日本の社会はパートの主婦が支えてきた

我が家は共働きでした。

母は私達姉弟が小さいころは、自宅で造花作りやアーケードゲーム基盤のはんだ付けの内職をしており、小学校にあがってからは家のお向かいさんが始めたそば屋や、家の近くにある工業地帯でのパートタイマーを続け、65際になるまで働いていました。

そして私は、氷河期の真っ只中に文系の大学を卒業してしまい、就職先が決まらないまま社会に出てしまいました。

28歳で初めて正社員になるまで、フリーターとして職を転々とするのですが、地元の北埼玉には工業地帯が多く、東京の企業の生産拠点や流通センターなどが数多く集まっていました。

私がフリーターとして働いていたのも、また母が晩年働いていたのも、このような田舎の労働集約の現場でした。

当時はまだ20世紀。派遣業法改正の前でした。

私が働いていた某流通センターでは、私のようなフリーターや学生のアルバイトも多くいましたが、最も多かったのは、母のような主婦のパートタイマーでした。

時給も田舎ということを差し引いても決して高いわけでもない単純作業でしたが、彼女たちは文句を言うこともなく、テキパキと真面目に働いていました。

当時の私は社会を全く知らない幼稚なダメ人間だった上、このようなルーチンワークが本当に苦手だったため、仕事に対してよく文句を言っていたものですが、大学を卒業して仕事がないようなご時世に、つまらないかもしれないけど仕事があることをありがたいと思いなさいと、パートの彼女たちによくたしなめられたものでした。

ある意味、この流通センターは、まったく未熟だった自分にとって、社会の仕組みやルールを学ぶ場となっていました。

外から見れば、新卒で就職に失敗した負け組の負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、男性(夫)同様に家族の生活を守り豊かにしたいと、真面目に働くパートタイマーの人たちの存在は、多くの男性がそう思っていたように、女性によるパートタイム労働を一段低い仕事とみなすことを修正するきっかけとなり、その後の「働く女性像」の基盤の一つとなりました。

そして私は、戦後日本の量産と物流は、彼女たちのような低賃金でも文句を言わず働く「パートのおばさん」が支えていたという真実に行き着きました。

さて、このようにパートの主婦たちが大半を占める労働集約で働いた経験もあるので、昨今取りざたされる「女性の社会進出」という言葉に対し、私は非常に違和感を抱いています。

先程も言いましたけど、日本の製造や物流の現場では、多くの女性達が活躍していました。

確かに彼女たちの地位は高くはないでしょうし、パートタイマーではありますが、企業は彼女たちの労働力をあてにしていましたし、日本の資本主義社会構造の一部として必要とされていた存在でした。

このような女性たちの活躍を横に置きながら、閣僚や会社の役員の半分を女性にしろなどと、本当に有益なのかどうかわからない素っ頓狂な議論が出てくるのは、若い頃に労働集約の現場を経験してきた自分としては鼻白む思いです。

当たり前ですが、仕事というのはオフィスワークのような知的労働ばかりではありませんし、まして高級な職業ばかりではない。

むしろ東京の人間がオフィスワークで高給を稼ぎ、きらびやかな生活ができるのは、地方のパートタイマーの人たちが薄給で働いてくれるからであるとさえ言えるかもしれません。経済とはそういうものでしょうし。

もし本当に女性の地位向上を言うならば、このようなパートタイマーの主婦たちの待遇改善、すなわち扶養控除の見直しなどを主張するべきではないのか、と私は常々思っているのですが、この手の意見を述べているのは少数で、むしろ女性の地位とか関係なく、賃金をあげるべきというインフレ論者が述べている傾向があるように思います。

自分も某大手IT企業で働いていたときに、いわゆる「ガラスの天井」を目の当たりにしたり、様々なセクハラを見聞きしてきたので、オフィスワークや都市労働での女性の地位向上も速やかに進めるべきだと思います。

しかし、一部の都市在住の人たちの、例えば一流大学を出て、男性のような出世コースを進んできた女性のような、一握りのエリートたちの待遇をもって向上したしないを論じるのは、なんとなくズレた印象を抱きます。

これら女性問題を論じるマスコミや社会学者、議員は都市に多くの支持者を抱えているので、どうしても都市圏で働く女性のロールモデルに言及するにとどまっているのかもしれませんが、もっと視野を大きくもって、私に働く意味を教えてくれたパートタイマーの女性たちを気持ちよく稼げるような社会の実現に向かって頑張ってもらえればなと思うわけです。

ガラスの天井に関しては、また後日お話することにいたします。それでは。

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