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君が生まれてきた時は


1年と少し前、2023/3/8の国際女性デーに3080gの女の子を出産しました。

あれよあれよという間に一年が経ってしまい、
我が子はすっかり歩き始めるまでになってしまったが、
以下妊娠〜出産〜新生児子育ての雑感。


妊娠してよろこびも束の間、本当に産めるのだろうか、とずっと不安だった。

いま振り返ってみれば、妊娠の経過は概ね順調だったと思います。
だけど40代を目前にした高齢出産×婦人科系の持病2つ×ホルモンバランスの変化が理由で、不安9割楽しみ1割というハッピーマタニティライフとは対極だった。
ハイリスク妊婦として、総合病院で通常の検診以外にも複数科受診しながら、なんとか一日一日と過ごす日々で。毎回血液検査で血を抜かれまくっていた。

健診で性別を教えられた時なんか、

「女の子だと思われます!」と言われれば、

「マジか。大変だぞ、この国で女性として生きるのは」と内心思った。

娘が欲しいと考えていたのに、複雑な気持ちで帰り道についたのをよく覚えている。
(娘が欲しかったのは大きくなったら洋服とか一緒にお買い物したいというささやかな夢からです。男の子でもしてくれるならいい)

「おっ、これは、本当に産めそう……!」と心から思えたのが、生産期と呼ばれる、いつ生まれても大丈夫な9ヶ月目37週に入ってからという。割とずっと先の見えないトンネルを歩いている気分で、ようやく光がさしたかなと思えたのがその時期でした。
つわりは悪阻というほどでも、よく聞く吐いたりするのもなかったです。ただ基本食べづわりの食べ続けないと気持ち悪い方のやつで。いつも以上に食べる割に、大して太らなかったので、新しい生命に膨大なエネルギー吸収されてる感がすごかった。なんで気持ち悪くなるんだろう?
と思って調べてたら「低血糖」ってワードが出てきて、「シャリばてか……!(登山用語で歩きながら食べないと低血糖で倒れることをさす)」とツッコミながら、ちっこいおにぎりをいっぱい作ってストックしたり。真夜中におにぎりを食べないと生きていけない感じになると、なんだか別の生き物になってしまったな……としみじみ思いました
そして妊娠中はとにかく体力低下して家事や動くのが億劫に。安定期といわれる時期に入った瞬間、持病系の腹痛が起きて、深夜の救急にお世話になったり。入院しますかと言われたものの、それも疲れそうなので痛み止め飲みながら騙し騙し在宅で仕事しつつ。そのほか中期くらいから肌が乾燥して全身の痒みが酷く、跡に残ったりマイナートラブルの嵐。リモートワークじゃなかったら多分もっと死んでたと思う。たまに乗る電車で席を譲ってくれたお兄さん、おじさんありがとう(男性が多かった)。人に生かされてる日々でした。

人類の妊娠・出産って、最低限母体を殺さないように生かしながら、新しいしい生命の誕生にエネルギーを全振りするシステムなんだな〜としみじみ理解しました。そのロジックはリスク高すぎるんでそろそろ誰か改修してくれ。というわけで、母親は妊娠中ずっと低空飛行でかろうじて生きてるみたいな感じなので、パートナーは、ペンギンみたいに餌取りに行ったり周りの巣作り(=食事の準備含めた家事もろもろ)するべき。まじで。特に共働きの場合は仕事だけしてる場合じゃない。

そんな妊娠中の不安や低調な中でも、担当してくれていた産婦人科の先生がとても明るく癒してくれた。エコー診察するたびに「可愛い〜😍」って連呼しててその朗らかさに随分救われました。
ある時、
「赤ちゃん、今日は菜々緒ポーズみたいですね!」と言われ、
「はい?」ってなった。
その後も検診で
「今日も脚が長いです!菜々緒みたい!」
と報告され続け、勝手にモデルの母になったような気分に。本気で名前を菜々緒にしようかなと迷ったり。T総合病院のH先生ありがとう、、ご本人がモデル並みの小顔と体型だったことも忘れられないよ、、

そんなこんながありつつも、計画無痛分娩だったので、3/8にしましょうと病院から提案された時は、「国際女性デーじゃん!!」となんだか励まされました😌強く逞しく、かわいく育ってほしい。
(1日ずれても3月9日だから、生まれた瞬間から持ち歌があるねと思った。瞳を閉じればあなたが〜!)

