正解も原因もひとつじゃない
おはようございます。
社会福祉士×ダウン症児パパのTadaです。
Tadaのイントネーションはジャズと同じです。
小噺です
あっという間に一週間が終わる。
あっという間に月の半分が終わる。
それくらいに駆け抜けている感じがする。
未経験のものに着手するのはとてつもなくパワーを使う。
そのせいか、どれくらいぶりか分からないくらい久しぶりに、帰りの電車でウトウトしてしまい、「ハッ!」と気づくと降りるべき駅が遠ざかって行くところだった。
早く慣れて余裕を持って仕事をしていきたいものだ。
とりあえず土日は泥のようにゆっくりしたい。
さて本題
情報が溢れる現代において、何が正しくて、何が正しくないのかを判断できる力がないと、時々痛い目にあう人がいる。
Xでこんなポストを見つけた。
個人的には本当に
「まことらしい嘘」を話す「いい人に見える悪い人」が多いように感じる。
悪意を持ってこの行動をしている人もいるけど
ことSNSの中は特に
悪意なくこの行動をしている人の存在を感じることが多い。
これらはどちらもとても厄介。
これ、どちらも共通して感じるのは、
めちゃくちゃ断定してくる
ということ。
発信のタイトルでも、発信の内容でも
とにかく断定をする。
断定は、
その断定を求めている人
にとって麻薬のように心地よく依存性が高い(使ったことないけど)。
例えば
特定の病気や不調に対して
「〇〇を食べないといけない」
「△△を食べてはいけない」
「⬜︎⬜︎という病気になるサイン」
「星の流れが良くない」
「政府の仕業」
などと、単一の原因を強烈に主張する人たち。
「食べる」、「食べない」、「病気のサイン」などは、もしかするとちゃんと論文などの根拠ある学びからの行動かもしれないけど、それでも絶対正解とは限らない。
「星の流れ」のようなスピ系
「政府の仕業」のような陰謀論
コレらは根拠が乏しい。
ひとつ間違えないで欲しいのは、
これらを否定するつもりはない。
僕はスピ系も陰謀論も真っ向から否定しているわけではないから。
ただ、お願いしたいのは
断定して伝えることはやめて欲しいということ。
僕はどんな出来事も絶対の正解や絶対の原因はないと考えている。
もちろん、限りなく正解に、原因に近いことはあるだろうし、それが正解だったり、原因だったりすることもあるだろう。
それでも時代とともに正解は変わるかもしれない。
さらに、そもそも人は80億人いて、80億通りあるんだから、「全員にとって」の正解や原因なんてのはないんじゃないかと思う。
僕自身は発信をしていく中で決めていることがある。
それは、
断定しないこと
特にタイトルでの断定や
根拠に乏しいものの断定は絶対にしない。
断定はSNSにおいては大いに注目される要因ではあるけれど、個人的にはやりたくないし、このやり方でインフルエンサーになっている人に関してはかなり疑って見ている。
と、書いていながら
この手の記事は以前も書いたような気もするんだけど、それはそれでいいと思っている。
僕は少しでも「“まことらしい嘘を”話す“いい人に見える悪い人”」の被害者が減ってくれればいいと思っているから。
「じゃあ、断定していない人を信じればいいの?」
というと、これも決してそうではないというのが答え。
しかし断定している人よりは信頼に足ると思っている。
「世の中にある全ての出来事は不確実で不完全で揺らいでいる」
と、これくらいの気持ちで世の中の情報を眺めていくと、色んな視点から考えることが出来るのではないかと思うので、個人的にはオススメ。
だからこそ学び
だからこそ考える
僕はこれが人生における楽しみのひとつになっている。
おわり。
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