自閉症スペクトラム(ASD)の特性と、おんなじゲームばかりやることの相性について

自分にはゲームで遊ぶ趣味があるのだが、今までASDという概念が自分の中に定着していなかったがゆえに過去に自分や周りが苦しんできたことがいっぱいあるということに最近気が付いた。

1.そのゲームの"ほかのプレイヤーはここが好きだ"というポイントに共感できないがゆえに軋轢が生まれやすい。

2.普通の人は流行り廃りに敏感なので、一つのゲームをたとえクリアしていなくても流行が変わればさっさと前のものは捨てて次のものにためらいもなく移れるが、自分にはそれは面白くない。

3."ここが面白い"と感じるポイントが非常に狭く、また数も少ないので好きなゲームがサービス終了or人口減などしたりすると移住先を探すのがとっても大変。

4.3番とも関係するが、はまるゲームを探すために本数をこなさなければならないので、積みゲーが尋常じゃなくあり、かけた金額もすごいことになっている。その割に毎日プレイするゲームは両手で数えるほどの本数しかない。

5.かといってプレイ時間がある割にゲームが上手なわけでもないので、他人にバカにされがち。興味があること以外どうでもいいので、武器の性能とか、隠しアイテムとか知らない知識があまりにも多い。

6.ゲーム以外の趣味を持たない場合、ゲームが上手な人は現実でも何かしら上手な技能があったりするのでそれに対しても劣等感を感じがち。

7.常同性(反復性ともいう)がすごく強いので、単純作業をこなすことでレベルアップできない要素に対してはパニックになりがちだし、できるだけスルーしてクリアしようとするのでそれができないゲームはプレイを断念することが多い。

ASDはこだわりが強く、柔軟な対応ができないとよく言われます。自分も昔はそうでしたが、最近はどうすれば全体を俯瞰できるか、現状何が足りないのか一歩引いてみる癖が尽きました。

そのうえでたどり着いた結論は、"自分にはゲームを上手にプレイする才能はない"という消極的なものでした。所詮、娯楽というものはマジョリティに合わせて設計されるものです。売れなければ話にならない。

ゲーム自体は小学生からやっていますけど、内向的な自分にピタリとはまるほかの趣味がないから仕方なくやっている節もあると感じています。
アンパンマンの主題歌じゃないですが、「何をして喜ぶかわからない」

他人とかかわることが徹底的に嫌いだと、だいぶ選択肢が限られてくるんですよね。

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