#23 メルカリは商売のファーストステップ?需要・供給の関係性とマーケット感覚
メルカリというフリマサービスをもはや知らない人はいないだろうが、僕も2022年から遅ればせながらこのサービスを使い始めたところである。
実はまだメルカリでモノを買ったことはないのだが、家にある不用なモノをいくつか出品し「えっ、こんなものがこんな値段で?」とか「あ〜、もうちょっと高くしとけば良かった」みたいな経験を積み重ねているところである。
今回は、メルカリを使ってみての感想や、このサービスを通じて、公務員という職業柄、仕事上では機会が少ないマーケット感覚を養うことに繋がっているのではないか?ということに書いてみようかと思う。
もはや社会インフラ化しているメルカリサービス
メルカリを使ってみて一番驚いたのは、そのオペレーションシステムだ。
コンビニにはメルカリ商品(ネコポスなどの発送グッズ)が揃っているし、PCではなくスマホをメインで使っている世代に向けて、スマホオリエンテッドでシステムが作られているのが新鮮だった。
何より出品者と購入者の匿名性を担保するため、発送・宅配のサービスがバーコードやQRだけで行われるシステムに一番ビックリした。
これが技術的にできるのだから、郵便物に宛名を書いたり切手を貼ったり、宅急便の伝票に記入するような方法は辞めてしまって、世の中の郵便や宅配はメルカリのような効率的なシステムに統一できないのだろうかと思うくらい。
メルカリはサービス開始から10年が経過しているようで、最初の頃からここまでデジタル化が進んでいたかどうか知らないけど、こんなシステマティックな方法については、自治体も見習うべきところが多いとつくづく感じる。
人の手も省力化できるし、何より人的ミスが間違いなく減るだろう。
需要と供給のバランスから出品商品を選定するという鉄則
さて、これまでにいくつかの商品を出品してきて、僕なりに留意しているのが、同種・同商品が溢れている市場では戦わない、という鉄則である。
同種・同商品が溢れているとは、人気商品ではあるかもしれないが、供給がダブついていて、市場原理から言うと、低価格競争に巻き込まれるエリアである。
メルカリのような個人売買で、大量販売ではないマーケットにおいて、こういうエリアに足を突っ込んでもロクなことにはならないので、勝負を仕掛けないことにしている。
こんな時は、あの曲でも聴いておこう(笑)
逆のケースが狙い目になるのは言うまでもない。
例えば、僕が過去に出品したモノの中で、結構な値段で、なおかつ秒殺で取引が成立したのが「デジカメ」である。
数年前までは世の中に溢れていたデジカメ(低価格のコンデジ)であるが、この分野はスマホに市場を乗っ取られてしまい、大手メーカーは全て撤退しているため、供給が全く途絶えている商品カテゴリーである。
とはいえ、古いデジカメを欲しがっている一定の層があるだろうと、家で使わなくなっていた何の変哲もない古いデジカメ(購入価格3万円程度)を1万数千円で出品したところ、10秒も経たない間に売れてしまったのには驚いた。
数年前までは中古のデジカメはゴミのように扱われていたのに、世の中分からないものである。(デジカメお持ちの人は捨てる前に出品のご検討をw)
こんな風に供給が圧倒的に足りてない市場を狙うのが鉄則である。
広い市場を狙わずニッチなマーケットを狙う
さて、僕が出品しているモノの大半は、メルカリ内に同じ商品が並んでいないものだ。
大抵の場合、家に眠っている古いモノで、例えば10年以上前(場合によっては昭和のものもw)に購入し、現在は生産中止となっていて世の中にほとんど転がっていないものである。
(完全生産限定盤などの数量限定のものもこれに含まれる)
例えばLPやVHSが全盛だった時代に、数は少ないけれど販売されていたCDやDVDとかが狙い目で、そういった商品はビックリするくらい高値で売れることもある。
商品名を白状してしまうとバレてしまうので伏せておくが「誰もが知る大物タレントが実はCDも出してたの?」とか「そこそこ名前は知られているけど、こんなDVDも出してたのね!」みたいなモノをピックアップして出品している。
(そんなモノを家にたくさん眠らせている僕もどうなのだが・・・w)
あくまで狙っているのは、広く安くではなく、狭く高くのマーケットだ。
