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『ホトトギスって何?食えんの?』(下)解答編


①我が名はホトトギス。異名40種なり。


熟考の末の結論はシンプルである。

もとめるべきはホトトギスに関する直接的な情報だ。

他の野鳥の情報を参考とした消極的解答では、どうしても答えにあやふやな点が残りすぎてしまう。
とすれば捜索範囲を拡大し、ホトトギスについて検索を続けるのが近道のようである。
しかしホトトギスの情報を虱潰しに調べた場合、どれくらい該当する本があるのか…?
国会図書館デジタルオンライン等で「ホトトギス」「時鳥」「杜鵑」など表記違いで検索するだけでもその手間は馬鹿にならない。筆者としては『HiGH&LOW THE GAME』の片手間に調べるくらいしておきたいのだが…難しいかもしれない。
本当に困ったときに頼れるのは何か?
そう『仲間』である。
絆を信じて問題を分かち合うことで多くのトラブルを回避できることを、筆者は『HiGH&LOW』から学んでいる。
よく考えた上で、筆者はきわめて信頼できる三人の人間に本稿の準備稿を送り付けた。

一人は、長く沈黙を守った。(後日、「おけけパワー中島」の考察に取り組んでいたと説明が届いた)

一人は「なんなんだこいつ(筆者)は?」という否定めく感想を述べるに留まる。

しかし最後の一人は「この問題に興味あり」と挙手したのである!

その人物は辻のオタクだった。
「ホトトギスって何?食えんの?」という問いは本来は辻に向けられたものである。辻のオタクも無関係とはいえまい。筆者は辻の代わりに調べているともいえるのだ。辻も今はどこかでこの問題に向き合っているかもしれない。
芝マンのために、そして辻のために。
それは当然一派の長である轟洋介にも喜んでもらえることであろう。(全くの余談だが、筆者は轟洋介のオタクである。こちらのnoteを参考にされたし)

現在、国会図書館はコロナの影響でメール申し込み後抽選入館である。
我々はまずは国会図書館オンラインを含むインターネットでの検索をさらに進めながら、今後どのような本を調べていくかのアタリをつける作業に着手した。
これまでの展開を踏まえるならまず野鳥図鑑・鳥図鑑にはあたらず、食材図鑑・料理本・食文化に関する本にあたるほうが良いであろう。
しかし、もしかすると古い「野外生活」「狩猟ガイド」「サバイバル生活ガイド」的な本に情報があるかもしれない。ほかにはいわゆる「奇食」の類として扱われている可能性もあろうか? しかし野鳥を食べるのは奇食というほど奇妙ではない。
いっそ直接見に行こうか?上野動物園ではホトトギスの展示を行っている。しかし、見て何かがわかるというのだろう…? 飼育員さんに聞いてみるか?しかしそれこそ病院で医者に「人間って食べられますか?」と聞くような行為かもしれない…。

もちろん虱潰しに全て調べられればそれが一番である。
しかし現実的には狙いを絞らねばならい。検索の範囲を拡大して本格的に調べ始めた場合、確認すべき資料が膨大であろうと予想されるからだ。
こと問題になるのは文学作品である。
ホトトギスについて少しでも調べていると、「ホトトギスは古代王朝時代に日本人に最も好まれた鳥で…」「わが国では古来、文芸史上最も愛好された鳥である。」といった覇権ジャンルオタクの勝利宣言的文言を目にする。そしてピクシブでの投稿数を誇るがごとく『万葉集』には480首中156首ホトトギスを詠んだ歌が収録されているとか、『古今和歌集』には43首、『拾遺和歌集』には41首収録されているなどという誇らしげな文が続く。だかその殆どは「食べたかどうか」とは無関係であろう。
「ホトトギスが食べられるかどうか?」を調べる筆者たちは、鳥ジャンルの頂点ホトトギスという覇権キャラに入り浸ってはいる。
しかしながら、人々が「やっぱり鳴き声が最高!」「夏を伝えくれるあの声♡」などと推し語りをする中で、「ホトトギス」「食べる」「食べられる」「美味」などの言葉で検索しているのである。我々の行為は、まさにピクシブを彷徨う特殊性癖者のそれであった。見たいものがない……。

