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2024年5月の日記~「知ることで景色は変わるが、中途半端な教養は地球を壊すことを実感」号~

5月*日
贔屓のラグビーチーム「リコーブラックラムズ東京」。
12月に始まったシーズンも最終第16節を迎え、秩父宮にみんなで応援に出掛けた。

我らがラムズは現在12チーム中10位。最終戦を待たずして「入れ替え戦」への出場が決定している。5月末に行われる、文字通り「生きるか死ぬかの最終決戦」のためにも、いい試合をしておきたいところ。
この日の相手は7位のトヨタヴェルブリッツ。40分ハーフの試合は、前半奇跡の頑張りを見せ続け、8対12の僅差で折り返した。
後半12分にはトライを決め13対12と逆転。ラムズのホームゲームということもあり、スタジアムも俄然盛り上がったが、終わってみれば18対45で惨敗してしまった。
毎度のように繰り返される崩れ方を見ながら、負け慣れることの怖さを思う。前半を踏ん張り、後半逆転したときには、選手も思ったのだと思う、「これ、行けるんじゃね」と。でも残念ながら、負け慣れているが故に、そこへの「行き方」が分からない。なので、アタフタしちゃう。瞬く間に逆転されると、あとは「いつものスタイル」。慣れたペースで試合を運び、順当に負けた。
私はヨーロッパのサッカーも好きでよく見る。中でもレアルマドリードが贔屓だが、マドリーはラムズの逆で、「勝ち慣れているにも、程がある」。だから主力選手が抜けても、どう考えても劣勢な状況でも、そう簡単に負けることはない。試合に負けて勝負に勝つことも、度々ある(先日のCL決勝もそうだった)。勝者のメンタリティがチームに息づいているのが、傍で見ていても分かる。勝者のメンタリティって、どうやって注入するのだろう。
 
5月*日
「高岡みなみ」を知ってくれている人は、もうだいぶ少ないと思う。
アソブロック設立初期に、私のアシスタントをしてくれていたメンバーで、皆さんに大変可愛がってもらい、遂に「私は東洋医学の道に進みます」と夢を見つけて卒業。後に、同じくアソブロック卒業生の南木威範(たけのり)くんと恋愛をし、遂に結婚までしてしまい、今は南木みなみになっている。そんな彼女がこの度、夢を実現し、三軒茶屋に鍼灸院を開院した。大変に嬉しい。
思い返せば、高岡みなみを採用したきっかけは、面接ではじめてAとEが付いたからだった。当時、アソブロックの新卒採用は、現役メンバーが2人以上面談し、A(絶対に一緒に働きたい)からE(この子が採用されたら私は退社する)までの5段階で評価してもらっていた。AとEが付くことはほぼなく、特にEは見たことがなかった。
ところが、はじめてEをつけられた子、それが高岡みなみだった。しかも、もう一方の評価はA。こんなに好き嫌いがはっきりする、東南アジアの香辛料みたいな子がいるのかと、俄然興味が湧いた。
理由は割愛するが、会ってみると、なるほどEといえばE、AといえばAだった。そして本人も、後年ことあるごとに、「よく団さんは、私みたいな人、採りましたね」と言っていた。確かに、採用当初は集団の最後方を走っていたかもしれない高岡みなみだったが、その後の頑張りと吸収力はすさまじく、卒業時には誰もが認める「A」になっていた。
あれから20年。
感慨深さとともに、当時の資料を掘り返してみると、彼女にAを付けたのは、南木威範くんだった。
なんだ、そういうことだったのか。
ちなみに二院同時に開院した鍼灸院は、一方を「くろねこはりきゅう院」、もう一方を「しろねこはりきゅう院」という。前者は治療院で後者は美容針らしい。さっそく美容針の方に行ってみよう。
 
