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レンタル公務員 村橋友介さん。人と出会い、共に頭と手足を動かして、経験を“生きる力”に換えていく【熊本県阿蘇市】

青いつなぎに、使い込まれた運動靴。
キャップの下にはニコニコ笑顔。
依頼があれば、あっちにこっちに駆け回る。
公務員の村橋さんが、「生きる」と向き合って踏み出した一歩。
(取材・文・撮影/たんぽぽのしおり 家入明日美)

レンタル公務員って、なに? 

レンタル公務員活動中の村橋さん。

村橋友介さんと出会った人の大半が、その肩書に首を傾げることだろう。筆者もその中のひとり。もらった名刺の似顔絵と目の前の本人の笑顔とを見比べながら(ものすごくそっくり!)、頭の中は無数の「?」で埋め尽くされていた。

レンタル公務員としての村橋さんの名刺。
Instagram:@rental_aso

熊本県職員。それが、村橋さんの公の肩書だ。2年間の県庁勤務を経て、2021年に阿蘇地域振興局に異動。地域振興関連の業務に携わっている。「レンタル公務員」は勤務外活動という位置づけ。庭の草取りからイベントの手伝い、大工仕事まで。内容は多岐にわたるが、「手を借りたい」という人に、村橋さんを「レンタル」してもらうというもの。副業ではなく、無償でのいわばボランティア活動。

2022年1月から本格的に活動開始。レンタル先は、知人やSNSで知り合った人。そのうち、活動でつながった人から別のレンタル先を紹介されるなどして、半年ほどで20件近くの依頼に応えてきた。

村橋さんの活動の根っこにあるのは、「生きる力。大げさでもなんでもなく、20代後半の青年がさらりと口にすることに、静かな感動を覚える。村橋さんがこれまでに出会ってきたさまざまな人を、暮らしを、地域を、自分自身を見つめて辿り着いた、大切なキーワードなのだと感じられるからだろう。

自らの目で見つめてきた地域と人。「やりたいこと」を自分に問いかけて

生まれは、熊本県の海沿い、天草地方。小学生までを長崎県で、中高生時代を大分県で過ごし、大学進学を機に鹿児島県へ。実は、当初目指していた学部には入れなかったそうなのだが、「様々な国と交換留学を行っている学部があったから、そちらに切り替えて」受験を突破。そして大学1年生で1ヵ月、3年生で1年間ドイツのミュンヘンに留学。思い返せばこのときの経験から、いまにつながる多くの学びを得たと村橋さんは言う。

平日でも、父親が家族と過ごしている。公共交通機関には、あたりまえにベビーカースペースがある。東京一極集中型から脱しきれない日本と比べて、ドイツでは各州がそれぞれに栄えているように感じられた。特に仲が良かったイタリア人の友人に誘われる形で、イタリアにも行った。観光地ではなく地元の人が日常を営む場所に立ってみて、日々を生きる人の楽しげな姿が印象深かったそうだ。

卒業後の進路に迷っていたという当時。ドイツでの日々を経て「自分はなにをしたいのか」と自問を繰り返す中で、「地域」「人」へと目線が向かっていった村橋さん。それらの要素をつなぐ手段のひとつとして、公務員を目指す。

着目したいのは、村橋さんが「なりたいもの」ではなく、「自分のあり方」「やりたいこと」に焦点を当てているところ。進学も就職も、それ自体は目的でなく通過点のひとつ。そう位置づければ、失敗も挫折も経験値となり、「減点対象」でも「ダメなこと」でもなくなるのかもしれない。村橋さんの話の中に、現代社会を漂う息苦しさの正体のようなものが垣間見える気がする。

エネルギーあふれる地域の人たちとの出会い

さて、晴れて県職員となった村橋さん。待っていたのは事務仕事に忙殺される毎日だ。県ともなれば、集まる情報は膨大。それらをデータとして処理することも、必要で大切な業務であることは理解できる。しかし、「地域で何が起こっているのか、どんな人が暮らしているのかが見えてこない」。残業が重なり、たまの休日には街中に繰り出して「お金を使うことでストレスを発散していた」と苦笑い。「何のために生きているのか、わからなくなっていました」。

異動先に地方を希望したのは、「人の顔が見える場所で、地域に関わる仕事をしたかったから」。祖父母が住む天草地方を希望していたものの、ふたを開けてみれば阿蘇地方勤務。海と山、両極端な環境だったし、「阿蘇」と呼ばれるエリアが意外に広い(阿蘇市を含む7市町村)ことも知らなかったと話すが、「ここに来てよかった! 阿蘇が大好きになりました」とにっこり。そう思わせてくれたのは、やはりこの地域で出会った人たちだ。

「阿蘇には面白い人やすごい人がたくさんいる」。地域の人たちのエネルギーの高さについて、村橋さんは興奮気味に言葉を重ねた。「宿をやっているAさん、珈琲の焙煎をしているBさん、農家のCさん、観光分野で活躍しているDさん……」。村橋さんの頭の中には、その人たちの顔がはっきりと浮かんでいることだろう。

