書く予定
こんにちは。
書こうと思っているトピックを箇条書きしておこうと思います。骨子というか下書きを殴り書きしておきます。
読みたいトピックや質問があれば、コメントいただけたら幸いです。
そのトピックについて優先的に書き始めることになるかもしれません(筆が乗るかどうかは自分で制御できないので何とも言えませんが…)
・自分の今の異常性
-できることとできないことの差が激しい
-本質的に、人を信用するのが難しい
-自分のことを理解してくれる人は限られていると思う
・自分の今の異常性を構成する要素3つ
①ADHD
②高知能
③大人を信頼できなかった
・二次的に発生している困りごと集
-易疲労性/長時間睡眠者
基本的に疲れやすい、沢山の睡眠が必要
起きている時は基本常に頭の中でぐるぐる考え事をしている
不安や心配が大きくなると頭のリソースのほとんどがそれに捉われてしまい、他の事が手につかなくなることも
・世界の見方がどうやら違うらしい
-未知のものに対峙した時や、新しいアイデアを練っている時が一番興奮する(多分普通の人はそうではない)
知的好奇心が満たされたり、今まで知らなかったものに触れたり、今までなかったものを生み出したりすることで得られる興奮以外の意味がないと考えている(多分普通の人はそうではない)
-物事をメタ的に捉えがち
「視点が違う」というかなんというか
「意味」「意義」「理屈」「ビジネスモデル」「感情の変化」「テーマ」といった、概念的な観点から物事を理解しようとしがち
-でも別に地に足がついているわけではないので、時折頓珍漢なことを言う
-一般の人が重視すると思しき「安定」とか「安心」みたいなものの重要性が本質的にわかっていなかった(今もわかってない)。
「安定」とか「安心」が重要であること自体は理解可能だが、「未知との対峙」に比べると取るに足らないものだと思っている。「未知との対峙」だけやってればよくね?とさえ思う。
-そういうわけで、定型発達の皆さんとの距離感が掴みにくい
やはり、見ているポイントが根本から違うと感じる。というか最近になってようやく、多くの人が安定を重視している意義と理由に気付き始めた。安定を重視する気持ち、分からんではない(了解はできるが、理解はできない)。「未知と対峙しているときが一番楽しい」みたいなスタンスがない
別の生き物じゃないかと思うこともある。
・ここではないどこかに行きたい
-自分探しと称していろいろやってみたが、根本的になにかが満たされたわけではなかった
-「未知」のケツを追いかけ回しても、どうにもならない
私は「未知」しか追いかけていなかった。「未知」から得られる興奮は何物にも代えがたいが、それはインスタントなものでしかない。より大きな興奮を求めるだけの中毒者に過ぎない。興奮を生業に繋げられれば良いのかもしれない。しかしそんな器用なことは今のところできていない。
-逃げろや逃げろ、どこまでも(そして根を張れ)
社会の維持のためには、安定性が大事なんだなあとしみじみ感じる。日々決まったアウトプットを出すことが大事。そのためには落ち着いた環境が大事。それをやりたいと思わなかった。思えなかった。「逃げろや逃げろ、どこまでも」は、根本的な解決にはつながらない(対処療法としては大いに効くが)
-自分探しの終わり
幸い、自分や周りのことを説明できるだけの分析・言語化能力とかが身に付いたので、自分を説明できるようになった。「社会やっていくには安定した食い扶持持ってた方がよくね?」ということに最近気付いた。そろそろ必要なのはどうにかして根を張ること。どこかに根を張ろう。具体的な案は存在しないが。じゃあどうすんだという話だが。
・ADHDだと気付くまでの過程
-「勉強」とか「アイデア出し」等のスキルは「事務仕事」とか「時間を守る」等のスキルの上位スキルでは無い事を疑うことができなかった。なんなら今もちょっと信じられないし、受容しきれていない
-でも、別スキルらしい。スキルツリーだと別の分かれ方してるっぽい。
・回り道スキルの手札を増やす
-今の現状
「みんなできるはずのことができない」ことが凄く不安。どういうトリガーでできなくなるのか把握できてない。つまり、「どういう入力があった時に出力がバグって困るのかわからない」ということ。自分に自信がない。行動できない。つら。
-if ○○ then ××
というわけで、「脳に入力する天下り的なプログラム」を沢山構築しようと思う。ライフハック的な手札を蓄積していく作業をしようと思う
おそらく、終わった後に報酬が用意されていることが非常に大事だと感じる(ADHDが低報酬のタスクをできないのはおそらく低刺激の報酬がでないようになっているから)。あと一歩目を軽くする。
-例)有酸素運動後2時間は作業できるのを利用する/終わった後にご褒美を/人を巻き込む/死を意識する/コンサータ
・幼少期の養育環境について
-自分よりもっと酷い環境で育った人々のことを考えるといろいろややこしくなるので、「酷かった」「恵まれていた」といった相対的な単語は使わないようにしようと思う。淡々と事実だけを語ることにする。
-まだ向き合えてない
・「2Eギフテッド」という言葉について
-「ギフテッド」という言葉をあまり使わない方がいいと考えている(理由は後述)。そのため、この言葉で自分をラベリングすることに対しては抵抗がある
-そもそも「ギフテッド」という言葉の定義が曖昧である。少し知的能力が高いだけの人もいれば、養育環境に恵まれただけの人もいるし、本当の神童(イデア)のような人間もいる。特定の何かだけが得意な人もいる。本国では、それらをひと括りに「ギフテッド」と定義している節があることは否めない。彼らの対処法は十人十色と思われるが、安易に「ギフテッド」とレッテルを張ってしまうと誤った対処法が提示される恐れがある。
-専門家や当事者などの幅広い意見を聞き、自分を理解し、自分に合った対処法を行うのが望ましいと感じる。もちろん簡単な作業ではない。だが、少なくとも「ギフテッドだからこう」と天下り式に対処すべきではない。
-しかし、この世に存在する言葉の中で、自分を表すのに最も適した言葉は「2Eギフテッド」だと思う。自分と同じような人間との接点を確保するにはこの言葉を用いるのが最も効率的。多少不本意ではあるがそういう発信も行うべきかと。
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