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一般化と個別解

大学の教員の仕事には、教育と研究と校務という3つの仕事がある。教育は、授業を通して学生に教えること。校務は入試や学内の業務改善や人事など。そして研究は、学問の進展に貢献すべく研究活動を行ない、論文を書き学会で発表すること。ざっくり言うとこんな感じ。

研究において重要視されるのは、客観性。十分なデータを取って仮説を科学的に検証する。導き出されるのは一般化された解だ。

例えば、社会系だと企業研究。特定の分野の企業をある程度の量で調査分析し、うまくいっているところと、うまくいってないところの理由を探る。(かなり、ざっくり言うとです。)「ビジョンを定義し社内浸透している会社が優れている」「B/S重視の経営をしている会社が儲かっている」「多様性が高い会社はイノベーションが起きている」

そして、それらに名前を付ける。『ビジョン経営』『BS経営』『多様性経営』など。

たまたまその時代の優れた会社の傾向から導き出された一般解である。間違ってはいない。しかしほとんどの場合、対象とされた企業は、それを目指してやってきたわけではない。いろいろ悩み、挑戦し、試行錯誤したうえで採用していた手法である。そうした優れた会社は、日々進化を続けるので、論文に書いてあることは既に古い情報であることが多い。

自分で挑戦しない企業は、『〇〇経営』が流行ると、本を買い、朝礼で披露し、セミナーにでかけ、研修を受け、できたばかりの認定試験を受け満足する。
「他の会社はどうしていますかね?」「一般的な会社がやっている方法を教えてください。」そうした問いをお金を払ってコンサルタントに相談するより、自社の課題を自分たちで整理したうえで、「これをこうしたいが、効果的な手法を一緒に考えてくれ」の方が良い。自社内に考え方、進め方のノウハウが残る。

手法をパクるのは良いことだ。けどそこで止まってはいけない。自社流に変更が必要だ。答えは、いつも個別解。

話を研究に戻そう。
研究たちの悩みは、一般化と個別解のはざまにある。一般化を行なうことはもちろん重要であるが、現実の特定のものに適用する場合は、個別の環境、事情、資源をよく考えたうえで適用してほしい。だから優れた社会系の学者はいつも現場にいる。

繰り返すが、答えは、いつも個別解。
そして、答えの先は日々刻刻と変化している。

悩む、課題を定義する、解決案を考える、実行してみる。このサイクルが唯一の正解なのかもしれない。

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