自分の頭で考え、手足を動かし、実現に向かっていく人たちの姿は、かつて村橋さんが過ごしたドイツで出会った人たちに通ずるものがあった。「ドイツは店が閉まる時間が早かったりして不便なこともあるけれど、いろいろなことを自分でやるという人が多かったように思うんです。阿蘇の人たちも、同じだなって」。身近なところに、すごい人たちがいる。「外(海外や都会)に向かっていた意識が、内(地方)に向かっていったのは、この頃からかも」。

仕事として地域に関わる中で、地域の熱量の源となっている人に出会った村橋さん。さらに一歩踏み込んで、「自分もそこに加わりたい」という思いを強くしていく。「仕事で挨拶に行く。それだけじゃ、地域の深いところに関わるのは難しい」。感染症の収束が見えないなか、やりたかった地域振興イベントの企画もままならない状況。だからよけいに、“役場の人”という肩書を超えて、「地域の当事者」になれる方法を模索していた。

経験の積み重ねが「生きる力」になっていく

なにかやりたい、という思いを阻んだのは「誰かの役に立てる専門的な知識・技術・経験をなにも持っていない」という事実だ。なにかやりたい、でも、自分にできることってあるのだろうか?

他県在住のとある公務員が、ライフワークとして「地域のなんでも屋」活動をしていると知ったのは、そんな折。「これだ!」という直感に従ってすぐに連絡を取り、本格的に構想を練ること2ヵ月で「レンタル公務員」を始動させる。

いま必要なのは、知識でも経験でもなく、一歩踏み出して動くこと。いまの自分で、体当たりすること。経験は、動いた分だけ積み重ねていける。

「実績なんてない自分に、興味を持って声をかけてくれるのがすごくうれしい。一緒に頭や身体を使って、仕事や暮らしについて話して。人とつながれるって、お金じゃ得られない価値だと思うんです。活動を続けるうちに、自分が人と人をつなぐきっかけになれたこともあって、すごくうれしかったなぁ。週末はほとんど、レンタル公務員活動。もう本当に、楽しくて楽しくて!」。

世間から注目されるような特別なことをやっているつもりはない。「自分がいま、できること」を精一杯やるだけ。そこには、等身大のエネルギーの交流が生まれているように感じられる。

■取材に伺った日のミッションは、「ゲストハウス敷地内をキャンプサイトとして活用するための草刈り」。草刈りというより、もはや開墾(笑)
依頼主:おまめ庵(南阿蘇村)
Instagram:@omame.an

依頼人も一緒に。
刈払機もお手の物。
依頼主お鉄製の梅ジュースで休憩。

これが正解じゃない。模索はこれからも続く

活動を始めるに際し、「焦りのようなものもあった」と村橋さんは打ち明けてくれた。一般的には「安定している」という印象を抱く人が多いだろう、公務員の仕事。ではその安定を保障するものは、なんだろうか。さまざまなものの見方があるだろうけれど、「お金があっても生きていけない時代」が、明日こないとも限らない。何が起こっても不思議ではない、世の中の不気味な流れ。それに対抗しうるのは、もしかしたら、お金よりもっと根源的な「生きる力」なのかもしれない。

たとえば、鍬で土を耕すこと。たとえば、スーパーに並ぶ野菜の旬を知ること。たとえば、自分の言葉で自分の考えを話すこと。たとえば、会いたい人に会いに行くこと。そういう意味では、村橋さんの「生きる力」は格段に、そして驚くべきスピードで上昇していることだろう。

もちろん、「お金の大切さを否定するわけじゃなくて」。お金は大事。お金があることで、可能性や選択肢を広げることもできる。目的よりも手段としてのお金の価値に、ほんの少しだけ重心を傾けてみたならば、目の前に広がる世界が違う色を帯びてくるのかもしれない。

村橋さんにとってのレンタル公務員活動もまた、手段のひとつ。「これが正解だとは思っていないので」。模索はこれからも続いていく。

レンタル公務員活動は、インスタグラムで発信中。(画像提供/村橋さん)

いまよりほんの少し自分を好きになれる道へ

絶対的に正しい答えがあるならば、きっともっと人生は楽だろう。わからなくて、悩んで、迷って、ぶつかって。それはある意味ではしんどいことかもしれない。けれどその中に、「楽しくてたまらない」なにかに出会うことができるかもしれない。

そうしてもがきながらでも、経験として時間を積み重ねてきたことをいつか認めてあげられたとき、いまを生きる自分を、ほんの少し好きになれる気がするのだ。

■レンタル公務員活動より一部抜粋

(画像提供/村橋さん)

杖立鯉のぼり上げボランティアのお手伝い。
宿づくりのお手伝い。
田植え作業のお手伝い。
壁の漆喰塗りのお手伝い。

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