5月*日
夜はオンラインで家族の勉強会。季節に一度開催される「『木陰の物語』で家族の構造理論を読み解く会」は4人1組になり家族にまつわる色々なことを話す場だ。
今日一緒になったのは、緩和ケア病棟の看護師さん、児相の職員さん、児童養護施設の職員さんの3人。みなそれぞれに興味深いことを聞かせてくれたが、中でも印象に残ったのは、児童養護施設で働くAさんが話してくれたこんな話だった。
ご存じの方もいらっしゃると思うが、今、日本は先進国に比べ大幅に遅ればせながら、施設型の児童養護施設(一般的に社会擁護と呼ぶ)を小舎に切り替え「家庭的擁護」にすることを推進している。
分かりやすく言えば、大きな施設で60人が共同生活をしていたものを、10の家を作り6人ずつで暮らす形にしていこうという試み。並びで言えば、家庭擁護が里親ということになるのだけれど、日本は里親がなかなか増えない(この理由は割愛)。
家庭的擁護を進める理由は、子どもの権利を守るため。子どもは「家庭」に近い形で養育してもらう権利があると国際法で定められている。その観点から見ると大型の児童養護施設は子どもの人権侵害だという諸外国からの突き上げも多い(何かと隔離主義を取りがちな日本は、インクルージョンの観点からよく国際的非難を浴びる)。
Aさん(女性)の施設は、早くから小舎制を取り入れ頑張っているらしいのだが、先日そこに労基署が入ったのだという。突然労基が入るということは、内部告発の可能性も高い。
そんな経過を踏まえ、設置法人としては働き方改革を進める方針を決め、残業も基本的に認めないことにしたそうだ。この判断に、Aさんは憤りを感じていた。そもそも「家庭」に残業という概念は似つかわしくないというのだ。
例えば、キッチンで夕食の調理中に小学校1年生の子が「一緒に遊んで」とエプロンを引っ張ってきたとする。彼女は「今は無理だから、ご飯が終わったら遊ぼうね」と答える。しかし、食事を終えた頃に勤務時間が終わりを迎えると、小学校1年生の子と食後に遊ぶことまでが「引継ぎ事項」になるのだという。
勤務時間管理的には満点かもしれないが、これのどこが家庭的擁護なのか、そもそも、そんなことがしたくて児童養護施設で働いているのではない、と彼女は言う。
聞いていた3人は、しばらく言葉が出なかった。

5月*日
かれこれ20年以上続けている服飾雑貨のメーカー「salvia」が、蔵前にフラッグショップを創った。そのOPENINGレセプション当日。
salviaは「ふるきよきを新しく」をコンセプトに、ストールやくつした、ブローチ、はんかち、アンダーウエアなど、服飾雑貨を扱っている。日本を代表するデザイナーであり、長年のビジネスパートナーでもあるセキユリヲが主宰し、飽きることなくずっと一緒にやって来た。
salviaは確かにモノづくりをしているのだけれど、活動そのものが、もっと言えばセキユリヲそのものがsalviaという感じもあって、個人的には、彼女の生き方を軸に、メンバーみんなでsalviaを動かしてきた印象を持っている。
はじめて彼女に会ったのは、彼女が人気デザイナーとして脚光を浴びる前夜の頃。salviaの活動の傍らで、ナショナルクライアントと呼ばれるような大きな会社との仕事もたくさんした。
その後、大量消費社会への違和感もあり、スウェーデンのエーランド島に渡り、家具作家であるご主人とモノづくりの学校に入り、学び直しをした彼女。帰国後は、子どもと生きたいと、特別養子縁組で授かった二人の子の母になった。都会で子育てをしていくイメージがどうしても持てないと、長女が小学校に入学する2020年に北海道の東川町に移住。そして今、東川で改めてモノづくりと向き合っている。
なかなか濃密な人生だが、salviaをずっと好きでいてくれるファンの方も、そんな彼女の生き方に共鳴している方が多く、それならば、彼女が住む北海道・東川の空気を東京で感じてもらえる場所を創ろうと考えた結果がこのお店。
レセプションでは、これまでたくさん助けてくれた友人たちを前に、東川での暮らしを春夏秋冬のスライド上映をしながら、本人が楽しそうに紹介していた。

