ルックバックと自称クリエイター
本文は映画評と言うより、ルックバックとそれを見た自称クリエイターの関係性について私の意見を述べたものである。あなたを傷つけるかもしれないので悪しからず。
まず映画を見る前の私の状態を説明しておく。私はこの映画を完全に知らない状態で見ていない。映画化以前からこの作品がすごいと又吉がYouTubeで紹介する動画を見ている。あと、前評判で「全クリエイターの苦しみが詰まってて泣ける」みたいなしょうもない感想が跋扈していて、私のような人間がそれを外から冷笑していたのも知っている。
結論から述べると私はクリエイターでは無いからなのか上のような感想にはならなかった。誤解のないように言っておきたいのは、映画自体は面白かったということだ。
俺がいいたいのは、上のような感想を述べたやつは、クリエイターを名乗るならちゃんとメタの視点で映画を見るもんじゃないのか?ということである。多分この映画はクリエイター云々関係なく誰もが共感できるもので、特別クリエイターを泣かせようという作品では無いと思う。実際私は藤野が絵に没頭し、友達付き合いが疎かになっていく様を、受験勉強に置き換えて共感することが出来た。世間でよく見られた感想は自称クリエイターが、「クリエイター」というものを自己正当化の過程で神格化した上で成り立つ感想だと思う。その苦しみはクリエイターに限ったものだろうか?
上で述べた共感とはあくまでルックバックという作品の中身、登場人物に対してであり、作者である藤本タツキに対してでは無い。自称クリエイターの目線で本映画を見るならば、藤本タツキの方に競争意識を持ったり、共感したりするべきだと思う。
お前の名乗るクリエイターの上の方には藤本タツキがいて、本来なら映画を見て悔しがったり、何かを得ようとするもんだろ!と思う。
クリエイターを名乗らない私ですら藤本タツキの才能に少し嫉妬しているのだから。
私は映画に対して造詣が深くないので、あまり偉そうなことは言えないのだが、自称クリエイターを名乗っておきながら、エンタメを受け手としてしか受け取れていないのはおかしくね?と思った。
要するに口だけのクリエイターなんてものはいっぱいいる、ルックバックに関係するクリエイター、藤野や京本や藤本タツキを過度に神格化するべきでは無いが、彼らとの間に大きく違いがあることを自覚した方がいい。お前らは世間に発見されていない。少なくともその点において、共感という手段を用いて、同じ立場に立とうとすることはやめていただきたい。