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日本総サブカルチャー時代

>”サブ”カルチャーって何なのさ?
かつて、サブカルチャーはメインカルチャーの対極にあるものとみなされてました。もっと言うと、メインカルチャーに入りきれなかったものでした。
要するに、社会的な目で見たとき”主”ではないカルチャーという定義ができそうです。大衆的じゃないとも言えますでしょうか。
※厳密に見ていくと、高級文化より下に位置付けされるもの、なんて見方もされてました。この辺は毛利 嘉孝さんの「カルチュラルスタディーズ」などかを読むといいかと思います。

>大衆的って?
日本史の授業でも出てきた「大衆」というワード。
大正時代に近代社会が発達し、同じような生活スタイルを持つ中間層が大量発生したことによって生み出された言葉のようです。
社会の大多数を占める人々のこと=マスという具合でしょうか。

少し脱線すると、「大衆的」という言葉の持つ意味は現在2分化してきているかと思います。本来の意味合いと、もう一つ「昔懐かしの」みたいな感じで。
大衆居酒屋とかそんな感じですよね。クレヨンしんちゃんのオトナ帝国の世界観とかも大衆的な感じがします。昭和浪漫的な。
すいません、話を戻します。

>大衆文化を作ったのは何か?
大正時代に生まれ昭和に全盛を迎えた大衆文化。その発展に寄与したのは紛れもなくマスメディアでしょう。雑誌や新聞に始まり、ラジオやテレビなど。大多数に向けられて作られたコンテンツが、そのまま大多数にとっての文化になったた。かつてはそんな時代だった。

>でも現在は?
情報が溢れる中、生活基盤となるメディアは人によって異なる。SNSは好きな人だけフォローすることができる。YouTubeでは自分の趣味嗜好にあった動画がオススメされる。

かつてと同様に大衆文化が生まれる基盤は現代のどこにも無さそうです。

>テレビ番組Aの競合は、テレビ番組BではなくLINEだ
平成における大衆文化の基盤はテレビになるでしょう。めちゃイケやMステや。僕も小・中学生の頃の話題の中心はテレビの話ばかりでした。
その基盤が完全に崩れ始めている、それが平成終盤〜令和の姿かと思います。
今の学生たちの世界の中心は、テレビではなく、YouTubeやLINEなどネットの中にしかありません。(本当にそうなのか?という疑問も少々あるが)
という意味でテレビ局の競争相手は、他局ではなくインターネットなわけです。

>日本総サブカルチャー時代
てな具合に、日本人それぞれ基盤としているメディアや情報の収集源が異なる時代において、かつてと同様のパワー=支持者数を持った大衆文化が生まれることはないでしょう。全ての文化がサブカルチャー化するというわけです。
単純に支持者数で勝つメインカルチャーは生まれにくいということです。
2019年末NHK紅白の視聴率は、35%前後と発表されています。でも日本人1億2000万の35%も見てないと思いますよ。チャンネルをつけてはいるけど、集中の対象はスマホの中なんてことも多々あるでしょう。

>一極集中的なブームがない分、カルチャーは育つ?
音楽で見てみると、90年代〜00年代って、一握りのアーティストが牛耳ってたイメージがあるじゃないですか。でも今はそんなこともない。星野源や髭ダンがガンガン食い込んでいってる。全体的なパイが小さくなってますが…

なんだか今の状況は、カルチャーの発展に寄与してるんじゃないかと思うんですよね。
実際僕の肌感ですが、最近の音楽シーンやアニメ、漫画など、いわゆるかつてのサブカル的立ち位置にいたものたちは、めちゃめちゃ面白くなってきていると感じています。
一方で、もともとメインの立ち位置にいたものたちの勢いがどんどん落ちていってる気がします。
それは、サブカル的なものを中心に据えていた僕にとっては、とても気持ちのいいことだったりもします。

その結果、全てのカルチャーは”サブ”カルチャー化して行くんじゃないか?というお話でした。

てな感じで今日は以上です。


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