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ポジティブ思考とネガティブ思考はどっちが幸せか。

ポジティブ思考がゆえ、結果に落ち込みまくって暗くなっちゃう人=ポガティブ人。
ネガティブ思考がゆえ、結果が思ったよりいい方向へ進んでハッピーになっちゃう人=ネジティブ人。

わたしが勝手につけた言葉だ。深い意味はない。
そして、私はポガティブ人だ……と思う。

排他的な時代に混血児として育ち、近所や学校では迫害されて育ってきた私だが、母からは「逃げた父と違ってお前はビッグになる人物だ」と言わんばかりに自由に育てられてきた一人っ子であり、金がかからないなら何をしてもいい、と門限もなく勉強しろとも言われず肯定されて生きてきた。
だから、もちろん、学校であんないじめに合うとは想像もしなかった。(いま思えば、おそらくこの偉そうでわがままで協調性のない捻くれ性格がいじめの原因だったかもしれないが、「この外国人がよぉ!」と石を投げつけられてきたので、それだけが原因と思い込んでいる)
片親だ混血児だと教師やクラスメイトに嫌われてても、一番重要な家族に愛されて育ったことが、自身の肯定感を上げ、ポジティブ思考になったのではないかと思っている。

そのため、親が私に無償の愛情を注いできたように、誰からでも同じような愛情を受け取れると信じていた。しかし、期待していたにも関わらず、その愛情を得られなかった時の失望感は、そもそも何も期待していなかった人(ネガティブ思考)が意外にも好意を得られた場合と比較して、どちらが大きなダメージを受けるのだろうか。

期待せずに得られる好意の喜びと、期待していた愛情が得られなかった時の心の傷、幸福感の比率。数値にするとどうなるのか。

私のようなポガティブ人は、常に期待してしまうため、結果として自分が裏切られたように感じてしまうことが多い。もし、最初から何も期待せず、自分には良いことが起こるはずがないと思っている状態で、実際に良いことが起きた時、その驚きや感動、喜びは、期待していなかったことにより一層大きなものになるのではないか。
映画で言うところの、ティザーがいいから楽しみにして観に行ったら大したことなくてショックだったみたいなのと似ている。逆も然りだが、私は常に期待してしまうので、作品がその期待を超えることがない。だから、面白いと思えるコンテンツが少なくなってしまう。
このように、期待を持たないことで、実際に良いことが起こった時の反応は、期待していた場合よりもずっと強烈なもの(数値)になる気がする……のだ。

私はしばしば、ネジティブな友人に対し、「あんたは良いよな。いつも結果が良いもんな〜」と不貞腐れる。しかし、よく考えてみると、彼女は日常的にネガティブな感情を抱えて生活しており、常にポジティブ思考な私と比較すると、彼女は結果のダメージよりも、日常のストレスの方がずっと大きいのじゃないか。
結局のところ、どちらの生き方も一長一短あるんじゃないか。でも、ネガティブな思考に支配される生活は、想像するだけでも精神的にしんどそうだ。

私は日常的にはポジティブ思考なので、結果に落胆することが多くなるだけで、ネガティブ思考の日常ストレスがどれほどのものか知りようがないし、確かなことは言えない。
でも、「ネジティブ人の方が大変だよね〜」なんて上から目線で思うあたりが、やはりポガティブ人であり、どちらの方が辛いとか、どちらのほうが幸せとか、たかだか線が二本増えるだけのことを考えること自体がナンセンスな気がしてきた。

なので、考えることをやめた———。
漫画描こ。


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