【片々草】ミステリー、の話2
もっと気楽に書きなよって感じだが、この辺は定義的な話になるのでどうしても固め。別に、ここで話していることを一般化しようとは思わない。小池がこれまでの経験からボソボソ言っているだけである。
気楽に書いているため、と言い訳しつつ、相変わらずの拙文乱筆失礼。
ミステリー作品の”定義”
「ミステリー」の定義ではなく、「ミステリー作品」の定義について。
あまり知られていないがミステリー作品(小説)の定義に、評論家・仁賀克雄氏が提唱したものがある。定義と言うよりも、理想の展開を述べたものに近い。それが以下の内容であり、説明は小池の解釈を加える。正直、本当に上記の展開を含まない限りミステリー作品ではない、という話になると難しいものがある。ので、参考程度としておこう。
「発端の不可思議性」:物語の中核となる事件を起こすこと。事件は一見、”何がどうなったんだ?”という不可思議性(疑問)に至るほど、興味を引く謎であるべき。
「中途のサスペンス」:事件を解決に導くこと。単なる情報提示だけでなく、読者の関心を引きハラハラさせる要素を含む。ここは情報提示シーンと分かっている限り推理を重視した描写にならないので、自ずと絵面は探偵役相当が頑張って情報収集している「サスペンス」的になる。
「結末の意外性」:読者の予想を裏切って真相が解明されること。
たぶん、思っていた定義と違うはずだ。「ミステリー作品」の定義と言われたら、事件が起きて云々…や探偵役相当が登場して云々…を期待していたはずだ。その期待に応えるならば、仁賀氏が史上初のミステリー小説と指定した『モルグ街の殺人』をベースとして、”証拠と論理的な思考をもとに謎を解明する作品”であることがミステリー作品の定義としていいだろう。
個人的に要求していること
さて、とりあえず”証拠と論理的な思考をもとに謎を解明する作品”=ミステリー作品とするのは納得できる。が、個人的にもミステリー作品の定義…は言い過ぎなので、ミステリー作品に対して要求していることがある。
個人的な「ミステリー作品」の最低ラインは、「作中の不可思議性(疑問)を、作中に提示された情報を用いて論理的に、実現可能な事象として解明できるもの」と考えている。
この最低ラインは、事件解決に論理的な説明を要求する「本格派」とほぼ同等である。この考え方を私がするのは、参加者が事件を解決できる/論理的に解決できることを見せなければならないミステリーイベントを作り続けているためだ。イベントを作っていると基本的には「本格派」なのだから、改めて名乗る必要性を感じていなかったんだなぁ。……全てのミステリー作品に要求するものとしてそこそこ高いハードルである自覚はある。
“探偵役相当”の存在
先にこの話をしておきたい。
ミステリー作品で思い浮かべる登場人物と言えば、華麗に事件を調査し解明する”探偵役相当”の人物である。この人物は探偵や警察のみならず、一般人でも子供でも良い。肩書きは問題ではない。人数が多い場合は、意見が集約されて一つの結論が導き出される。”探偵役相当”の重要な役割は、導き出した解答を発生した事象に対する『最も妥当性の高い説明』=作品の模範解答として示すことである。
だが、この探偵役相当の存在はミステリー作品でマスト、ではない。
というのも、ミステリー作品の大前提は推理劇、読者が推理を楽しむことを重視している。それゆえ、最終的に作品の解答が示されるならば形は問わず、描写の工夫によって探偵役相当がいないことは当然考えうる。例えば読者挑戦型の作品や、描き方次第では…アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』が該当する(ネタバレではないよ!)。解答は作者やゲームマスター、あるいはこの物語の語部のフリをした犯人や死後の登場人物等、作品に対して“神”や”霊”的存在が語ることとなる。それで十分だ。そのため、探偵役相当の存在は最低ラインに求めない。
とやかく、考えていることを言ってみる。
「作中の不可思議性(疑問)を、作中に提示された情報を用いて論理的に、実現可能な事象として解明できるもの」とは何ぞ、という感じだが、それぞれ考えがあって述べている。長いが一応、解説をしたい。
”不可思議性(疑問)”とは
ミステリー作品において多くの場合、殺人や窃盗等刑事事件の発生後の状況である。ただ、別段物騒な事件でなければならないわけではなく、いわゆる「コージー・ミステリー(日常的な場面のミステリー:悩み事相談や失せ物の調査等)」も該当する。さらに”(疑問)”が事件周辺の情報にも覚える限り、ミステリーとして解く対象にしていいという認識だ。ただし、解明しようとする”事象”に直接関係しないのであれば、最低ラインで解けることを要求しない。
というわけで、事件周辺の情報に当たる”動機”の描写を、最低ラインでは求めていない。動機は不可思議性(疑問)の全てを解消するために必要であるものの、実現可能な事象を説明するのに直接的な関係がないからだ。ミステリー界隈ではよく「動機は事件のきっかけに過ぎず、動機があっても事件を起こすとは限らない」と説明されるアレである。だがこの言い回しには『動機は作品としてのフレイバーである/ミスリーディングの道具である』という含みがあるように感じて、時々好きではない。ミステリーに対面した人間の”疑問”が事件の発端まで及ぶなら、分かるようにするのが好ましい。ただ繰り返すが、最低ラインでは求めない。
”提示された情報”とは
”実現可能な事象”を説明するという関係から、説明を実施するのに必要十分な情報が提示されていることを想定している。この時、”不可思議性(疑問)”が作中で解決すればいいのだから、探偵役相当が説明に必要な情報にアクセスできれば十分、というわけではない。”提示”先は、探偵役相当だけでなくミステリー作品と対峙した読者も含む。なぜなら、①読者が推理を楽しむのがミステリーであるから読者も探偵役相当と同じ情報量にする必要があるため/②読者が探偵役相当の説明を聞いて「これは論理的な説明である」と納得する必要があるため、だ。
おっと、最先端or時代遅れな”証拠”や特殊な”証拠”は、その形状描写や利用方法の説明も欠かせないことを忘れずに(特に時代差のある証拠は、その証拠の存在や利用方法を知らない人にとって、図らずも情報欠如となってしまうからである…)。
”実現可能な事象”とは
作中世界の物理法則や秩序を無視しない事象を指す。作中世界が特筆なく現実と同等の様相であれば、一般的に想定される常識、通常の重力・作用反作用や順序・秩序を想定して事象を解明してよい。作中世界がSFで無重力の宇宙空間を前提にしているならば、”無重力である”等の情報の提示は必須になる。なお、秩序には人間の身体的・精神的特徴も含まれる。特筆がなければ、老若男女の一般的な身体的・精神的なモデルが適応された状態で事象の説明が可能でなければならない。
これをクリアしない具体例は、果物ナイフで首を斬り落としたり、普通の10歳女児が覚醒中の一般成人男性を扼殺したり……である。これらを『現実味がない』と表現することもあろうが、不可思議性を実現可能な事象として説明できていないので、怪奇の類=ホラーに類する作品と私は思っている(ホラーをdisっているわけではない)。
書き続けるにあたって前回の文章を読みなおしたが、ちゃんとミステリーとサスペンスと「ミステリー風」の違いを書いた方がいいと思った。そのため、次回もまだまだ続くミステリーの話。次回は「これはミステリーなのか??」について。
今度はもうちょっと分かりやすい話。
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