見出し画像

【片々草】ミステリー、の話3

ちょこっとだけ忙しかったり体調悪かったりで先延ばしにしていたが、改めてミステリーの話:その3。これまでの1・2のまとめのような話。執筆までブランクがあったので、言っていることに差異があったら、こちらが最新の見解ということで。相変わらずの拙文乱筆、失礼。
……気楽に書くって、なんでしょうね(今回も太文字だけ読めば内容は掴めます)。

画像1

結局、ミステリーって何?

 何度でも言うが、これは小池の頭の中のジャンル分けだということを前置いておく。そして原則として、物語のパターン分け名称=ジャンルとして話をする。

 小難しい印象で進んだこれまでの『ミステリー』の定義あれこれについて、話題に出した近しい関係にあるジャンルを横に並べてみた。上段最左、縦で並べている項目は②のミステリー作品の定義で話している部分を引き継いでいる。そしてそれらの項目に。物語の登場人物ら/読者・視聴者にとっての状況の2パターンをプラスしている。

スクリーンショット 2021-05-19 16.10.51

 『ミステリー』と『ホラー』は読者や視聴者と登場人物らの情報量や理解度の進行の足並みが揃う、ことの方が多い。ゆえに、登場人物・特に主人公と感情を共感できている気分になる。ただ、ミステリーは疑問としての事象を理解して終わり、ホラーは疑問としての事象を理解できないまま終わる。

 『サスペンス』はそもそも仕掛けの名前であるが、ジャンルとして扱われていることも多いのでこの並びに挙げた(ここに至るまでも散々名前を出しているし)。ここで重要なのは、読者や視聴者には事象・状況が読めていて、登場人物らにとっては事象・状況が読めていないという点である。このあと登場人物らが全ての疑問を解いたとしても、先行して全てを理解している読者や視聴者には、一緒に謎解きをしたというミステリーの時の体感と全く異なる。読者や視聴者は登場人物らと一緒にいる…というより神目線、物語から外野的な立ち位置で登場人物を眺めているのだ。そしてのこの外野感こそが、「なんでそこで気がつかないの…!」というハラハラや「もうちょっとだ、頑張れ…!」という緊張感を作っている。(別の言い方しているとは言え、もう一回説明することになってしまったなぁ、忝なし)。

 この3ジャンルの微妙な差異を体験するのにちょうど良い作品(?)がある。それが、ジャパニーズホラーの代表格「リング」シリーズだ。本シリーズは「リング」「らせん」「ループ」の3章で完結するのだが、「リング」はご存知の通り『ホラー』だ。残りの2作品を知らない人は多いと思うが、なんと以下の構造で構成されている。ネタバレを避けるとふんわりしてしまうので、気になったら是非読んで欲しい。書籍はそこまで怖くない。

リング:「あるビデオを見ると死ぬ」という不条理性な事象の発生
 →『ホラー』
らせん:死ぬ現象を医学的な研究により解明されるが死人は出続ける
 →『サスペンス・ホラー』
ループ:主人公が死ぬ現象の解明を科学的な見地で試みる
 →『ミステリー・ホラー』

 どれもホラーとしての不条理を抱えているが、後半2作はその不条理の理屈がどこまで解明されるかで『サスペンス』と『ミステリー』の差分ができている。ちなみに小池は映画版「らせん」はそこそこ好きだ。比較的登場人物と視聴者の情報格差はないが、登場人物らは解明されつつある謎に期待が高まる中、メタ的に視聴者は死人が出ると分かっている(謎が解明し切れていないという理解がある/納得できそうでしえないという気付きがある)ので、そのギャップに確からしい『サスペンス』さがあったように思う。

画像3

これって、ミステリー?

