理想と拒絶

「学校に行かないとと思うのですが、行こうとすると吐き気がします」

高校で勤務している私は、そのような生徒さんの悩みの声を耳にすることがあります。不登校に陥っている生徒さんや登校に負担を覚える生徒さんの多くは、学校は行くべきところであると認識していて、学校に行きたい・行かなければならない、なのに身体が拒絶してしまって行けないという悩みを抱えているようです。登校したいという意欲があり、登校はするべきたという意識ももっているのに身体がついてきてくれないという状態は、その生徒さん自身が一番もどかしく辛い思いに陥ることだと思います。

十数年前の私も、心に身体がついてこず、もがき苦しむ保健室・別室登校の学生でした。教室に入りたい、教室には行くべきだとずっと考えていましたが、身体がめまいや動悸などの拒絶反応を起こしてしまい、中学校の3年間はほとんど教室に入ることができませんでした。教室に入りたくても入れない自分が嫌いで、行くべきである教室に入れない自分への肯定感が下がり、自分で自分を苦しめる悪循環に陥りました。

正直なところ、大人になって教員になった今も、登校ができないということに対しての具体的な打開策や有効な策を見出せずにいます。教室に行けなかった中学生の時の自分にかけられるアドバイスは、今もまだ見当たりません。しかし、教壇で倫理の教科書に目を通していて、こんな考え方をもっていたらほんの少しは楽になれるのかな? こういう風に考えられればいいなと思う瞬間があります。そんな先人の思想に触れながら、これまでのことやこれからのことを言葉にしていきたいと思います。

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