最後のデートは泣き模様
若干の息苦しさに目を覚ますと、彼女が僕に馬乗りになって、両手で僕を掴んでじっと見つめていた。
「おはよう」
僕はとりあえず挨拶する。
「うんおはよう。ねえ最後のデート、しない?」
彼女の返事は最後のデートの提案だった。僕と彼女にとって最後の一日。高校卒業と同時に付き合いだしてちょうど半年、話し合いの結果、僕たちは別れることにした。
理由はお互い口にはしないが分かっている。とても人には言えない理由……。
「最後のデートか……どこに行きたい?」
僕は彼女にデート先を尋ねながらも、頭の中にはある場所が浮かんでいた。
「そうね……せっかくだからあの公園に行かない?」
彼女が告げたデート先は予想通り、僕たちにとって思い出の公園だった。公園にはハイキングコースがあり、僕と彼女が結ばれたのはそのゴール地点。地面が紅葉で紅く染め上げられた、ひとけの無い絶好のデートスポットだ。
「それじゃあ最後のデートと行きますか」
僕は努めて明るく振る舞う。
「天気予報は……曇りのち雨」
僕は天気予報を確認する。残念ながらハイキング日和とは言えない。それでも僕たちは二人揃って窓を開けて空を見上げる。
空は天気予報とは異なり、笑顔を魅せて僕たちを明るく照らしている。
「……どうする?」
彼女は心配そうな顔で僕の顔をじっと見つめる。
「行こう。天気予報は雨だけど、空がここまで笑ってくれているんだ」
僕がそう決断すると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
僕たちが公園についた頃にはお昼を少し過ぎていた。空はまだ明るく笑っているが、天気予報と同じくやや曇り始めている。
それでも気にしない。ここまで来たら最初で最後のあの場所へ……。
十一月の冷たい風が吹きつける。まるで僕たちの心の内を代弁しているかのように、冷たく冷たく。
「やっぱり冷えるね」
「もう冬だよね」
そう言う彼女は白い薄手のセーターに赤いロングコート、すっかり冬の装いだ。最後まで天気が持てば良いのだが……。
隣を行く彼女はやや俯きながら歩く。徐々に曇り空に変わっていく空に呼応するように、彼女の表情も陰っていった。
やがて僕たちは長いハイキングコースを、若干ギクシャクしたまま踏破した。
ゴール地点には天気予報の影響もあってか誰一人いない。
「あのベンチ……」
「うん」
僕たちは周囲を木に囲まれた赤いベンチに座り、黙って空を見上げる。空は今にも泣き出しそうだった。
「今日でお別れだね」
「そうだね。でも、もう限界だったんでしょう?」
「やっぱり気づいてた?」
「うん。だから最後のデート。最後の日なのかなって」
僕はそれだけ言って目を瞑り、両手を広げる。無抵抗の証だ。こうすれば彼女もやりやすいだろう。
「殺りなよ。もう抑えきれないんだろう?」
長い長い沈黙。風に煽られた木々たちの音が響く。
「うん。でも……やっぱり、殺せない」
長い沈黙の末、彼女はそう言って泣き始めた。
そんな彼女を見つめていたら、冷たい雫が空から降り始める。僕は目を開けて空を見上げた。結局は天気予報の通り、空は泣き始めてしまった。
最初にここで付き合うことを決めた時から、彼女の異常性には気づいていた。だってあの時の季節は春。紅葉なんてあるはずがない。地面が紅く染め上げられているはずが無いんだ。
じゃあ何の赤かと問われれば、そんなものは決まっている。
血だ。
血の赤しかない。
今座っているこのベンチだって、本来は赤色では無い。ネットの写真で見た時は、キチンと茶色だったんだから。
彼女は殺人鬼。好きになった人を殺してしまう。僕はそれに気づいていながら、半年間彼女と同棲していた。だからこそ、彼女の我慢はもう限界だった。
「本当にバカだな、僕たちは」
僕は泣き腫らす彼女を、力強く抱き締める。こんな彼女を好きになってしまった僕も、好きな人を殺してしまう彼女もバカだ。ましてや同棲までし始めてしまったら、彼女の精神が削られていくことぐらい、お互い分かっていたのに……。
空はやがてゴロゴロと雷を含ませて、雨はさらに強く僕たちに降り注ぐ。
彼女は手に持っていた包丁を、紅く染まった地面に落として、必死に僕にすがりつく。僕はそんな彼女の背中を擦る。もうお互い分かっている。お別れの時……。
意を決したように、彼女は僕の体から離れて立ち上がる。顔は今だ濡れたまま……。その顔を隠すように後ろを向き、来た道をゆっくりと歩き出す。
「今までありがとう……夢のような時間でした」
彼女が最後に言い残したその言葉が、雷雨のように荒れた僕の心をより一層ざわつかせた。
朝に僕の首にかけられた彼女の手の感触を思い出しながら、雨に紛れてそっと頬を濡らしていた。
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