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「#ひとつだけ記事を残すなら」を通して思ったこと

山根あきら/妄想哲学者🤔 さんの企画を通して思ったことを少し書いておきたい。

人の書いた記事を、触りを読んだだけで、興味の対象でなければ読み飛ばしてしまう私は、とても失礼なことをしていたんだなと、改めて思った。

「ひとつだけ残すとしたら」と考えたとき、私はほぼ迷うことなく選ぶことができた。
しかし、投稿された記事やその理由を読んでいると、そこに込められた思いが、安易な私とは違っているような気がした(私自身はそれほど私を安易だとは思っていないが・・・)
 
とはいうものの、ではこれから先、全ての記事を精魂込めて読むかといわれると、それはできないとも思う。
 
ただ、この記事には書き手の魂が込められているかも知れないと、心のどこかで思い続けることはできそうだ。
 
私は文を書くことを生業にしているわけではないので、書き手の気持ちは私なりの理解しかできないが、写真に関していうならば(これでも一応は元プロ)、確かにシャッターを切る瞬間、私は魂を込めている(こともある)
きっと似たようなことなんだろう。
 
そう考えたとき、少し飛躍はしていると思うし、大げさないい方でもあると思うが、自分以外の人の存在を「真に認めなければならない」と、この企画は教えてくれたように思う。
流行の言葉でいうならdiversityということになるのだろうか?
その意識は持っておきたい。
 
 
今ふと「スピード感を持って・・・」や「緊張感を持って・・・」などというどこかの記者会見での常套句が頭を過ってしまった。
薄っぺらい感じを持つのは私だけなのかも知れないが、決してそういうつもりではない。
 
 
されど、きっとこれからも、見えないところで失礼な態度で接していることがあるかも知れないことをお許し頂きたい。
 
 
あー、因みに、私の文章は読み飛ばすなり、斜め読みするなり、或いは、読まなくてもかまわないのでお好きにどうぞ。

山根あきら/妄想哲学者🤔 さん、ありがとうございました。





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