しかもそもそも『万葉集』や『古今和歌集』の確認に着手したとして、そこでもまた躓くことが予想される。おそらく我々にはホトトギスが詠まれていもわからないであろうと推察されるのだ。
まず、昔はホトトギスが郭公と区別がつけられていなかった(区別はついていたがホトトギスも「郭公」と表記することも多々あった)という。ちなみに現代でも「カッコウ目カッコウ科」と「ホトトギス目ホトトギス科」は同じものである等、両者が区別なく使われる場合がある。なんだそれ。
その上、各時代ごとに文芸上の異名が多数ある。…たとえば、鎌倉時代なら「いしにえこふるとり」「あみとり」など、室町時代なら「くきら」「いもせとり」「めづらとり」など、安土桃山時代には「うなひこ」などなど…。えっ、ホトトギスに「しでのたをさ」なんて呼び方あんだ?…である。
おまけに『万葉集』に限ってはホトトギスを「雲公鳥」と書くことがある( なぜそんなことを…? 隠語として『アノニマスダイアリー』を『増田』と呼ぶ的なことであろうか?)、能登では「くつぬい」と呼ばれる、伊予では「こつてとり」と呼ばれる等のローカルルールも多く、もうあるわあるわ、笑っちゃうほどいろいろな名前がある。
『図説 日本鳥名由来辞典』菅原 浩 ・柿沢 亮/三柏書房)によれば約40種類もの異名があるのである!
『HiGH&LOW』の大人気キャラクターの轟洋介でさえ、轟、轟ちゃん、ドロッキー、ガキ、クソ眼鏡、三輪車…まで入れてさえ6種類程度である。しかも「校門のとこにクソ眼鏡がいたぞ」と言われればそれが轟であると想像ができる。しかし、いったい「そういえば今朝”くつぬい”がうるさくてさ~(笑)」と言われて誰がホトトギスのことだと思えるのであろうか?

インターネット上のホトトギス地獄などホトトギス地獄のほんの入り口でしかなかったのだ……。

文学作品についても調べてみる必要があるだろうか?
もちろん無知な筆者には「食べた」という体験を歌に詠んだ歌人がいないとは言えないし、それを小説や日記に記した人物がいないとも言い切れない…。

だが、インターネットではあまり知られていないことだが、リアルな物質である紙の本には「本文検索」は使えない。その上スクショもできないのだ。百科事典のような気のきいた索引がない限りは、必要な情報が出てくるまでページをめくらなければならないし、情報がみつかればコピー機でコピーを取るよりほかない。
何を調べるかを決めるというのは、何を調べないかを決めることでもあり、それは絶対に必要である。
いったい何をどうやってしらべるのか?
まずは二人で、そこからはじめるよりなかった。


②『HiGH&LOW THE HOTOTOGISU』作戦会議

現在インターネッツで収集した情報のすべては「ホトトギスが食べられるかどうかとは直接関連しない情報」である。それを元手にどう考えていくべきか。
まず、逆説的に考えるべきである。
食べられるかどうか、という情報がこれほどない、ということは一つの結論ではないか?
もし、ある情報が不自然なほどこの世の中に存在しないのであればそれは存在しないことが意味がある。大人が隠蔽しているのかもしれない。
だが「ホトトギスが食べられるかどうか?」という情報が世の中にないことは不自然か?
どう考えても自然である。
なぜなら1892年(明治25年)に保護鳥獣に指定されたホトトギスは、狩ることを禁じられている。
したがって明治25年~令和2年現代の間にホトトギスが食卓に上がる可能性は低い。
また、そもそも狩りやすい鳥でもないことは、バードウォッチングに関わる複数のサイトで「見るのが難しい鳥である」「臆病な鳥である」といった表記が見られることからも想像できる。もし手に入っても可食部も乏しいであろう。なぜそんな苦労をしてホトトギスを食べる必要があるのか? それより少ない手間でもっと食べるのに適していそうな鳥(たとえばハトやキジ)が手に入るというのに。