 ミステリーっぽいものはこの世にそこそこあるし、ミステリーを名乗ってリリースされるものもそこそこある。そんな中で「果たしてそれってミステリー?」と思う物がいくつかある。それらがどうなのか、考えてみよう。

 前回示したミステリー作品の定義というか要求事項を示しておくと、「①作中の不可思議性(疑問)を、②作中に提示された情報を用いて論理的に、③実現可能な事象として解明できるもの」である。意外と定義的には広いと思っている。

 まず、海亀のスープもとい『水平思考ゲーム』あるいは『ラテシン(ラテラルシンキングクイズゲーム)』。これはミステリーだと思う。このゲームの面白いところは、①が一見して③に到達し難いにも関わらず、②によって確かに説明可能な事象になることである。定義的にはミステリーにしていい気がする。
 そこでふと、最近ゲームマーケットで販売された『なぜなぜ?気分』を思い起こす。本作は自動生成された問題と情報で説明できてしまえば答えとして扱う訳なので、なんだか「ミステリーっていうんだろうか」と疑問を抱いてしまう。そうなるとここで、ミステリー風という言葉が必要になってくる気がする。

 ミステリーorミステリー風の個人的な感覚は、経緯含む真相が単一として(本質的に別解なく)提示された情報で説明できるかどうか、にある。コナンのいう「真実はいつも1つ!」を、提示された情報内で論理的な道筋をもって説明ができるならばミステリーだ。振り返って通常の『水平思考ゲーム』は作問者の設定する真相は単一であり、情報も解答者が十分と考えた段階で単一の答えに行き着けるのだから提示量に過不足なく、ミステリーに相違ない。え、後期クイーン的問題?それは別の機会にしよう。

 さて次に、条件列挙式の所謂『論理パズル』はミステリーかという疑問。パズルなんだから掘り下げなくてもいい気はするが、最近はパズルからちょっとだけ発展している系のミステリーもあるし、と、ちょっと難しい。定義上の①作中の不可思議性(疑問)が問題文にあればミステリーと言えるだろう。例題を考える。なお、定義の不可思議性(疑問)は、質問や問題と同義ではない。

例1)物語仕立ての問題
冷蔵庫の中の私のプリンが消失していてた!みんなに聞き込みをしたが、みんな食べていないと前置いている。プリンはいったいいつのタイミングで、誰が食べたんだろう?みんなに話を聞いた結果は以下の通り。なお、プリンを食べた犯人は嘘をついているだろう。
例2)背景あり?の問題
冷蔵庫の中の私のプリンが誰かに食べられた。以下の冷蔵庫を開けた人たちの証言から、食べた人物と食べられたタイミングを答えよ。なお、食べた本人は嘘をついている。
例3)端的な問題
以下の条件から冷蔵庫を開けた順番を推理した時、プリンがなくなったタイミングとプリンをとった人物は誰か。なお、プリンを取った人物は嘘をついている。

 上記例題はいずれも、基本的には同じような解法や解答を要求する問題文にした。条件列記の方が些末なので省略。
 印象論にはなる、例3は違うだろう。では、例2はなんなのか…ミステリーと言いたいような言いたくないような。ミステリーは物語のジャンルである=物語性が必要である、と前提しても明確に例2がミステリーではないと言えない気がする(分かっている、検証のためにちょっと遠回りに話している)。
 いや、物語性を前提とするなら、この書き物の前段にある「登場人物にとって/読者・視聴者にとって」が引き合いに出せる。ミステリーとは、登場人物/読者・視聴者いずれに対しても不可思議性(疑問)を有している物語である。読者・視聴者が謎を解くことを重視していることは前々回に話した通りだが、同時に登場人物も不可思議性(疑問)を感じていなければならない。そうなると、例2の末尾”食べた本人は嘘をついている”と言う断定条件は、解答者にとって「登場人物には疑問がない」と十分受けとれる。2はミステリーではない、論理パズルである。…ううぬ、論じている内容として多少不足は感じるが、反論は起きにくい結論だと思うのでよしとするか。