無痛分娩は本当にお産自体は無痛でとても良かったです。産科の先生も麻酔科の先生たちもみんな明るく陽気に励ましてくれる雰囲気でした。たまたまなのか?お産に関わってくれた10人以上のスタッフのうち、1人除いて全員女性だった。
麻酔のせいで始終温かいお風呂に入っているみたいな心地よさと、
コロナ禍が落ち着いたために、夫も立ち会いができて本当によかった。こんな大変なこと一人じゃ無理だな、、と何度思ったか。
手を握ってもらっていると、いつのまにか普段体温が高いはずの夫の手が冷たく感じられるようになって、あれ?わたし今熱出てる?と自覚ができて物理的に役に立つ、というシーンもありました(マジで38度でた)

お産時は赤ちゃんの頭の角度が良くなかったり、そもそも頭が大きくてなかなか出てこれなかったので、長い時間いきむのが苦しかったです。そのために傷がだいぶ深くなって、麻酔が切れた後は痛みが激しく、高熱も出たせいで体力がヘロヘロに。お腹だけは減ったので、出産後分娩室で寝ながらご飯を食べたよ、、人間そんなこともできるんですね。生まれた後は麻酔の魔法は消えて、ただただ痛いと辛いがごちゃ混ぜに。
その後も立ち上がれなくて車椅子で移動してもらい、しばらくずっと強い痛み止めを飲んでました。

生まれてきた娘は元気です。
計画出産だから人工的に○○処置しようか、〜って言ってるそばから自然に進んでるというのが何回もあり、最後までほぼ計画通りに。「生まれる前から親孝行ですね」って先生たちに言われました。初産にしては平均より早い7時間弱で産まれてくれました。(病院側の現実的な話として、おそらく夜勤交代前の16時前の日中に生まれたので、先生やスタッフたちがめっちゃいい時間帯だったよ〜と破顔してたw)
生まれた時にちょっとだけ抱っこさせてもらったら、意外にもぱっちりした目を開いて不思議そうに見つめられました。Hello world だね…と画面にうちたくなる気持ちが人生イチ高まった瞬間。
そして脚はやっぱり長くて、H先生がやっぱり「脚、長かったですか!?」と連呼してた 笑
(手脚が長いのは私の家系なので、夫が俺には似てない……と呟いていて笑った)

出産翌日からは、母子同室の母乳指導があるスパルタ方式だったものの、私が全く立てないのでベッドに連れてきてもらったり。
会う前は羊水吐いたり調子が悪かったらしいのに、いざ母乳をあげるとすごい勢いで飲み出して、
「やる気がすごいね!」と看護師さんに褒められることしきり。吸う力がステレスクリップ並😂すでに逞しすぎる。甥っ子姪っ子あわせて5人分の赤ちゃん見てきたけど、新生児の我が子もとびきりかわいかった。
(まぁよく我が子が特別可愛いというけど、別に甥姪みんな可愛いままだな、というのは発見だった)

両親が他界していて実家を頼れないので、育休をとっている夫と、義実家や公的サポートを借りながら、なんとかやっていきたいなという所存。最近流行りのシフト制育児を夫と交代しながらやってるので、一人でやるよりは眠れてると思います。仮にこんなズタボロの状態で一人で家事と育児をやらないといけないとすると、本当に拷問だと思う。産後の恨みは死ぬまで続くと言う言葉の意味がめちゃくちゃ分かる時期だなとしみじみ思います。

高齢出産は同年代だと同じ様に産んでる人は少ないし、体力ないし病気の不安はあるし、とネガティブに考えていました。でもすでに小学生以上のお子さんがいる友人先輩が多いので知見の聞くあてがあるのと、今まさに産んだよ、育て中って下の年代は多い。狭間で色々見聞きできるのはなんだか貴重だな〜と思っています。

君が生まれてきた時は、こんな感じだったよ。

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