これらの商品は正直、買う人が現れるかどうか微妙なマーケットであるが、重要なのは、フリマのようなフィールドでは、一人でも欲しい人がいればマーケットは成立してしまうと言うことである。
(これがオークションと違ってフリマの醍醐味でもある)
希少性をどう値付けするかが一番難しい
世の中にあまり溢れていないモノは、希少性が高いものと言えるし、付加価値のあるものと言い換えることもできる。
(全く人気がないものと紙一重だけどw)
ただ、同じものが少ないだけに、いくらで値付けするのかが非常に難しい。
売り手としてみれば、少しでも高い値段で売りたいところであるが、買い手がつかない商品は価値がないのと同じであるから、そこをスレスレのラインで狙うことになる。
市場価値がいくらになるのか、というのを探りながら値付けしていくのは単純に面白いし、マーケット感覚を養っていくのにも役に立つのではと感じている。
原則副業が禁じられ、普段の仕事の中でマーケット感覚を磨いていくことが難しい公務員にとって、メルカリへの出品はその第一歩になるかもしれない。
(家の書庫を圧迫しているヘンテコなモノの断捨離にもなるしねw)
希少性を意識して、モノにいくらで価値を付け、いくらで売れば買い手がつくのか、というのが何となく身についてくる。
さて公共施設に当てはめてみる
メルカリの話だけで終わってしまうと面白くないので、ここから先は公共施設の需給や利用料金について論じてみたい。
マーケット原理に反して、希少性とは対極にあるといってもいいのが、公共施設の供給量や利用料金である。
公平に全ての人が享受できるよう、公共施設は全国津々浦々で大量に整備され、またその利用料金は押し並べて低廉(場合によっては無料!)に設定されている。
これはマーケット原理で言うと、供給量が過多で、床(施設)が飽和状態の上、安かろう悪かろうじゃないけれど、タダに近いものが市場に溢れかえっており、かつ誰をターゲットにしているのかよく分からなくなっている状況と言える。
つまり、買い手がいるかどうかも分からず、自ら供給量をどんどん増やして、市場価値を自ら毀損している行為と言えなくもない。
これを解消していくためにも、公共施設の床(施設の量)は減らしていく方向に向かうべきであろうし、現状は完全に供給過多で市場のバランスを失っている状態である。
(公共施設の利用率が低調なことも正にそれを示している!)
(このTシャツ・・・買おうかなw)
こういった現状を打破するため、必要な公共サービスは残しつつ供給量の絞り込みを行い、サービスの価値を高め、どうやって付加価値をつけていくのか?というのがこれからの公共施設経営には求められている。
(でないと、自治体経営が破綻する!)
↓こちらもぜひよろしく。ちなみに1/23火)はこの辺りの話をします。
ただ、マーケット感覚に乏しい行政だけでそれをやり切るのが難しいからこそ、登場してくるのが公民連携ということになる。
供給量・値付け・サービスの質・・・これらをバランスしてこそ、持続可能な公共サービスというものが生まれてくるはずだ。
僕が関わりながら行っている公民連携事業は、公共施設をターゲットにしながら、付加価値やサービスの質をいかに高められるか、ということを念頭に置きながら行っているものである。
これら公民連携事業の話はまた追々書くとして、最後に、
公共施設もまちを構成する不動産の一部であり、人々の活動のために存在しており、市場原理の中において、その価値は変動するということを忘れてはいけない、ということだ。
オマケ・・・
さて、ここからは完全に余談ではあるが、僕が中学生時代から愛してやまないBOØWYやヒムロックは、色んなタイトルを切り売りして、時に「BOØWY商法」と揶揄されることもあるが、ファン心理を突いた商品をついつい買ってしまうのがオッサンの性というもの(笑)
ただ、大半のタイトルが限定生産だっり、再販されることが少ないので、これらの商品はリセールバリューも高かったりする❤️
僕が家に保管しているタイトルを、仮に全部売り払ったら1ヶ月の給料分くらいには軽くなるだろう。
まぁ僕が元気なうちは売らないけどね〜(笑)
僕が死んだら、誰かに売ってもらうようメッセージでも残しておこうかな。
まぁ、これがメッセージか・・・(笑)
ではでは(笑)