擬似体験

かなり久しぶりの投稿になってしまった。教員の仕事やプライベートのことでいっぱいいっぱいだったために投稿できなかったのだが、ふと思った。

なぜ、こんなにいっぱいいっぱいにならなければならないほどに仕事をするのか、プライベートなことでまで苦しむのか と

前者に関して自分なりに問いが解けた。生活のためには仕事が必要で、キャパや能力に自信がない自分が仕事をこなすためにはいっぱいいっぱいにならざるを得ないという答えが浮かんだ。しかし、仕事に没頭するのはそれだけなのか。

先日、2〜3年前に塾で関わった教え子から久しぶりの連絡をもらった。「はたち」になり成人式に出席した、学問にバイトに友人関係にと大学生活を満喫しているとのこと。知らせを聞いて、私までとてもとても幸福になれた。

大学生活は一度しか楽しめない。自分が選択しなかったものの経験はなかなか味わえない。でも、私が経験しなかったことを教え子が楽しみ、その報告を聞かせてもらうことで、私も擬似体験ができる。私も自分自身の学生生活に関して満喫したという想いがあるし後悔もないのだが、自分が選ばなかった方面のことまで今になって楽しめるのは教え子のおかげだ。

一生懸命に仕事に没頭して、一人一人の生徒さんに向き合えば、その分幸せのお裾分けももらえる…
打算的というか見返りを求めているようだが、私の仕事の原動力はそこなのかなと思った。

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