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その人に興味はないが、その人の行動には興味がある。

まえがき:
前回の記事でシャーデンフロイデについてもうちょっと知りたくて、つい本を買ってしまった。
「嫉妬」と「妬み」の違いを初めて知った。また、「良性妬み」と「悪性妬み」も。
「同調圧力」や「ミルグラム実験」については、心理学の授業で動画を通じて知っていたけれど、日本人と欧米人の違いが書かれてあったときは、「あー。なるほど〜」と思ったり。
あと、ちょうど一昨日の記事に書いた「選択肢の多さは人の幸福度を下げるらしいよ?」の実験結果もあって面白かった。
だからコンテンツ選び放題はダメなんだってぇぇ〜!!

移動時間に読むには適度な長さで良かった。
ってなわけで買った本はこちら。

えーっとですね……
最近はコミュニケーションについてもちょっと悩んでいる私です。
つい最近も、人を怒らせてしまって……なんかもう、人と会って話すのが嫌になって来ました。

某生物学の先生が、「コミュニケーションとは会話が続くことではなく、相手と話して自分が変わること」とおっしゃっていた。(多分そんな風なこと)
そうすると私は、ほとんどの人とコミュニケーションがとれていないことになる。周りはそう思わないと言うけれど、私自身はコミュニケーションに自信がなく、コミュ障気味と感じる。

周囲がそう思わないのは、私がしゃべりだ(よく話す)からだろう。とにかくずっとしゃべってるらしい。独り言というわけでもないんだけど、なんか喋ってるらしい。ただ頭に浮かんだことを話しているだけで、人とコミュニケーションを取っているわけではない……んだろうな。

周りが話し上手、聞き上手だから会話に参加しているように見えるが、実際はただ人の質問に答えているだけで、単なるQ&Aに過ぎない。
私は聞かれたことには大抵、なんでも答えるタイプなので、相手が多くの質問をするほど、外から見れば会話が成立しているように映るかもしれない。

私は、特定の人に対して特に興味を持たない。……というと語弊があるが、たとえば年齢や名前、学校や職業などの個人情報には興味がない。
実際、何年も付き合っている友人の本名を知らないことも珍しくなく、旅行先で別々に到着した時、「後から来られるお連れ様の名前を書いてください」と尋ねられた時に、「本名を知りません!」と答え、「は?」と、不審に思われたことが何度もある。
これは友人の多くが漫画家などでペンネームを使用していたり、あだ名で呼び合ったことしかないためだが、聞いても名前に興味がないのですぐに忘れてしまうことが原因。
(だが、この名前を間違えるとか忘れるというのは、ある人たちにとっては失礼なことにあたると知ったので、最近は覚える努力をしている。私自身は間違えられても別に気にしない。もう、10年近く私の名前を間違ったまま年賀状を送ってくる友人がいる。二、三度笑いながら間違ってるよと言ったが、修正されていないので彼も私の同じタイプの人間なのだろう)

余談だが、以前、付き合っていたパートナーの家族構成や誕生日を知らなかったことで友人に驚かれたことがある。「付き合っているのになぜ知らないの? 私の方が知ってるっておかしくない? 興味がないの?」と聞かれたが、正直にいうと、その人の家族や生まれた日、職業には興味が湧かなかった。
「あんたは人間に興味がないんだよ」
と言われたときは、一瞬悩んだが。興味の対象もしくは範囲が違うのだと思う。

まとめ
私は他人の個人的な情報(家族構成や誕生日など)には特に興味はないが、その人の行動(なぜそれをするのか)やその背後にある理由には興味がある。
つまり、なぜその人が特定の行動を取るのか、その動機や心理については知りたいと思うし、また、こんな私ととても仲良くしてくれてる人のことは、名前を覚えられなくても大切だと思っているんだよ。

なんか、まとまりがなくなって来たのでこの辺で止めておく。


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