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立秋 第三十八候 寒蝉鳴

立秋の次候 ひぐらしなくは 八月十二日から十六日頃。ですが、これを書いている今日は、実は八月二十三日。もう処暑です。
日本では大変な雨が降ったりしているというのに、タイでは雨が少なめで空の息吹とでもいうようなものが、めっきり弱くなっているような気がし、そんな衰えを感じているところに、終戦の日がやってきてそれに因んだテレビ番組などを見ていると、少し絶句するような、しんと静かな仄暗い時間が迫ってくるような気がして、黙して日々を過ごしてしまいます。特に今年は十五日に、日本のあちらこちらで大きな水害が起きて、色々な場所で行われる平和と鎮魂の花火大会も中止となったと知り、喉が塞がれてしまうような心地で、いつも以上にただ黙して過ごす数日となってしまいました。

おりしも北タイでも山間部で鉄砲水が出たり、終日青空がみえない暗い曇り日という、かつての雨季にはほとんどあり得ないようなお天気が一週間近くも続いたうえに、バンコクとその周辺での一向に落ち着かないCOVID-19の感染拡大や、散発的に起きる、しかもその発生の仕方も以前と変わってきたクラスターのニュースなども続いて、余計に「黙す」という感覚に囚われてしまうようだったのです。

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この時期の七十二候は、ひぐらしなくでしたが、タイでセミがよく無く時期は暑季の後半五月頃。雨季になるとむしろ日本では秋を感じる虫たちの音の方が聞こえるようになるのですが、お天気が悪かったせいでその虫たちの音も控えめ。
ひぐらしの声はどこかさみしく、その声そのものより、そのあと先の静けさや侘しさを感じさせる気がします。
ひぐらしはおろか、セミや秋の虫の音さえ控えめだったこの期間。「黙す」感覚そのものは、もしかすると七十二候どおりだったのかもしれません。

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