つまり、ホトトギスが食べられるかどうか?といった情報がインターネットに存在していないのはきわめて合理的である。

インターネットが存在したその当初から既に誰にも必要がない情報であり、誰も知りたがっていない。芝マン以外は。

つまり、芝マンと筆者ら、そしてここを読む読者諸姉兄以外は誰にも必要のない情報なのである。
世界唯一のグループ、ホトトギスが食べられるかどうかを調べる調べ学習の同士として今真剣に考えてほしいのだが、この状況下で何を調べれば「食べられる」または「食べられない」というトピックに一直線にぶち当たれるであろうか?
ここから先は、思いついた単語を検索窓に文字を打ち込んで調べるノリでは効率的な情報収集は不可能であろう。国会図書館オンラインとグーグルブックスを併用して検索し、必要な本は図書館(もし抽選にあたれば国会図書館も視野に入る)調べる流れが予想される。
そこで筆者らは調べ物を下記の方向性に絞ることとした。

●1892年以前の日本でホトトギス食べられていたのかどうかを調べる。

ホトトギス食の情報が有用な時代があったとすれば、それは1892年以前である。もしホトトギスが食べられるのであれば、過去の文献の中には(たとえば不味いという話であったとしても)出てくるのではないか?
おそらくさかのぼればさかのぼるほどホトトギスを食べていた可能性はたかまる。生活が豊かになればなるほどわざわざ不味いものや手間のかかるものを食べるということに対して消極的になろうが、昔は獲れれば食ったろう。だが、文献が残っている範囲でとなると大昔は難しい。
江戸時代くらいが妥当であろうか?
いずれを調べるにせよ「やきとりの歴史」が偉大なガイドになるだろう。もはや感覚としては鳥肉の教科書である。

そして、複数人でより手広く調べるにさしあたって基本に立ち返り「食べられる」「食べられない」の定義も必要である。
現時点でホトトギスに毒がないことはわかっており、可能かどうか?というだけの意味でいえば既に「食べられる」という結論が出ている。

しかし可能かどうか?という問いかけなのか?
もしそうであれば、例えば筆者の考えでは、消しゴムは食べられる。小さ目に切って醤油かなんかでいためれば誰にでも食べられるのではないか?
 だが、「消しゴムって何?食えんの?」と聞かれた場合、一般常識的に考えて「消しゴムは食べられない」が正答であろう。
そしてまた、このあたりを一度整理したいのだが「何の栄養もないし食べてもまったくおいしくないが工夫すれば食べられる」といったカテゴリに入る場合(正直なところ、ホトトギスがここに入る可能性は非常に高いと危惧している)その記述をどうとらえるべきか?
その2点においてガイドラインがなければなかなか芝マンに答えてあげることはできない。我々は以下の方針をもって取り組むこととした。

●食べられるかどうかは「可能などうか」ではなく「適しているかどうか」であると理解する。
紙とか土とかなんでも無理すれば食べられる。だが無理すれば食べられるものを「食べられるよ」と答えるのは対話として正しいものとはいえない。

 ●情報自体の扱いとしては、向いている方向を最優先する。
たとえばテキストが「生臭く食べられない」「生臭くて食べるのに向いていない」であれば=食べられない。
全く同じ内容であっても記載が「食べてみると生臭い」「生臭いが食べられる」であれば=食べられる。
と判断したい。情報発信者の意思を尊重したい。

また、さしあたり「ホトトギスは生臭くて食べられない、痔の薬になる」という情報の裏付けを1892年以降の食材・食文化・料理の本にあたって見つけることが最優先のゴール地点であると予測して調べ始めたい。
予断は無用であるが予測はあるほうがより効率的であろう。


③ えっ『本朝食鑑』なんてあんだ?

