学びにおける“コスパ”追求の落とし穴

人々は効率的に学びたいと思うものです。つまり、「学びのコスパ」を追求します。しかし、僕の最近の経験からすると、それは結果的に「コスパが悪い」結果をもたらす可能性があると感じています。この話を通じて、コスパを追求することの危険性を示したいと思います。

つい最近、僕はあるインターンシップに参加しました。その内容は、企業が実際に抱える課題を取り扱い、それを何度もプレゼンテーションするというものでした。プレゼンは僕の得意分野であり、人前で話す技術は自分の強みだと考えていました。

しかし、インターンシップを通じて気づいたことがあります。それは、「話す能力」はあくまでプラスアルファで、重要なのは「本質を見抜く力」だということです。僕が得意と思っていたプレゼンの技術は、結局のところ小手先の技術であり、実際の問題解決には不十分でした。

これは僕だけの経験ではありません。多くの場合、データ分析や調査能力など、地道に思えるスキル習得は一見「コスパが悪い」と思える学習は結果的に高い評価を得ることが多いのです。これらのスキルは、表面的な技術以上に深い洞察力や理解を必要とします。

これは学習における一般的な法則を示しています。すなわち、一見効率的でないと思われる学習方法や時間を投資することが、結果的には最も価値のある結果をもたらす可能性があるということです。一方で、表面的なスキルを得るためにコスパよく学ぶということは、より簡単に得られるスキルであり、他社との差別化にはならないんです。だってコスパいいんだから。

結論として、学びにおける「コスパ」を追求することは、誰でもたどり着けるような場所にしか行けない、表面的なスキル習得になります。深い洞察力や理解を得るためには、一見「コスパが悪い」と思える学習方法や時間投資が必要であることを忘れてはなりません。それこそが、真のスキル獲得につながるのだと考えます。

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