったね、頑張ったね、と共感してもらいたい、救ってもらいたい、という気持ちが溢れているのは事実。ただ、そうやって共感してもらっても、そんなことするなんて酷い!と一緒に憤ってもらっても、結局
“自分が不幸のままである”
ことは一切変わらない。
これが自己憐憫や被害者ポジションの罠である。

自己憐憫に浸ったり、被害者ポジションに自分を置くのには、
“不幸で居続ける”
必要があるから良くないことのはずなのに、
それが“楽”なのが大きな罠である。
人間は例えそこが不幸な場所であろうと、
“同じ環境に身を置き続ける”ことを“楽”だと思ってしまいがちである。

だからこそそれに負けない。負けたくない。
自己憐憫に浸っている暇があったら、株を上達して負けを取り戻して勝ちに転じて人生逆転したい。
なんなら、会社にあまり評価してもらえなかったからこそ、今の幸せな人生があるんだ、と思えるように。

結局これが僕の人生か、ハハッ、結局は小学生の時点で僕の人生は終わり。そこからは負けてばかりの人生だったね、と株をやめるのも、人生そのものをやめるのも、それが一番安易な道ではあるが、
まだまだ自分の人生を諦めるわけにはいかない。
まだまだ負けられない。

自分の行動力の無さには辟易するけど、
自分の才能は信じて疑わない。
結局僕はスーパーポジティブなのである。

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