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同情されたくないな

昨日ケンカをした。まだイヤな気分だ。枕投げでもしたいな。

最近のケンカの種は、あの人のことだ。そうあの人。

週1で手土産くれる顔も知らないお婆さん。旦那のお客さんだ。

はじめはね、ミカン1個とかだったと思う。
それが、1品ずつ増えていった。内容も貰い物や家にある余り物とかじゃなくなっていった。

作りすぎたおかずのおっそわけが来て、昨日誕生日に焼いてもらった手作りクッキーが来て、調理師のお子さんが作った大きなアジフライが衣のまま3匹きて。スジこんにゃくはもう定番化している。サンドイッチは食べたけど、おにぎりは遠慮した。でも、手作り団子は食べた。

美味しいし、もらう果物や野菜もフツウより良いやつだ。見れば、食べれば分かる。栗カボチャや青リンゴやら、珍しいものもある。作る料理やお菓子も手が込んでいる。

「お金持ちの方なんだね」と何気なく聞いたら、「全然逆だよ。苦労してる方だよ」と返ってきた。

それでも、本当に貧しかったならこんなことしない。できない。だって、うちなんか貧しくてお菓子作りたくても、もうずっとバターを買えないでいる。手の込んだ料理も作りたいけれど、安い食材で簡単に済ませている。

主婦からするとその食べ物にどれくらいのお金と時間と愛がこもっているか分かる。だから、貰うたびに気が滅入った。それは、本来わたしが家族にしてあげたいことだから。他人様にそこまでしてもらいたくない。人の家庭に入り込み過ぎているのではないか。

はじめの火種はクリスマスパーティーでの残り物や贈答品を大量にくれた時だった。

その時の話の軸は、その家が貧乏かそうではないかになっていた。

「そのうちは、絶対に貧乏じゃない、潤っている。少なくともうちの家よりは余裕がある。

だって、いつもくれる時、高いお菓子やブランド服の紙袋に入っているし、細かく分けられた中身は綺麗なトレイや買わないと手に入らない包装紙に包まれてあるもの」

そうしたら、怒った旦那はもらった紙袋をビリビリに破いた

「これで良いんでしょ!
これから、その人のうちに行こう。家を見れば分かる。市営住宅に住んでいて、とにかく苦労されてる方だから。」

いやいや、そこまでしたらダメでしょ。プライバシーの問題とかあるし。と頭を落ち着かせて終結した。

今思えば、確かに旦那の言うことは本当で、市営住宅に住んで貧しい中でも上手にお金を回せていて、いつもくれる紙袋も、人からの貰い物で、決して裕福でない中でも暮らしを楽しめている人なのかもしれない。


そして昨日、切ったネギや大量の栄養ドリンクその他5品くらい貰い物がありその話が再燃した。

今度は貧乏か裕福かじゃなく、素直に貰うことが嫌だったと伝えられた。

そこで初めて分かった話がその人が特別なお客さんだったということだ。

その過程でわかったことは、うちの事情を話していて随分と私たちの家庭やわたし自身のことを心配してくれて、贈り物をしてくれていたことだった。

きっと、そういう弱っている人や困っている人を放って置けないのだ。

でも、わたしはそれを素直に受け取れなかった。私たちは今いろいろな問題がある。わたし自身苦しみを抱えてる。

だからといって、それに同情されたくない。私は苦しいけど頑張っている。頑張っているから、いつかは手に入れられるはずであるその蜜を簡単にくれたりしないで。

優しさとは罪である。相手にいいと思ってやったことでも、それが相手を苦しめていたら、それはなんだか違うと思う。

書いていてお婆さんのことが客観的に見れてきた。もの凄く人のいい人で、ちょっとお節介なところがあるんだなと思えた。

これも、noteのおかげだ。
怒りを沈めて、これから解決したい問題に着手しないといけないなぁと思う。

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