子どもたちが描くキャラクターの不思議
今となっては見慣れましたが、子どもたちの作品発表会でよくみるコイツが気になった時期がありました。
丸のなかに顔。そして、そこからのびる線。
なぜだか、みんながみんな揃って同じようなキャラクターを描く。
実はこれ頭足人(とうそくじん)という名前がついているそうです。
たしかに読んで字のごとく、そのまんまな姿をしている・・・
しかし、なんでまた子ども達はこんなキャラクターを描くのでしょう?
頭足人って?
頭足人間(とうそくにんげん、または頭足人(とうそくじん))は、頭(顔)から直接、足が生えた絵のことで、幼児の初期の描画に現れる特徴である。タコやイカなど頭足類に構造が似ているため頭足人と呼ばれる。
頭足人間の描画は閉じた円が書けるようになった後に生じる。はじめに頭を指すと考えられる部分に足が描かれ、腕はあったり無かったりする。頭と思しき部分が純粋に頭なのか、胴体を含めた円形の輪郭なのかは研究者によって意見が分かれている。
この頭足人は国籍を問わず世界中の子ども達が同様に描くもので、だいたい3〜4歳ころの幼児全般に見られるもののようです。
頭足人についての論文等を探してみましたが、本当に様々な説があるようで何故子ども達がこのような表現をするのかはっきりと分かっていません。
わからないから面白い
これを知って、俄然わくわくしてきました。
今まで「へったくそな絵だな〜」くらいに流していたキャラクターが、実は世界の誰もが一度は描いてしまうもので、しかもその理由がわからない!
不思議なフォルムだけでなく、こんな背景も知ってから見てみると、なんだかだんだんとゆるキャラのような魅力も感じてしまいます。
この不思議な頭足人について色々調べる前に、自分でも推察してみました。
本来は首も頭も腕も足も、皮膚で覆われて繋がっている僕らだけど、大人の僕らは顔を描いた後に2本線で身体とつなげれば首になることを知っている。 子ども達は目に入った人をそのまま書き写したいのではなかろうか。 発達段階の表現手段の中で(丸と棒くらいしか描けない)子ども達にとっては、皮膚でつながっている身体をどこで区切ればいいかという表現手法が追いつかず、頭足人のような表現になるのでは。 だとすれば、頭足人は、見たままをそのままリアルに描写しようとしている表現手段なのでは?
関連する論文
出典はよく覚えてないのですが、保育士向けのテキストの中では太陽の絵に由来するから。とか、身体はひとつの魂からくるから。とか、びっくりな由来がのっているものもありました。
以下は、ネット上で見つけた頭足人に関する論文です。
ここで取り上げたのはほんの一部で、他にも様々な説があります。
今回は、杉浦氏の『子どもと造形』から気になった箇所を孫引きさせていただきます。
鬼丸吉弘は「この場合、顔のようにみえるものは顔ではありません。それは全身なのです。この場合円い形は、ある「もの」の全体を、円という最も単純な形に煮つめてとらえているのです。そしてそこから出る直線は、このあるものが外に向かってはたらきかける、はたらきや方向を最初意味しているのです。左右に二本だったり、下方に二本となったとき、子どもの意識としてははっきりと、それを「手足」として見るようになったと言えるでしょう。」
鬼丸の区分に従うと子 どもたちの造形活動は、おおむね三つの段階に分 けられるという。全く新しい言葉で表されたのが 「表出期」「構成期」「再現期」である。
「表出期」:おおむね描かれたものが大人の目に、何をしているのかわからない。自我と外界とのかかわりの中で、自我を外界に表出しその痕を残す、出来上がった線描の結果に対し子どもはさして関心をもたない。子どもの関心はもっぱらしるしをつけること、描く事そのことにある。「なにか」を現わすよりも描く事それ自体が目的である事が少なくない。
またこのように言う「頭足類というものは、ものの形を外から見て写し取っているものでなく、無意識のうちに相手になり切って、相手に同化している心の所産です。それは対象の内側から組み立てられた絵なのであって、見たものを見たように映しているものでは在りません」と『創造的人間形成のために』で言う。
これこそこの時期の子どもの絵を知る大切な点であり、子どもはこの後関わっていく外界、大人の世界で生きていくための準備を行なっているのである。
子どもが見つめるもの
抜粋したのは、鬼丸吉弘氏の著作からの引用部です。
頭足人が、身体全体をあらわすところまでは自分の推察と同じように感じたのですが、そこから先の部分が個人的に衝撃でした。
頭足人はただの描写ではなく、相手に同化し対象を組み立て直したものである。
思えば確かに、頭足人を描く子ども達は
「これがおかあさんで〜、これがおとうさんで〜、〇〇ちゃんもいるの!」
「これは〇〇くんとクルマ!」
といったように、静物画や風景を描くのではなく、出来事や思い出のような他との関係性を描くものが多いような気がします。
私たちは成長するにつれ、そんな関係性でものごとを見つめることを忘れてしまっているのかもしれません。
大人である私たちは、最低限の見るポイントを抑えておけば、目の前のものごとはだいたいわかる。
そんな風に、わかったつもりでなんとなく目の前のものごとを受け流しているようにも思えてしまいました。
子どもたちは、毎日の発見や出会いの連続。できること・できないことの冒険の中で、心を動かしていきます。
それは、目の前のものごとが全て、未知あふれる新鮮な驚きとして存在しているからなのでしょう。
彼らの描く不思議な頭足人には、きっと私たち大人が想像できないような鮮やかなドラマが詰まっているのだと感じさせられました。
次回の作品発表会の時は、子ども達から「ねぇ、この絵はどんなことを描いたの?」と教えてもらおうと思います。
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