上記の会議を踏まえ、まず調べるべき本が定められた。

それは『本朝食鑑』だという。

『本朝食鑑』!? なんだそれ?
これが当時の偽らざる気持ちである。
ほんちょう…しょっかん…って何?食えんの?
筆者はたぶん生まれてはじめてその名を聞いたのではないかと思うのだが、辻のオタクいわく教科書にも記載される有名な書物だという。
中国で編纂された大辞典『本草綱目』の日本ローカライズ版『本朝食鑑』の存在は日本史的には常識のようだ。
しかし、言わせてもらえばそれを知らぬのは筆者の怠惰さばかりが原因ではない。筆者の母校は違法なカリキュラムを組んでいたせいで、筆者ほか数十名は高校日本史に一切触れることなく卒業した。それは後日問題になったが…まさかホトトギスを調べる上での障害になるとは…。学校教育の重要性を理解した瞬間であったといえよう。
同じ学校を卒業しながら『本朝食鑑』を知っていた辻のオタクには頭が下がる思いである。
2年ほど前に筆者が「いつも我々が食べている鳥肉は何の鳥なのか?」とあの番組より先に聞いたときも「スーパー売ってる鳥肉は鶏だよ」と教えてくれたほど博識なのが辻のオタクである。

話を戻そう。
江戸時代前期(1697年)に人見必大によって著された『本朝食鑑』は、日常的なレシピ集というよりは百科事典的な性格を持つ書物で、非常に多くの食品が取りあげられている。
Wikipediaにも「庶民が日常よく用いる食品食物に詳しい解説を施している」と記載されており、今回の目的に最適な1冊だ。
逆にそれ以外に適していると目される本はなく、『本朝食鑑』に掲載がなければ「やきとりの歴史」にあげられている『合類日用料理抄』などの料理本や『江戸時代における獣鳥肉類および卵類の食文化』にあげられている参考文献を地道に潰していくより他ない。

そして『本朝食鑑』は国会図書館オンラインにて即閲覧が可能である。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2569417

鳥についての記載のなかに、ホトトギスの文字はみとめられない。
が、検索していると、どうもホトトギスについての記載自体はあるようである。
どこに?
もしかして異名で掲載されているのか…?
筆者の学では原典を精査するのは不可能であるため『本朝食鑑』の現代語訳(東洋文庫/平凡社)を最寄りの図書館で借りてみる。すると第3巻に上記オンライン閲覧可能部分の後に「禽部之三」というパートがあり、そこに「杜鵑」(保度度木須)として項がたっていることがわかる。

しかも…

しかも…


(気味) 寒冷。無毒。臊気(なまぐさみ)があって食べられない。
(主治)疱瘡の解熱を除き、瘧邪を駆逐し、虫を殺す。疥癬・痔瘻の虫あるものを除く。
(附方)痘熱紅陥。杜鵑一隻を焼いて霜(こな)としたものを三分、これを人牙(は)の煎湯で飲み下す。

東洋文庫『本朝食鑑 3』 (人見 必大 ・島田 勇雄  注釈/平凡社)41-42Pより引用 


まさに『生臭くて食べられない。痔の薬のなる』の裏付けとなる文である!

『本朝食鑑』が出典であったのだ!

