「日常」と「自分の時間」と「夢中になれる時間」

 緊急事態宣言が出て、Stay Homeが叫ばれ、私たちは、今多くの人が「自分の時間」をたくさん持っていることと思う。

 「自分の時間」を持つ、ということは、私にとって少し前までは高級な贅沢品のようなものだった。日々、仕事や仕事にまつわる雑事、そして家事に追われていた。誰にも文句を言われずに「自分の時間」を持つために、そしてそれを充実した時間にするために髪を振り乱して動き、結果手に入れた「自分の時間」は残りカスのようにちょっぴりで貧しいものだった。そしていつも、面白くない思いを募らせていた。こんなに頑張っているのに、なんで報われないのだろう。

 持てないときは渇望していた「自分の時間」が、今はたっぷり存在している。持て余してしまうほどに。

 この時間がたくさんある中で、自分を再認識する機会も随分あった。例えば、私は思っていたより身体のトレーニングを欠かさないんだなとか、料理は、「食べられれば良い」という感じで、時間があるからチャレンジしてすごいものを作ろう、というタイプではないんだな、とか。

 きっと私だけではないだろうと思うけど、現在の自分と向き合うだけでなく、そこから未来の自分のことを考える良い機会になっている。

 もうしばらくして仕事が再開したら、私はスタジオに戻りダンスを教える日々に戻るのだろう。そして忙しく事務作業に振り回される時間も来るのだろう。私はそれを望んでいるのだろうか。5年後は。10年後は。

 私たちの仕事は、人々の趣味を充実させるもの。人々を日常から解放して、ひと時夢の世界を楽しんでもらうもの。では、私が日常から解放されて楽しみたい夢の世界とはどんなものなのだろう。

 多分、私が欲しい日常の「自分の時間」は、ゆっくりお風呂に入ったりとか、好きな色のマニキュアをゆっくり塗ったりとか、好きな海外ドラマをじっくり見たり、といった日常生活を誰にも急かされないでできる時間。

 では私にとって日常を忘れるような夢の時間とは。うむむ。残念ながら、全く頭に浮かばない。これまで、ダンスが仕事であり楽しみの全てだったから。でも、他にも時間を忘れるくらい夢中になれることを見つけたい気がする。

 せっかく時間がたくさんあるのだから、それを生かして夢中になれることを探していきたい気持ちになってきた。

 「自分の時間」と、仕事も含めた「日常」と、「夢中になれる時間」。その全てが、本当に自分の望むものなのか、その中で私の心は平和なのか、今こそ、考える時だ。

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Yuka
よろしかったらサポートお願いします。外からはそう見えないだろうと思うのですが、案外肝が小さく小さい人間です。でももう少し、自分に自信を持って生きたいです。