大なり小なりキリギリス
おはようございます。
社会福祉士×ダウン症児パパのTadaです。
Tadaのイントネーションは九九と一緒です。
小噺です
腰痛持ちの方います?
僕は絶賛腰痛持ち。
若かりし頃は、年上の先輩や上司が話す腰痛トークが全く理解できなかった。
「なぜ腰が痛い?」
「どんな風に腰が痛い?」
「どういうメカニズムで腰が痛い?」
口には出さないものの若干小バカにさえしていた記憶もあるが、それももう遠い昔の話。
腰痛を認識しだしたのは多分比較的早めの二十代後半頃から。
ハタチ以降体重は増える一方で13キロほど増量。もちろん筋肉ではなく深夜のポテチとフランクフルトで鍛え上げた鋼のワガママボディだ。
と、腰痛はそこで発症したわけではない。
二十代後半にダイエットもかねてランニングを始めた。体はかなり絞れて、フルマラソンをなんとか完走出来るようにはなったし、体重もハタチの頃にだいぶ近づいたのだ。
しかし…
その代償に腰痛になった。
マラソンの練習が負担をかけたのか、
その前に体重増加した時点で勝負はついていたのか。はたまた別の原因か。しっかり調べもしないので事件は迷宮入りだ。そもそも出口も探してない自主的エンドレス迷宮ラブソング。
特に良くも悪くもならない時をかなり過ごしたが、ここ最近悪化傾向。この原因は分析出来てて、おそらく通勤時の立ちっぱなし&リュックサック。この時間が一番腰が痛い。
僕のリュックサックはまぁまぁ重い。おにぎりもスープも飲み物も妻が準備してくれるものが好きだし、通勤時間が長いから本だって持っていきたいし、最低限の筆記用具にモバイルバッテリーも必要。
そんなわけで譲れるものは何もない。
そんな時ふと思い出した。かつて妻が買ってくれた腰サポーターをタンスから引っ張り出して装着したところ、
めっちゃラク…
腰サポーターは神だ。
最近は通勤の神アイテムと化してる。
科学よ…ありがとう。
医学よ…ありがとう。
感謝する先どっちも間違ってるかもしれないけどとにかくありがとう。
さて本題
腰サポーターの話がしたかったわけではなくって、腰痛になったことを話たかったのだ。
そもそも若かりし頃の僕は自分が腰痛になるなんて思いもしなかった。
痛い腰をさすりながらふと考えた。
腰痛に限らず僕は今より若かりし昨日までの間、未来を予測して何か手を打って生きてきていただろうかと。
子どもに大人はよく言う。
「将来のために勉強がんばりなさい」
当時はさっぱりわからなかった。
でも大人になって気付く。学びは宝だ。
社会に出て先輩は言う。
「将来のために健康に気をつけて」
当時はさっぱりわからなかった。
でも大人になって気付く。健康は宝だ。
そんな風に、若い頃は気づかず、見向きもせず、おざなりにしていたことが、大人になって後悔に繋がることちょいちょいある。
大人といっても状況は全く違うだろう。
経済的にも大きく差がついているだろうし
健康的にも、精神的にも。
それらは全て、
もともと生まれもったものと
過去とった行動の掛け算の結果。
そしてここが大事だと思ってて、
過去とった行動は
全て自分が未来を予測してとった行動ではなく
自分を大切に思ってくれている人たちが導いてくれたものであることがかなり多い。
つまり
自分で未来を予測して行動していった結果なんて人生のほんの一部だってこと。
それなのに現状の差だけをみて
誹謗中傷やマウントとってくる人が世の中には結構いたりする。
何か素晴らしい功績をあげた人に偉そうにするなというわけではなくって、何か素晴らしい功績をあげたことは自分の努力もだけど、これまでの環境によるものも大きいんだよって思ってもらえると、社会はまた一歩優しくなるのかなって思ったりした。
アリとキリギリス読んで
「みんなキリギリスにならずアリになりましょう」
みたいな感じにはなってるけど、それってあまりにも抽象的だから人生におけるアリのスタイルってわかりにくくない?
なんだかんだで
みんな大なり小なりキリギリスなのよ。
おわり。
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