筆者と辻のオタクは微笑みあった。調べ学習でペアになった者同士の距離が縮まるのはよくあることである…。
仲間同士ならではの抱擁。
永遠に続けば良いと願うこの瞬間。
筆者と辻のオタクは、ホトトギスを支える2人のオタクのシンボルを掲げ、いつホトトギスが帰ってきてもいいように、この図書館を根城にしたチームを作った。

しかしだがまだ油断はできない。
筆者らには「気味」の意味も「寒冷」の意味もよくわからない。誤読している可能性もある。
我々は「杜鵑」「気味」「杜鵑」「寒冷」などの単語単語を検索してなんとか解読に成功しはじめていた。「気味」は漢方の用語のようである。薬物の性質・作用を言う言葉のようだ。そして「寒冷」とは見たとおり体を冷やす食べ物であるという意味のようだ。つまり、【ホトトギスの肉の漢方的な薬効】体を冷やすが毒はない。しかし生臭くて食べられない…。
やはり誤読ではない…そして、「杜鵑」「気味」などで検索するうちにこれをさらに裏付ける本が見いだされる。

1916年に出版された『杜鵑研究』(川口孫次郎)である。


③ホトトギス界隈のアタマは川口さんだ。

『杜鵑研究』はホトトギスを調べるものにとっての聖典、必携の書、これさえあればという1冊。ホトトギス研究の決定版である。

特に、ほかの文献には出てこない情報を求めている者にとっては救いの1冊である。
軽々に人を神扱いするののに抵抗はあるが、川口孫次郎先生は我々ホトトギス食クラスタにとっては神作家といわざるをえない。唯一無二のお方であり、ホトトギス界隈のアタマである。

本書は、ホトトギスのあんなことからこんなことまで丸ごとホトトギス♡な1冊で、おおよそ思いつく疑問に対して答えてくれる優れものだ。
名前の由来にはじまり、似た鳥との見分け方、世界のホトトギス、日本のホトトギス、鳴き声、飛び方、生息地、餌、ほかの鳥との関係性、ホトトギスの歴史、飼育法、そして物的利用…。
ことに便利なのは151ページからのホトトギスの歴史であろう。ここには筆者がめんどくさがって放り投げた文学上のホトトギスへの言及がコンパクトに纏められており、現代のホトトギス研究にとっても大きな助けとなることは間違いない。
しかしながら、筆者はそれで感動しているわけではない。
この本には「ホトトギスは食べられるのかどうか?」に対するほぼ完全な回答が収められているのである。

すなわち、この本が刊行された大正5年までに流布されていた主だった情報(「本草綱目」(1578年)「和漢三才図会」(1712年)「本草綱目啓蒙」(1803年)「羽譜」(不明)でのホトトギスへの言及)を記載したうえで、最後にご本人の実体験からくる意見を述べるという形だ。

人は人生で何度か、これは私の為に書かれた本ではないか?と思う本に出合うことがあるが、この本は筆者にとってまさにそれであった。

『杜鵑研究』252-253Pから必要な部分だけを大まかに意訳しよう。

・「本草綱目」によれば、肉は毒もない。昔の人は普通に尾のあたりの肉とかを食べた。
・「本朝食鑑」によれば、毒はないが、生臭くて食べられない。
・「和漢三才図会」によれば、味は生臭くて良くない。
・「羽譜」( 和産・舶来鳥類約五〇〇品について諸書の記述を集成したものらしいがまったく詳細不明!)に会津の田舎者は好んで食べると書いてある。
・「本草綱目啓蒙」(※江戸後期の「よくわかる!本草綱目大研究」的な和書)では「本草綱目」で言っている「昔の人は普通に尾のあたりの肉とかを食べた。」というのはホトトギスじゃなくて燕の間違いじゃね?と指摘している。(※東洋文庫『本草綱目啓蒙』4/平凡社を参考に意訳)


そして川口孫次郎(著者自身)の見解を意訳すると、

今実験(解剖)してるだけでも生臭いから、まあ好き嫌いはあるけど一般的にいえば好んで食べるほどが味がいいものではない。

ここではアタマの言うことは絶対である。
ついに答えは決まったのだ。


芝マンは会津の出身ではない。なぜならは「月刊EXILE別冊 HiGH&LOW THE BOOK」に「山王街出身」と記載されており、山王街はおそらく会津ではないからである……したがって…

