移行

「あなたは今笑えてますか? どんな息をしてますか? 人混みに強がりながら「負けない」ようにと歩いているんだろう」
(塩田フミヤ「花になれ」)

小学校4年生で教室に入りにくくなった私は、5年生に進級してクラスと担任が変わっても、登校することやクラスに入ることに対して拒絶反応を抱え続けていた。教室に入らなくなった発端は、前回記した通り、給食の際のルールという今思えば些細なものであった。しかも、進級時に担任の先生も変わったので、給食の件について心配はいらない状態となっていた。それでも、一度トラウマとなった教室は、私にとってとても遠く恐怖の存在となってしまっていた。
当時の私は自覚していなかったが、今思えば周囲の目が怖くて集団の中に入らなかったのだと思う。給食を食べ切ることができず叱られている自分を見られるのが嫌という感情を抱き、それがどんどんと大きくなっていって、できない自分を見られたくない、みっともない姿を見せたくないといった気持ちに自分が包まれてしまって、集団に対する抵抗感が強まったのだと思う。

12・13歳頃から23・24歳頃までの若者のことを「青年」と呼ぶことがある。この「青年期」に属する若者のことを、大人にも子どもにも属していないということから、レヴィンは「マージナルマン(境界人)」と名付けた。身体と心が大人と近しいところまで発達をしているものの、社会的にはまだ子どもの要素も残っているということが「マージナルマン(境界人)」というネーミングにつながっているとされている。ルソーは、人間はこの青年期に「第二の誕生」を迎えると述べている。乳幼児として生まれる一度目の誕生が「生存するため」の誕生であるのに対して、青年期の誕生、すなわち第二の誕生は「生きるため」のものだとルソーは考えた。
この「青年期」に、人々は「自我」に目覚めるといわれている。すなわち、自分と他者とは別の人間であり、互いに考え方や価値観などが異なるものだということに気付く。そして、他者と自己を比較して客観的に自分の長所や短所を見つけられるようになる。様々なことに気付きを覚える時期だからこそ、「青年期」は心身ともにしんどい期間となる。

登校すること、教室に入ることに引っかかりを覚えたのは10歳の頃だったので、私の不登校の原因を「青年期」という時期の問題に当てはめるのはもしかしたら適切ではないのかもしれない。ただし、たしかにあの給食で困った頃から、私は自分という存在と他人という存在の違いに気付き、他人の存在を過剰に意識して自分のコンプレックスに悩まされるようになった。あれは、大人への準備期間である青年期への準備期間だったのかもしれない。しんどいことが多かったが、己に対しても周りの人に対しても「負けたくない」という気持ちを強く抱いていたのだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?