昭和戦前の連続殺人事件

 昭和戦前の連続殺人事件の一覧である。未確認分もあり、後に追記する。

 連続殺人の類型としては、貰い子をもらって養育費目当てに殺害する、いわゆる「貰い子殺し」が目立つ。そして、数人を殺害しても有期懲役で済んでいる事例が多々見受けられる。この時代、強盗殺人一名殺害で死刑判決を受ける確率が高かったことを考えると、異様な感を抱かざるを得ない。それだけ、赤ん坊の命が軽かったということなのだろうか。

 また、被害者人数が結局あいまいになってしまうのも、この連続殺人の特徴である。数十人の貰い子が貧者の集団により殺害されたとされる、かの有名な岩ノ坂貰い子殺しは、結局は女性一人が貰い子殺しで裁かれて終わりであった。熊本でも大量貰い子殺しがあったが、結果は不明である。

<宇和島連続保険金毒殺事件>

<静岡貰い子19人殺し>

<播磨連続保険金毒殺事件>
*被告人
置塩圓次(38)
*起訴された主要な犯罪
米穀商の置塩は、以下の犯罪を行ったとして逮捕起訴され、有罪を宣告された。
第一・1927年9月25日、実弟にショウコウを飲ませて毒殺。一万円の保険金をだまし取った。
第二・1928年10月24日、ストリキーネとアトロピンを牛乳に混入し、別の実弟を毒殺。自らも毒入りの牛乳を飲み、犯行が発覚したため、詐取は未遂に終わった。
*死者
2名
*求刑
死刑
*判決
一審・死刑
控訴審・1932年6月1日、大阪控訴院判決。控訴棄却。
*参考文献
捜査と防犯

<谷口富士郎事件>
*被告人
谷口富士郎(満19)
*起訴された主要な犯罪
若き彫刻家、谷口富士郎は、以下の犯罪を行ったとして逮捕起訴され、有罪を宣告された。
第一・1928年6月27日、弟と共謀し、東京市で、金目当てに老婆を殺害した。
第二・1928年11月18日、東京市世田谷において、前記強盗殺人の共犯である弟を殺害した。末弟を巻き込んで、死体を下宿先の床下に埋めさせた。
1930年4月24日、アメリカに留学する直前に、逮捕される。
*死者
2名
*求刑
死刑
*判決
一審・1935年6月14日、東京地裁判決。無期懲役判決。
控訴審・1935年9月16日、東京控訴院判決。控訴棄却。
上告審・1935年12月5日、大審院判決。上告棄却。
*参考文献
警視庁史、東京地方検察庁沿革誌、犯罪心理研究第2編法医学的精神病学、変態殺人篇、弁護二十年、法律新聞

<大岡山・千住連続一家殺害事件>
*被告人
五味鉄雄(38)、田中藤太(42)
*起訴された主要な犯罪
両名は共謀のうえ、以下の犯罪を行ったとして逮捕起訴され、有罪を宣告された。
第一・1925年9月5日、東京都東京市大岡山で、女優一家三人を金目当てで殺害した。五味が発案、主導し、被害者三人を絞め殺した。田中は体を押さえていた。
第二・1928年8月19日、東京都東京市千住で、醤油屋一家三人を金目当てで殺害した。五味が被害者二人、田中が被害者一人への首を絞める行為を行った。
*死者
6名
*求刑
両名に死刑求刑
*判決
一審・1931年4月20日、東京地裁判決。両名に死刑判決。五味につき、一審で死刑確定。
控訴審・1931年9月26日、東京控訴院判決。田中につき控訴棄却。
上告審・1932年4月5日、大審院判決。田中につき上告棄却。
*備考
大岡山女優一家殺害事件の被害者の一人は、五味の内妻の弟だった。
*参考文献
警視庁史、東京地方検察庁沿革誌、猟奇犯罪捕物集、捕物日記、昭和犯罪史正談、史談裁判第三集

<本日休業殺人事件>
*被告人
中村喜次郎(32)
*起訴された主要な犯罪
魚行商人の中村喜次郎は、金銭目的に以下の犯罪を行ったとして起訴された。
第一・1927年9月23日、京都市東山で薪炭商夫婦を強盗目的で殺害した。
第二・同年12月6日、京都市の問屋に押し入り強盗目的で殺害しようとしたが、殺害に失敗した。
第三・1930年3月7日、大阪市天王寺において、犯行を妻に幇助させ、土砂商夫婦を棍棒で殴打し、刃物でめった刺しにして、強盗目的で殺害した。
第四・1930年4月21日、京都市下京区で印刷業者を強盗目的で殺害した。
*死者
5名
*求刑
死刑
*判決
一審・大阪地裁判決。死刑判決。
*参考文献
難件八十殺人犯検挙の端緒