芝マン「ホトトギスって何?食えんの?」
筆者「ホトトギスは鳥。生臭くて食えたもんじゃないぜ!」


万感の思いをもって「生臭くて食えたもんじゃない!」を本稿の結論とさせていただく。


④ 別解。薬としてホトトギス。


本稿を書くにあたって驚いたのは、ホトトギスについて調べ慣れてゆくにつれ、まるで違った世界がひらけてくることである。
始めたころにはグーグルで「ホトトギス 阿佐ヶ谷ロフト 食事会」などとあらぬ疑いを検索していた筆者であるが、次第に検索の場所は「書籍の全文が登録された世界最大級の包括的インデックスを検索できる」と謳うグーグルブックスに移り、検索する言葉も「ホトトギス 薬効」「杜鵑 本朝食鑑」などに変わってくる。
すると出てくる情報は一変する。グーグルは筆者らが持っている単語のレベルに対して的確に答えを返す。
インターネットはホトトギス地獄などではなく、筆者らは方位磁針一つ持たずに森を歩き、同じところをぐるぐる回っていたにすぎない。森は豊かである。しかし方位磁針は自ら見つけるしかない。

ことに印象的だったのは「ホトトギスの黒焼き」で検索した瞬間である。
ホトトギスを薬として使う場合は黒焼きにするのだが、この単語でグーグルブックスを検索すると出てくる情報は膨大である。
一体全体なぜこれを見逃していたのか。
これほどの情報が公開されていても「ホトトギス」「食べる」といった検索の仕方では見逃すのか。これは驚きであった。
ざっと目を通すだけで、どうも400年程度は薬として重宝されていたことが察せられる。
様々な時代・様々な土地でホトトギスの黒焼きの効能が謳われており、痘瘡に効く、瘧に効く、痔に効く、疥癬に効く、肺病に効く……果ては万病に効くとまでいわれている。
それも大昔のことではない。
なんと昭和35年刊行小説『部落とホトトギスと掟』(きだみのる/筑摩書房『現代教養全集15』収録)にまで「ホトトギスの黒焼きが結核の薬として高く売れる」というエピソードが出てくる。当時のお金で3千円程度で売れたというのだから、今の金額でいうと3万円弱くらいにはなったということになろうか? ホトトギスを狩った場合、薬として売却すればよい金になるとなれば、食べる可能性はなおさら低くなる。不味いホトトギスを食べるのではなく、売ったお金で美味しいもの食べるほうが合理的だ。

『救民妙薬』(1693年和書)や『松屋筆記』(1908年和書)には『溺死した人間はホトトギスで蘇る』という記載があるらしく『24時間以内に口と肛門からホトトギスの黒焼きの粉を吹き込んだらたちまち蘇生した』など記載されているようである。前述の『杜鵑研究』においてもこの件は触れられており、「古くから溺死したらホトトギスの黒焼きの粉を鼻から吹き込めといわれている」という記載も同書にある。
『世界大博物館図鑑 鳥類』(荒俣宏/平凡社)などによれば、ホトトギスは夜も鳴くことから「死出の田長」などとも呼ばれ、冥土の鳥とも考えられてきた。死を司る鳥であればこそ「蘇りの秘薬」として用いるだけの呪術的説得力が生じたのであろう。
万能薬、蘇生薬としてエリクサーのように重用されるホトトギスであるが、資料にあたっていると時代により期待される効能に違いがあることもうかがわれる。
古くは疱瘡や痔に効くといわれているが、大正時代にはそれよりも子宮 血の道・婦人病の特効薬として重宝されていたようだ。そして昭和になると結核の特効薬とされている。
ホトトギスは、鳴き声が独特で美しいこと、口の中が赤いことなどから吉・凶いずれにおいても様々な象徴を帯びていた。
結核・月経などに特に効能をうたわれているのは口の中が赤いことから「血が出る困りごとにとりあえず効能がある」ということであろうか。血の病にはルビーを砕いて飲めといったホメオパシーのレメディ的な流れが推察できる。
『日本の伝承薬―江戸売薬から家庭薬まで』(鈴木昶/薬事日報社)には「時鳥の黒焼を素湯で飲むと言葉の訛りを橋正できる」ともいわれたという記載もあり、これも見事な鳴き声にあやかろうということであろう。

