他人のためのノートはダメ?

今日は久々に「教育」に関する投稿をします。
職業柄、他の人のノートを見る機会がたくさんあります。そして、こんな質問をよく受けます。

「どうすればよく分かるノートがつくれますか?」

その質問は全人類が悩んでいるかのような悩みのようで、本当によく受けます。しかし、僕はその質問に対し、まずこのように返します。

「そのノートは自分のためのノート?」

こう聞くと、たいていの人は、

「はい」

と答えてくれます。そりゃそうですよね。他人のためのノートを好んでつくる人はいませんよね。
しかし、次にこのように聞きます。

「そのノートは他の人に見せることも想定したノート?」

・・・・・・一瞬、時が止まります笑
え、どういうこと?というような空気が流れます。
僕はこう続けます。

「そのノートは自分のためのノートであるならば、他の人は見ないよね?だから、他の人に見せることもあるの?と聞いたんだけど」

ここでやっと理解するようで、たいていの人――肌感覚では5人に4人程度――は、他の人に見せることもあるかも、と答えます。

こう答える人には、
あなたのノートは「自分のためのノートをつくりたいと思っているようで、実は他人に見せるためのノートになっていませんか?」と問いたい。
つまり、他人に見せて、「わぁ~わかりやすいノート!」と言ってもらいたいノートを目指してないかな? ということです。

ノート――まさにこのプラットフォームはnoteなのですが――とは、メモという意味であり、自分の中でメモをするためのツールがノートのはずです。しかし、いつの間にか体系化され、シュッとした、スタイリッシュなものを作成し、他人に見せて優越感や満足感を得ることを目的としたノートづくりになっていないか、と強く思います。

かく言う僕も、このnoteの文章を書くために、いつも小さなノートにメモ書きをしているのですが、そこへはなぐり書きの字で「ノートはみせたいで書いてはダメ」とだけメモしてあります。それを基にこの文章にしています。

まとめると、冒頭の「どうすればよく分かるノートがつくれますか?」という質問に対する模範解答は

「あなたが何を目指しているかによって変わる」

です。もし、他人に見せることを想定していないのであれば、体系化したり、綺麗にまとめたりする必要はなく、なぐり書きでぐちゃぐちゃでもいいはずです。現に僕の手帳やノートはそんな感じです。他の人に見せることは一切想定していません。ところが、他の人に見せて、「いいね👍」をもらいたいと思った時点で、それはもう自分のためのノートではないのです。

ちなみに、このnoteは、他の人に見せて、「スキ💕」をもらいたいための文章です笑

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