<江の島・鎌倉父子連続殺人事件>
*被告人
伊坂策次(47)
*起訴された主要な犯罪
第一・1929年4月24日、隣家の男性から金を横領し、その発覚を恐れて、横須賀で海に突き落とし溺死させた。
第二・同年7月29日、同様の理由で、男性の父を江の島の断崖から突き落として殺害。
1930年5月16日、逮捕された。
*死者
2名
*求刑
死刑
*判決
一審・1932年7月29日、東京地裁判決。死刑判決。
控訴審・1933年5月2日、東京控訴院判決。控訴棄却。
上告審・1933年9月18日、大審院判決。上告棄却。
*参考文献
東京地方検察庁沿革誌

<本郷大量貰い子殺し>
*被告人
川俣初太郎(34)
*起訴された主要な犯罪
1932年10月13日から1933年3月10日にかけて、貰い子25名を殺害し、西郷山に死体を埋めていた。
*死者
25名
*求刑
死刑
*判決
一審・1935年9月23日、東京地裁判決。死刑判決。一審で確定。
*参考文献
警視庁史、東京地方検察庁沿革誌、昭和残虐犯罪史
*備考
川俣は、貰い子殺しで懲役3年の刑を受けた前科があった。

<神戸連続貰い子殺し>
*被告人
太田英雄
*起訴された主要な犯罪
1932年12月から1933年4月にかけ、貰い子9人を次々に殺害し、死体を山中に埋めた。1933年8月25日に逮捕された。
*死者
9名
*結末
 1935年3月7日、予審終結後に自殺を遂げた。
*参考文献
捜査と防犯

<一方井事件>
*被告人
遠藤蔵次郎、他
*起訴された主要な犯罪
岩手県一方井の天理教教師、遠藤蔵次郎は、共犯者と共謀のうえ、以下の犯罪を行ったとして起訴された。
第一・1927年1月29日、物品販売業の男性を撲殺し、男性の自宅に火をつけて死体を焼損した。
第二・女性に第一の事件の犯行現場から逃走するところを見られたため、口を封じる必要があると考え、1927年7月3日、同女性の親族と共謀のうえ、女性を水銀により毒殺した。
第三・男性に第一の犯行後、現場から逃走するところを目撃され、口封じのために殺害を決意。1929年9月13日、他の被告と共謀し、男性を毒殺した。
1932年に捜査が始まり、1933年1月29日ごろ、蔵次郎は犯行を自供した。
*死者
3名
*求刑
遠藤蔵次郎に対し、死刑求刑。
*判決
一審・1935年1月23日、盛岡地裁判決。遠藤蔵次郎に死刑。他の被告たちに懲役10年~7年の判決。
控訴審・1936年1月29日、宮城控訴院判決。控訴棄却。死亡した一名の被告には公訴棄却。
上告審・1936年8月28日、大審院判決。上告棄却。
*参考文献
岩手の重要犯罪、密封された聖地、刑事裁判例・刑法犯上巻、大審院判決

<タバコ屋連続強盗殺人事件>
*被告人
辻村盛一(37)
*起訴された主要な犯罪
第一・1935年12月2日、金銭目当てにタバコ屋の女主人を絞殺した。
第二・同年12月7日、不審尋問をした青年団団員の胸部を匕首で突き刺し、逃走した。団員は一命をとりとめた。
第三・同年12月10日、タバコ屋に便所の汲み取り口から侵入し、店主と鉢合わせしたため、匕首で殺害した。
*死者
2名
*求刑
死刑
*判決
一審・1936年10月13日、神戸地裁判決。死刑判決。
控訴審・1936年11月28日、大阪控訴院判決。控訴棄却。
*参考文献
捜査と防犯

<向島女児連続殺人事件>
*被告人
少年(18)
*起訴された主要な犯罪
第一・1936年4月16日、10歳の女児の首を刺して殺害。
第二・同年5月31日、3歳の女児の首を刺して殺害。
*死者
2名
*裁判
一審・東京地裁判決。無期懲役判決。
*参考文献
少年犯罪データベース

<都城市連続貰い子殺し>
*被告人
福吉一(38)、市來仲之助(48)
*起訴された主要な犯罪
被告らは、養育料をだまし取る目的で、以下の犯行を行ったと認定された。
福吉は、他者と共謀、あるいは単独で、1936年4月17日から1937年1月22日にかけ、貰い子6人をもらい受け、絞殺、生き埋めなどの方法で殺害した。
市來は、1936年3月17日から1937年1月16日にかけ、4人の貰い子をもらい受け、4人とも餓死、あるいは井戸に投げ込んで殺害した。
*死者
福吉・6名
市來・4名
*求刑
不明
*判決
一審・1937年12月17日、宮崎地裁判決。福吉に懲役10年。市來に懲役8年。
一審で確定。
*参考文献
宮崎地方検察庁沿革誌

