諦めも肝心(?)






こんにちは。

お久しぶりです。

寝不足と疲労で相変わらずとっても元気に過ごしています。

最近は涼しくなってきており、だいぶ過ごしやすくなってきていますね。たまに暑い日もありますが。

休日寝たきりの私と同じの人は、一緒にお出かけの機会を増やしましょう。



最近は人と話す機会が増えたことにより、楽しい気持ちとなんか嫌だなという気持ち両方を持ち合わせている。

例えば、発言したわずか数秒後にもっと言い返しが思いついたりする、という、学生時代に何度も経験したことをこの年になってまた思い起こされている。
きっとみなさんも日常的によくあったことだろう。

二人きりの場面で、話していない気まずい空気のときに、頭はフル回転して話題を探るが、おっもーーーい身の上話しか思いつかないのも現状だ。
自分が世間話をするときに、話しながらもうすでに『この話おもんないな〜』と思いながらも何故か話し続けていることなんてざらである。

豊かな暮らしをしている人の話を聴くので満足してしまって、私もこんな話ができるようになりたいと全く思わないわけではないが、思いつかないのでなんかもう、諦めている。

とあるバイトの子とシフトがかぶった日に、昼を一緒にすることがあるのだが、断り方が思いつかなくて流されてしまう。
自分の場合は直球に「昼は一人で過ごしたいんだよね」などと言ってしまいそうで、言い方を考えるのもだるいので、毎回まあもういいか。となる。
買い物をしたいときがあるときはそう言って断れるのだが、それも毎回やるわけにも行かず。
きっとその子も一人で過ごしたいと思っているかもしれない。
何か良い言い方が分かる方、どうかお助けください…(必死)




自分は昔と変わったな、大人になったのかなぁと思うことが増えた。

例えば中学生の頃、母親と下着屋さんで下着を買いにいったときに母親は商品を、下着屋さん特有の大きくて丈夫そうな紙袋に入れてもらっていた。下着屋さんの紙袋は可愛いけれど、街中で持ち歩くのは恥ずかしいなと思っていた。でも今は袋の収集癖があるのもあり、可愛いからとても欲しいし、めちゃくちゃ丈夫だから使い勝手もいい、ブランドの名前が書いてあって見せびらかせる、などと思っており、そこの思考回路が全然違くて、ああ変わったなぁと思う。

また似通った話にはなるが、生理用品を高校生のときから自分で買っており、最初の頃は店内で持ち歩くのもレジに持っていくのも恥ずかしくて、買うまでにそわそわしていた覚えがある。
なるべく女性の店員さんがいいなと思いながらレジをチラチラ見て、それでそもそもいなかったら別のドラッグストアに行ったりしていた気がする。
でも、いつの間にかもう男性の店員だろうがお構い無くレジに通せる。


前者のように、好きなことが増える類の変化はいいことだけれど

後者のように最初は気にしていたことでも、年々重ねることにどうでもよくなっていくこと自体、たくさんある。

それによって生きやすくはなってるのだろうけれど、諦めの意味も孕んでいるのだと思うと、多少寂しい。






ごまだんご

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