5月*日
こちらも新しい試み、第1回「浜松からはじめる『じそう会議』」を開催した。
じそうとは児童相談所のこと。今、全国の多くの児童相談所は疲弊している。最近でこそ、「少しずつ状況が改善されてきた」と伝えてくれる人も出てきたが、とどまることのない匿名の虐待通報、その初動対応に奔走され、「一体自分たちは何の仕事をしているのか、時々分からなくなる」という声を、何十人もの人から聞いてきた。
そんな一人である浜松児童相談所の早野さんから「一緒に勉強会を開催してほしい」と声をかけられたのが約半年前。会の目的は、逆境下でも踏ん張っている児相職員を繋げることで、明日への活力を受け取ってもらうことだ。今、児相に起こっていることは、私の経験的には小中学校の先生たちから聞く話と類似していて、そのような状況がもたらす未来は
「不人気職種化」
「従事者のモチベーション低下」
「提供価値の低下」
「社会インフラの弱体化」
「格差の助長」
である。
万が一にも訪れかねないそんな未来を、座して待つわけにはいかぬ、ということで、ホンブロックが勉強会の後援に入り、事務局を担当することにした。
会は、ゲストの話を聞くパートと、参加者同士で意見交換をするパートの二部構成。初回のゲストには、児童精神科医である滝川一廣さんをお招きした。
滝川さんは、児童虐待防止法の改正や児童相談所虐待対応ダイヤル「189(いちはやく)」は本当に有用と言えるのか? という問いを、アメリカや欧米の同種の施策の実施データを用いながら場に示された。
アンケートを見ていると、仲間の存在に勇気づけられたと答える方も多く、2回目の開催を心待ちにする声も多かった。ということで、調子に乗って(いい意味で)第2回の開催を決定。次回は、ゲストに大阪市立大空小学校初代校長である木村泰子さんを迎え、9月末に開催することになった。

5月*日
土曜と日曜の両日、娘が通う小学校の親の会の一員として、「川探検」に出掛けた。
出掛けたといっても、子どもの足で歩いて30分ほどの場所。毎日通う小学校の脇を流れる二階堂川の源流が、そこにある。探検には隊長として鎌倉市環境教育アドバイザ―の久保さんに来てもらった。
久保さんは、川で見つけた生き物や目に入る緑について、何を質問しても的確にレクチャーをしてくれる、歩く百科事典のような人だ。その博学に子どもたちも徐々に引き寄せられ、時間が経つとともに子どもたちが周囲に群がる、というのが毎年の風物詩になっている。そして気が付いたら親の方が熱心に聞き入っている、というのも常だ。
久保さんはいつも「知ることで景色は変わる」と繰り返す。緑を大切に、環境を保全しよう、と正しいことを標語のように唱えても、世の中は変わらない。人々の暮らしに繋がる自然の変化を話し、「そういえば!」と気付いてもらうことが大事だという。
そんな久保さんが今年話をしてくれて、考えさせられたことが二つ。
一つは、毎年愛でている蛍が、実は自生種ではないものが増えているという事実(そういえば、最近姿を現すのが早くなっているとは思っていたが、気候変動の影響だと思い込んでいた。まさか持ち込み種に生息地が乗っ取られていたとは!)。
もう一つは、鎌倉の自然は回復傾向にあるのだが、生き物の減少が止まらない、という事実。
ひと昔前までは、自然環境を回復させれば生き物も自然に力を取り戻すと考えられていたが、実際はそうとは言い切れず、なぜ生き物の減少に歯止めが効かないかが、もはや分からなくなっているそうだ。生態系を破壊することの罪深さを考えさせらる週末だった。

5月*日
新しいことを始めてばかりだが、始めたついでにもうひとつ、「RHRB」という勉強会を始めた。
目的は「いい会社って?」を考えること。この問いは私の大好物で、折に触れて考え続けるのが趣味というか、癖というか、になっている。そんな最中「統合報告書」の存在を知り、ここで明示されているフレームが、大好物の問いに向き合う上で、思考の補助線になりそうだと感じた。
なかなかいい思い付きに思えたので、信頼する友人たちに声をかけ、まずは身内で小さな勉強会を始めてみた。定期的に集まり意見交換をしたり、昨秋には葉山の古民家に出掛け、学生時代の部活のようなノリで1泊2日の合宿を開催したりもした。
そこで見えてきたことに手応えがあったので、それならばより多くの人と共有し、今の会社の在り方に違和感がある方々と共に、学び合う場を創ろうと始めたのが、RHRBだ。
今日はその第1回オープンセミナーの日。集まってくれた23名の方々と、「いい会社って?」を考える幕開けのような場を持つことができた。
セミナーでは合計3枚のスライドを示し、今の立場から図を通して見える景色を、お互いが話す時間に重きを置いた。
参加者のひとりは、「もっと定義的な話から始めるかと思ったが、すべてが図に凝縮されていて、読み解き方に個人の経験や状態が反映されいく様が面白かった」とアンケートに書いてくれた。これは、先に始めた「じそう会議」滝川先生の会にも通じるもので、学びは情報の伝達よりも、個々の解釈のすり合わせの中にこそ含まれているのだと思う。