 次に、『マーダーミステリー』はミステリーなのか?ミステリーって名称なのだからミステリーでいいと思うが、物語を体験してみてから「なーんかミステリーとは言い難いなぁ」という感想の作品もある。という意味で、『マーダーミステリー』は書籍における小説とか絵本とかの”ゲーム”の形式名称であって、その中身のジャンルがミステリーなのかサスペンスなのか、色々あるのだと思う。
 ところで、物語のジャンルで整理した時に「登場人物/読者・視聴者」で分けていたが、マーダーミステリーでは登場人物=参加者になってしまうので、サスペンスが要求する登場人物/読者・視聴者の情報量や状況理解のギャップがなくなってしまうのでは?と考えるだろう。それがそうでもない。単に全員が何の秘匿性もなく犯人を探しているのであれば純粋なミステリーであるが、殺人犯や窃盗犯、暴かれたくない情報を持っている人間は、周囲の人物が暴こうとしている自分の秘匿事項に対して状況理解の格差が生まれている。とても特殊だが、秘匿事項のある人物はミステリーとサスペンスを同時に楽しんでいると言える。この秘匿事項が多い人物が増えるほど、サスペンス的な印象を作品に受けるなぁと思っている。

画像4

倒叙式=サスペンスは言い過ぎ

 前々回の「サスペンスをイメージするのに倒叙式はちょうどいい」というくだりで「別途書く」と残していたので、ここで少しだけ説明。

 改めて――倒叙式とは、倒置された叙述という意味で、物事の時間的な流れをさかのぼって記述する方法のこと。倒叙式ミステリーにおいては事件発生→犯人特定の前に、犯人が犯行に至るまでが描写される。あるいは、全てが犯人目線で描写されているものも、倒叙式と呼ばれる場合がある(倒叙式の説明中”さかのぼって”を、時間的逆行描写だと思っていると大層難しいことになるぞ)。

 倒叙式で描かれた作品では、読者・視聴者が犯人が分かった状態になる。探偵役は事件を解くために疑問を解消していく。この時、読者・視聴者の事件発生直後の理解度が「犯人も犯行の手口も分かった状態」のパターンと「犯人が分かっていても犯行の手口が分かっていない」パターンの2種類がある。前者は犯人と同じ理解度で探偵に追い詰められていくハラハラの『サスペンス』様で進むが、後者は事件発生後に探偵役と理解度の足並みがある程度揃うことで『ミステリー』として進んでいく。結局、倒叙式は描写の方法であって、ジャンル分けに入れて考える必要はない。

画像5

”ミステリー”って書いてあったら期待しちゃうこと

 色々書いてきたが、こんな定義諸々を考えて「ミステリーだ!」「ミステリーじゃねぇ!」と喋る人はあまりいないと思う。しかしして、『ミステリー』って書いてあると、事件が起きるにしろ起きないにしろ、作中に提示された情報によって謎めいたことが解決できることを期待してしまう。まあその、期待する原因をここまで書き連ねたイメージでいる。
 難易度が高いのか低いのか、刑事事件なのかそうでないのかは、問題にならない。ただ、情報が読者たる自分側に落ち切れていない時は「ミステリー風だな」とか「(ハラハラを提供しようとした)サスペンスだったなぁ」と思うし、起きたことの説明がなされずに終わる場合は「ホラーだったなぁ」と思うものだ。例えるなら、牡蠣めし食べようとして食べた結果、これは深川めし(貝類ご飯)だったという感じ。美味しく食べれてはしまうが、ガッカリする感じは否めない。
 作品を『ミステリー』として制作している人が、どのように『ミステリー』を(個人で)定義しているのか、私は非常に関心がある。まさに、『ミステリー』をめぐるミステリーだ。この文章を太文字だけでなく全てお読みいただいた忍耐力の強い方なら、私の拙い質問にも答えてくれそうだな…是非、その機会があればお話ししたいのでお声がけください(そう、そこのあなたです)。

画像6

恒例、気楽のキの字もなく、長くなってしまった。何とか気楽に書こうとすると、非常に悪ノリした/性格の悪さが滲み出る文章になることが理解できているからである…。
さて、次に何をテーマに書くべきか悩ましいところだ。ミステリーイベントについてそろそろ書こうかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?