1995 タイ -3-
私はその食堂の彼女にどうしても告白がしたかった。「あなたのことが誰よりもスキ。あなたは本当に美しい」と。
でも、それが出来なかったのは、日本人=セックスアニマルという時代の中で、彼女が働く食堂で、突然現れた日本人の私が彼女に急接近することは、間違いなく彼女にとって迷惑極まりないことだと、そう思った。
愚直に、私の気持ちを、たとえ言葉が通じなくても、誠意を持って伝える努力をしてさえいれば、彼女や彼女の弟、ひいてはその食堂の常連客に理解してもらえたかも知れない。毎日その食堂に通って、彼女に食事を注文をする。それが何よりも彼女に私という存在を知ってもらう方法だったはず。
だが、私はそれを選ばなかった。いや、そういう発想が無かったのだろう。私が選んだ道は。。。タイ語で私の気持ちを彼女に正しく伝えること。そのためには、タイ語を学ぶべき。故に、この場(仮住まいさせて頂いていた家の主は日本語が話せたので)を離れ、日本語そして英語すらも通じないような場所に身をおいて、タイ語を学び彼女に思いを伝える。
今思えば、正しかったのかどうか。恐らく正しくはなかったのだろう。何故なら、その場を離れてサムイ島に”修行”としてタイ語を身に着けようとした事は一定の意義があったにせよ、その後、彼女に合うことは二度と出来なかったからだ。