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目黒の薬屋

目黒に住んでいた頃のことだ。
一人の夜はどこに行こうかいつもそわそわするが、結局家飲みになってしまうのが常。その日は帰宅前に眼科を受診したのだけれど、その後に寄った薬局の話。
古いけれど清潔な昔ながらの薬局で、引退直前らしい薬剤師のじいさんは薬の説明をするのが嬉しいらしく、説明しながらどうでもいい情報を説明書の欄に書き込んでくる。たとえば「これはね、アレルギーに使われる薬だから、一年中使っている人もいるの」と言いながら「一年中」と書く。事前の問診票には「食べ物のアレルギーがあったら書いてね。蕎麦とかね」と言いながら蕎麦の絵を描いてしまったり。
なんだか非常に和んでつまみを買いにお惣菜屋さんの前で悩んでいると、店長らしき人が私の目の前にあった20%オフのポップを30%のものに取り替えてくれた。いい雨の夜だった。

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またその翌年、同じ時期に眼科を受診。薬をもらいに行くのはいつもの古い調剤薬局。待合室で名前が呼ばれるのを待っていると妙に落ち着く。私がここの薬局を気に入っているのは、お店と同じく年季の入った薬剤師が居るから。その前の年、やはり目薬をもらいに行ったときは、「アレルギーはいろいろあるからね、蕎麦とかね」と問診票に蕎麦のイラストを描いてしまうあのじいさんです。

今回処方された目薬というのが何やら新しく発売したものらしく、手にとって「これは・・・」と時間が止まること数十秒。すると息子さんらしき薬剤師が後ろからやってきました。
息子さん「これね、花粉が目の中に入ってパチン!って弾ける瞬間に効く新しく出た目薬」(「パチン」と言う瞬間両手をグーからパーへ。)
じいさん「へえパチンって瞬間にねぇ」(じいさんもグーからパーへ。)
ふたりでしばらくグーパー体操。
そしてじいさんが続ける。「このへんの薬局ではね、扱ってるのはウチだけ。でも新しい薬っていいもんでね、まあ合う合わないはあるけど。でね、新しいからちょっといいお値段。うふふ、3,230円」と笑顔を向けてくるのだ。

あれからもう5年は経つだろうか。おそらく家族経営の薬局だから、もしかしたらあのじさんもまだ店頭に立っているかもしれないが、なんとなくはばかられて足を踏み入れられないでいる。あの薬局での温かな気持ちは、きっとそのままにしておいたほうがいい。

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