この膨大な「黒焼きの薬効」の印象は非常に強く、「ホトトギスって何?食えんの?」に対して別解として「ホトトギスは薬だよ。黒焼きにして吸え!」ともいえるであろうと記載して本稿の二つ目の結論としたい。
おそらくホトトギスの使い方としてはこちらが正道である。
芝マンのコンディションによって回答をフレキシブルに使い分けていこう!



⑤ 終わりに、100年後を視野にいれて記す。


以上2通りの解答をもって本稿の結論とする。

そして、蛇足ながらあとがきにかえて筆者の心情を述べて結びとさせていただきたい。
『HiGH&LOW』なら今市隆二さんの『 FOREVER YOUNG AT HEART』が流れてくる頃合いであろう、センチメンタルなエピローグである。

川口孫次郎さんの『杜鵑研究』の序文には、ホトトギスについての熱い思いと、そして「この本は今後のホトトギス研究または杜鵑類研究には必ず参考となるであろう。少なくとも研究上時間の節約には必ずなるであろう。」と記されていた。
まさにである。
本を出版するというのは、瓶に手紙を入れて海に流すがごとしであるが、1916年の出版から104年後の筆者にそれが届いたという感動は大きい。
おそらく今でなければ届かなかったであろう。
たとえば今が昭和50年であれば、『杜鵑研究』はあれども、グーグルは存在しない。その場合、筆者がこの1冊にたどり着けた可能性は極めて低い。
『杜鵑研究』が出版されてから約100年後に作られた『HiGH&LOW』、そして「ホトトギスって何?食えんの?」と問うた芝マン。その発言により筆者は思いもよらぬ形で『杜鵑研究』を手に取り、瓶を開けた。
そしてまさに求めていたものを手にしたのである。
これえは想像しえない奇抜な縁ではないか?


筆者もまた、本稿は今後の芝マンの問いに応えたい方々の参考と必ずなるであろう。少なくとも研究上の時間の節約には必ずなるであろう。と記してこの文章を終えることとしたい。
『HiGH&LOW』が末永く愛され、本稿も数年(または100年)後の未来の奇抜な読者に読まれることを願って結びとする。

END

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※たぶんこの轟はホトトギスを食べていない。
実際食べていたら「まあまあだな」というほど美味しくないと推察される。(あるいは、轟は会津の人間なのかもしれない)


