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AIと比較した人間の本質について

このテーマを考える重要性

よく論じられるテーマではありますが、このテーマについて考えることは、若い人ほど重要だと考えています。何故なら、AIがやがてスマホのように普及した場合、AIと同じ強みを持っていても、希少価値がなくなってしまうからです。chatGPT等の言語系AIや stable diffusionの流れを見ると、誰でも使えるようなツールになることが想像できるので、ここのスキルを磨いてもコスパが見合わないかもしれません。しかも、自己投資という側面で考えた時には、若い間に価値が薄くなることに注力してしまうと更に勿体無い事になりかねないので、このテーマについて、今ざっくり考えたいと思います。

考えが浅いかもしれないですが、その時はすみません。

少し前の人間の本質

少し前までは、人間の本質を「創造性」や「知性」と捉えていた人が多かったと思います。大学入試の現代文試験でも、そんな論調の文章が多かった気がします。しかし、イラストやプログラミング等の如何にも創造性が必要そうなものをAIにもできるとなると、話が変わってきます。だからこそ、こんなに多くの人がAIを恐れているし、話題にもなっているだと思います。調べていくと、医療関係や弁護士関係のところまでカバーしそうな雰囲気もあり、「人間の本質=知性,創造性」という定義を早めに変更しないと自分の希少価値も下がり続ける一方になってしまうなと感じています。

人間の本質=意思or行動or感情or…

情報も民主化されて、その一歩先のスキルや知性、創造性も民主化されるとなると、どんな特徴の希少価値が上がるのかを考えると、私はこれからは「定量化が難しいこと」が大事になると思っています。

「定量化が難しいこと」というのは、人の意思とか行動力とか感情とかコミュニケーション等のことです。この人と一緒にやったらなんかワクワクするとか、そういう「なんか」とつけてしまうようなことが大事になる気がします。

随分前から、堀江貴文さんは、情報の民主化時代は行動でしか差がつかないと仰っていましたが、それが更に加速する世界になるんだろうなと感じています。

これから自分はあと60年以上生きると思うので、この定性的な部分を磨いていきたいと思います。

ありがとうございました。

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