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『ある人質 生還までの398日』

『ある人質 生還までの398日』 2013年から14年にかけて、ISの前身組織に誘拐されたデンマーク人カメラマン、ダニエル・リュー・オデセン。彼の13カ月にわたる拘束の日々を描いた映画で、昨年度のデンマークでの映画館動員数がナンバーワンでした。デンマーク映画界のアカデミー賞であるロバート賞やボディル賞をいくつもの分野で受賞しており、デンマーク人からもお勧めされたこの作品。観たいのはやまやまでしたが、残虐シーンや暴力シーンが怖いことと、まだ私自身もショックを受けた当時の記憶が生々しく・・・。迷った末、一番後ろの席で観ることにしました。

 ダニエルはカメラマンではあるものの、深い信念を持っていたわけでもなく、駆け出しの23歳の若者でした。戦禍の普通の人々の暮らしを伝えたいと向かったシリアで突如拘束され、拷問や恐怖と隣り合わせの監禁の13カ月を過ごします。身代金を集め、救出に翻弄する家族、人質救出のエクスパート、他の人質達、見張るイギリス系のISメンバーらがどう動いていたかが描かれています。

 最終的にダニエルは生還するのですが、よかった、よかったと喜ぶわけにはやはりいきません。デンマーク政府も身代金は払わないというポリシーでしたが、ダニエルは家族が何とかお金を集めることができました。その一方で、身代金の払われない者、米英のISが敵視をしていた人質は犠牲になります。この辺りは私もまだ記憶が新しく、胸がざわざわしますが、映画ではもう少し違う視点に重きを置いていたので助かりました。人質同士のこのような状況下でのユーモアや友情、チェスや体操をして気を紛らすこと、そうした彼らの人間性に観ていてどんなに救われたでしょうか。
 人質達は自分が解放されるのか、されないのか、わかっていたのだそうです。身代金が払われ、解放される見込みのある者は生きている証明として写真を撮られる一方、写真を撮られることがない者達は、解放の希望がないということでした。あるインタビューの中で、ダニエルは自分が解放される日の朝、その極度の緊張感から泣いていたところ、「解放されない」ジェームズ・フォーリーが彼に語りかけてくれたと言っています。ジェームズは彼の肩に腕を回し、「心配しなくて大丈夫。彼らは10分か15分で恐らくここにくるだろう。君はそうしたら家に帰れる。だからそれを楽しんで。君は本当に自由を手に入れたんだよ」と言ったそうです。次々と仲間が解放されていく中、そう言ったジェームスの心の大きさには言葉もありません。ダニエルもまた、ジェームスの家族への伝言を暗記し、アメリカのジェームスの家族に伝えました。

 さて、この映画ではダニエルの家族、ごく普通の家族が描かれています。姉アニタを演じたソフィー・トルプが助演女優賞を受賞するなど大変好演していますが、私は母親を演じたクリスチェーネ・ギュレロプ・コクChristiane Gjellerup Kochの演技がとても好きでした。特に、彼女が最後の頼みで一流企業に勤める友人の夫に頼みに行くシーンは素晴らしかったです。カフェでの彼女の感情を押し殺した粘り強さ、そして相手が去った後の涙・・・。母親としてすごく伝わるものがあって、心が締め付けられます。父親のケル役の俳優イェンス・ヨーン・スポタウJens Jørn Spottagもアートゥア役のアナス・W・ベアテルセンも、出演者全員、いつものようにデンマーク人らしい「普通」の演技が素晴らしいです。
 主役のエスベン・スメドの少しナイーブな青年ぶり、尋問や拷問におびえる姿の演技にこちら側も息を飲むなど、ひとつひとつ本当にリアルに演じています。パンフレットのキャストプロフィールのところに、『ニューヨーク 親切なロシア料理店』に出演と書いてあり、少し前に観たのですが、あれ、出ていたかな?と思い当たらず・・・。よく調べてみたら、なんと主人公のクララのDV夫を演じていたのが、彼でした。えー、あのDVで警官の冷徹な夫?とびきりハンサムだけど、めちゃくちゃ怖いあの夫?とびっくりしてしまいました。全然、違う・・・。さすが素晴らしい俳優と唸ってしまいました。

 この主人公であるダニエルがその後、どうしたのだろうかと気になり、調べてみました。このような悲惨な体験をしたダニエルは、普通の生活に戻るにはトラウマを抱え過ぎているのではと勝手に心配をしていましたが、今は、映画の恋人と結婚し、子どもを設け、カメラマンとして、エスベン・スメドによれば「驚くほど素敵で、思いやりとユーモアがある素晴らしい人」として暮らしていました。TEDにも登場しています!その中で、デンマークに帰国したとき、家族や周りの人達は彼をまるで箱の中に入れ、どう扱ったらいいのかわからない様子で、そこにダニエル自身も戸惑ったと語っています。極限の恐怖体験をしたけれど、自分自身は変わっていないのだ、そしてそれをわかってもらうために、周囲の人に体験を話すことにしました。お金が必要なので、稼ぐという意味もあったけれど、あちこちで体験についてレクチャーをし、それが自分自身のセラピーになったそうです。セラピストにかかるよりも、気持ちを出すことによって、ノーマルな状態になったと言っていました。とても強くしなやかで、彼がかつてやっていた体操のように美しいなと思いました。

 最後に。デンマーク語のタイトルは“Ser Du Månen, Daniel”で、「月を見ている、ダニエル?」という意味です。これは遠く離れた故郷から、生死のわからないダニエルにかけた家族からの問いかけの言葉をタイトルにしたのかなと勝手に思っています。

● 参考
https://www.bbc.com/news/magazine-36080991
https://www.youtube.com/watch?v=ClCzZGmsmko

● 映画のトークイベント(とても勉強になりました。よろしかったらぜひ!)
https://www.anemo.co.jp/movienews/report/398_05-20210212/

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