追記と出典
(1)「ホトトギスは覇権ジャンル」出典…「ホトトギスは古代王朝時代に日本人に最も好まれた鳥で…」(『資料 日本動物史』梶島 孝雄/八坂書房)「わが国では古来、文芸用最も愛好された鳥である。」(『図説 日本鳥名由来辞典』菅原 浩 ・柿沢 亮/三柏書房)
(2)さまざな異名の出典…同『図説 日本鳥名由来辞典』菅原 浩 ・柿沢 亮/三柏書房。
(3)「ホトトギスは見るのが難しい」…参考にさせていただいたサイトは下記2つ。
irbirdwatcher.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-c9eb.html( ホトトギスは姿を見るのがなかなか難しい鳥です。)
https://www.bepal.net/play/birdwatching/11839( 警戒心が強く、姿を見るのが非常に難しい。)
ちなみに『部落とホトトギスと掟』(きだみのる/筑摩書房『現代教養全集15』収録)では、ホトトギスは同じ樹にばっかにとまるから捕まりやすいという記述があるので、特別狩りにくいわけではない様子?
(4)『江戸時代における獣鳥肉類および卵類の食文化』(江間美恵子)…https://www.jstage.jst.go.jp/article/jisdh/23/4/23_247/_pdf
(5)これから近しい研究される方へ…近しい題材(この動物食べられるのか?)を調べるにあたってはなにより『資料 日本動物史』(梶島 孝雄/八坂書房)が良い資料。筆者はすべてがわかった後にこの本を読み、最初からこれがあれば!!!と悔やんだ。「(過去の文献において)ホトトギスを食べた記事は見られない」という記載もある。最初の1冊がこの本なら即解決だった。
(6)もっと杜鵑を知りたい方へ…『杜鵑研究』が無料で全文読める。
https://books.google.co.jp/books?id=yznWbI-1DUkC
食べられるかどうかの情報も本稿記載以外の部分にも触れられており、たとえば「足利郡あたりでは食べたら ひの病 になる」といわれていたらしい(P366)芝マンに教えてあげよう!
ただ古い本は読むのがいささか難解ではあるので、手堅く正確にまとまっているこちらのサイト「IKAEBITAKOSUIKA」さんを案内したい。正答だけがコンパクトにまとまっている。
http://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-2ed6.html
(7)ホトトギスの薬効について…煩わしくなるので本文中には記載しなかったが参考にしたのは『飛騨の鳥』(川口孫次郎)『東邦薬用動物誌』(梅村甚太郎)『中部の民間療法』『中国・四国の民間療法』『関東の民間療法』(いずれも明玄書房)『日本の民族11 埼玉』(倉林正次/第一法則出版)など。とにかく多数ある。
(8)『杜鵑研究』界隈…国会図書館オンラインで『杜鵑研究』と検索すると動物学雑誌第三百三十三号に掲載された永澤六郎さんのレビューがひっかかる。これは超訳すると『自分もホトトギスについて調べようとしたけど資料が膨大でやめちゃったんだけど本当『杜鵑研究』すごいね~!でも正直資料として中学校の教科書を使うとか正気か!?あと外国の資料が少ないし、仁部富之助さんの『郭公の繁殖についての関する研究』はぜ~ったい掲載してほしかった!(郭公とホトトギスは違うっちゃそれまでだけど…><)あとホトトギスという名前の貝があることとかも入れてほしかったし……』といった同ジャンル者の激アツレビューである。
また川口孫次郎さん自身もホトトギスクラスタと神同士の交流をしていたようである。
『杜鵑研究』の後に刊行された同著者の『飛騨の鳥』にて、「東京朝日の近藤春夫さんの本に<『杜鵑研究』にはホトトギスは疱瘡に効くとしか書いてないけど、今ホトトギスといえば子宮の薬でしょ。あと切り傷や擦り傷にも効きます。>と書かれたけど「ホトトギスが疱瘡に効くと"しか"書いてない」っていうのは佐藤さんが黒焼きの項目を見逃したんでしょうが!!!!私の本にはホトトギスの黒焼きが瘧や痔や赤痢の薬になるってちゃんと書いてあるから!!!……でも子宮の薬になることは知らなかったので教えてくれて感謝します(*^-^*) そうして調べてみると国學院雑誌巻ノ二三号の十一にも<杜鵑は血の道の大妙薬だと、婦人から頼まれてよく捕ってきたのを見た>とかあるね~」みたいなことを書いている。
インターネッツなどなくともホトトギス界隈は活況を呈していた。
(9)ほととぎすの舌…『日本の心: 心の対話』(保田 与重郎 ・中河 与一 /日本ソノサービスセンター)に「ほととぎすの舌が美味」というような内容が記載されているようだが本文にあたることはできなかった。ちなみに『杜鵑研究』において「ホトトギスの舌が美味はデマです!というか食べるには小さすぎます!」として否定されている。
(10)昭和35年3000円はいくら?…下記サイトを参考に計算。真面目に計算してません。https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/history/j12.htm/
(11)ご意見について…筆者はまったく高校日本史に触れずに卒業したと以外にも、古典や漢文についても無学である。素人しごとであることをご容赦の上、意訳の誤りなどあれば優しくご指摘いただければ幸いである。また、食べたことがある等のお声も大歓迎である。