<チフス菌殺人魔事件>
*被告人
高橋貞三郎(36)
*起訴された主要な犯罪
眼科医である高橋貞三郎は、営業妨害や保険金目的で、以下の犯罪を行ったと認定された。
第一・1936年3月8日、同業者である内科医の営業を妨害するため、チフス菌を塗布したカステラを持参し、医師の家族四名をチフスに罹患させた。罹患した四名とも全治した。
第二・同年6月7日、耳鼻咽喉科の営業を妨害するため、チフス菌を塗布したケシ入りパンを持参し、医師、看護師、書生をチフスに罹患させる。看護師は死亡し、他二名は全治した。
第三・妻を保険金詐取するために殺害しようし、同年10月18日、チフス菌を塗布した菓子を食させるなどしたが、殺害は失敗に終わった。
第四・妻の診断を行った医師を、口封じと営業妨害のために殺害しようと考え、同年11月22日にチフス菌を塗布した菓子を配送し、医師と妻子五名を発病させ、うち妻子二名を殺害した。
第五・同年11月23日、日ごろから反目していた医師を殺害しようと考え、チフス菌を塗布した菓子を持参し、同席した医師三名がそれを食し、うち一名の医師が死亡した。
*死者
4名
*求刑
死刑
*判決
一審・1938年7月4日、浦和地裁判決。死刑判決。
*備考
恩赦により無期懲役に減刑された。
*参考文献
埼玉県警察史

<神奈川連続貰い子殺し>
*被告人
石橋安老(50)
*起訴された主要な犯罪
元按摩の石橋は、1937年10月30日から1939年11月8日にかけて、6人の貰い子を養育料目当てに次々と貰受け、栄養不良で死亡させる、生き埋めにして殺害するなどした。
*死者
6名
*求刑
不明
*判決
一審・1940年12月16日、横浜地裁判決。懲役12年判決
*参考文献
神奈川県警察史、刑事裁判例・刑法犯上巻

<脱走兵連続強盗殺人事件>
*被告人
神田芳一(満21歳)
*起訴された主要な犯罪
脱走兵である神田芳一は、上官より拳銃を窃取し、強盗目的で以下の犯罪を行ったと認定された。
第一・1939年1月13日、兵庫県印南郡鹿嶋神社において、上官より窃取したブローニング32経口の拳銃で、金品強取目的で主婦を射殺。金品を奪うことはできなかった。
第二・同月16日、大阪市旭区において、カフェに侵入し、前記拳銃を突き付けて12円50銭を強取した。
第三・同月22日、名古屋市昭和区において、会社重役を金品強取目的で射殺。金品強取には至らなかった。
第四・同月25日、静岡県磐田郡において、駄菓子屋夫婦を金品強取目的で射殺。10円余りを強取した。
*死者
4名
*求刑
死刑
*判決
一審・1939年4月27日、軍法会議判決。死刑判決。
*参考文献
愛知県警察史、迷宮の扉を開く、司法警察官吏訓練資料第21巻・強盗殺人事件の捜査、神田芳一死刑執行の件(アジア歴史資料センター)

<日向連続強盗殺人事件>
*被告人
A(20)
*起訴された主要な犯罪
第一・1941年10月10日、民家に強盗に入り、二名を殺傷し、60円を奪った。
第二・同年同月23日、民家に強盗に押し入り、夫婦を撲殺し、50円を奪った。
11月6日、逮捕。
*死者
3名
*参考文献
少年犯罪データベース

<浜名湖畔連続殺傷事件>
*被告人
中村誠策(満18)
*起訴された主要な犯罪
聾唖者の中村は、聾学校の学費稼ぎ、性的目的、殺人自体を目的に、以下の連続殺傷事件を行ったとして逮捕起訴され、有罪を宣告された。
第一・1938年8月22日未明、置屋に侵入し、女将と芸妓をナイフで刺して重傷を負わせ逃走した。
第二・1941年8月18日、置屋に侵入して芸妓を刺殺、もう1人の芸妓に重傷を負わせて逃走。
第三・同年同月20日、料理屋に侵入し、就寝中の女将、女中、雇い人の三人を殺害。
第四・同年9月27日、自宅で強盗を装って兄を殺害、兄の妻、父親と姉に重傷を負わせた。
第五・1942年8月30日、電車でたまたま乗り合わせた女性の家に侵入、女性と両親と弟を殺害した。
1942年10月12日に逮捕された。
*死者
9名
*求刑
死刑
*裁判
一審・死刑判決。
上告審・大審院判決。死刑判決。
*参考文献
静岡県警察史、日本の精神鑑定、異情犯罪秘録、少年犯罪データベース

<内妻連続殺人事件>
*被告人
天野孫平
*起訴された主要な犯罪
第一・1941年7月26日、三河島の自宅で内妻を絞殺し、遺体を物置に埋めて遺棄した。
第二・1942年9月19日、別の内妻とその連れ子を絞殺し、両名の死体を床下に埋めて遺棄した。
1943年10月18日、逮捕された。
*死者
3名
*求刑
死刑
*判決
一審・1945年4月11日、東京地裁判決。死刑判決。
上告審・1945年9月19日、一審差戻し。
差し戻し審・1947年4月24日、東京地裁判決。死刑判決。
1954年4月23日、控訴審の最中に死亡し、控訴棄却。
*参考文献
東京地方検察庁沿革誌


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