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[禍話リライト]女の路地[THE禍話 第1夜]

「おなかがすいた」

夜中に子供が起きだして泣くので、仕方なくコンビニに行くことにした。
時計を見るとすでに丑三つ時。
夫は夜勤ですでに家にいない。
夜中に壁の薄いアパートで子供の泣き声を響かせるわけにもいかなかった。

都会で夜中に歩くのは怖い。
早く帰ってしまいたかったので、近道を通ることにした。
コンビニは近道である路地を抜けた先の大通りにある。
路地を出てすぐ横にあるので、路地を通るだけで30分ほどの時間短縮になるはずだ。

路地に差し掛かって一息つく。
自転車がすれ違えるかどうか分からないほどの道幅。
両脇には木造のアパートやあばら家が並んでいて、人の気配はない。
この路地を人が通っているところは見たことがないし、抜ければすぐに大通りだ。
子供の手をしっかり握って歩を進める。

大通りに差し掛かろうというときに、奇妙なものが見えて少しだけ足を止めた。
大通りに面している大きな古ぼけた薄ピンク色のビル。
その側壁を背景に、ぽつんと佇む崩れかけた石の祠だった。
お供え物もなく、忘れ去られた何かの痕跡。
憐みの情を振り切って、歩き始めたその瞬間だった。

体がふわっと浮いた。
急に強い力で手を引かれたが、何とか子供の手を離せた。

大通りの電信柱の陰から伸びてきた骨の浮かぶ手の汗のぬめった感触。
一瞬だけ見えた不自然に長い黒髪。


母親は大きく弧を描いて飛ばされ、片側二車線道路の車道の真ん中に激突した。
続いて、ありえない速度で飛び出してきた女性に反応できなかったトラックが女性の足に乗り上げてから急ブレーキを踏み、十数メートル進んでから止まった。

夜遅くとはいえ、大通りにはそれなりの人がいた。
人々は、コンビニから出てきて救急車や警察を呼んだり、SNSに自分のショックを書き込んだり、ただ座り込んだ泣き出したりしていた。

騒然とする夜の町の一角で、ただ男の子だけが電信柱と路地が作り出す影の中で身じろぎもできずに目を見開いて、ただただ茫然としていた。


「で、結局母親は一命をとりとめたものの、足に重度の障害が残ってしまった、らしいよ」

「らしいって…、そんなフワフワな!」

「だって俺だってネットで知っただけだもの」

大学三年の夏。

就職活動から目をそらすように、僕たちはサークルの先輩の家に集まって下らない噂話を肴に宴会を開いていた。
夏の夜には怪談だよねということで、各々知ってる話を話して聞かせたり、ネットで調べて面白い話があったら共有したりするだけの即席怪談会であったが、そこそこの盛り上がりを見せていた。

特に、今話した”路地に潜む女”の話は大きくウケていた。
話にあった路地が実際に近所にあると女の子が言い出したからだ。

その子はいわゆる『見えてしまう』子で、これまで様々な霊体験をしてきたが、その路地は近づくことさえも嫌だという。

「その前を通ることがあったんですけど、声が聞こえたんですよ。これまでも声が聞こえることはあったんですけど、比べられないほどはっきりとしてて、なんだかよくわからないけど楽しそうで……。とにかく嫌な感じでした。絶対行かないほうがいいですよ」

これにニヤニヤしながら答えたのは、家の持ち主でもある先輩だった。
実家が金持ちで、勉強もできるし、面倒見もいいが、多少強引なところがある先輩で、酒が入るとその強引さが増す悪癖があった。

「へぇ、なんて言ってたの??」

「それは……、ぼそぼそ言っててうまく聞こえませんでしたけど……」

「なんて言ってたかわかんないのに楽しそうか分かるなんて、すごい霊感だなぁ?」

「別に信じてくれなくていいですよ」

女の子は多少不思議ちゃんなところはあるものの、変人ではない。
服装も奇抜ではなく、地味だがセンスがいいと感じることが多かった。
何より、においが好きだった。

「まぁ先輩、別にそんなに突っかからなくていいじゃないですか。今度、肝試しでもして確かめに行きましょうよ」

酒に酔っていて、余計なことを言ってしまったかもしれないと思ったのは、言い終わった後だった。
しかめっ面の女の子が目の端にうつる。
先輩はニヤニヤ笑いを大きくして、缶ビールをあおりながら立ち上がった。

「今度といわずに今から行こうぜ。ちょうど酒も少なくなってきたことだしさ。コンビニついでに肝試しだよ」

宴会に参加していたメンバーは全員で6人ほどいたが、僕と女の子ともう一人はサークルの後輩だし、ほかの人も先輩とノリの合う同じコミュニティにいる人だった。

つまりはそういうことになってしまったのである。


街灯がチカチカと点灯している。
目の前には思ったよりも細く暗い路地があった。
話の通りに、両脇には木造の建物が建っており、窓に明かりはともっていない。
時刻は少し早いぐらいで、12時を少し回ったくらいの時間帯だった。

「あ、あ、あ、あの、私の言ったこと、グス、嘘でいいのでぇ、女の人なんていないんでぇ、グス、もう帰りましょうよぉ……」

女の子は見るからにかわいそうで、自責の念に駆られる。
件の路地に近づくほど怯えるようになり、遂にはガクガクと震えて、泣き出してしまった。
一緒にいた女性の先輩が付き添うような形でやっと立っているぐらいに弱ってしまっている。
酔いが覚めてきたことや路地の不気味さ、女の子のあまりの反応に、尻込みした雰囲気が漂いだした。

そんな雰囲気を感じてか、先輩は自信満々にテンション高く言った。

「よし、分かった。まずは俺が一人でこの路地を抜けてやろう。コンビニで清酒を買い、祠とやらにお供えしてくる。そうすればきっと女性の霊も俺たちに手出しなんかしないさ」

言い終わるなり、先輩は迷いなく路地に足を踏み入れた。
女の子は軽く悲鳴を上げる。

先輩が足を進めるごとに、彼女の様子はただならないことになった。
嫌々をするように首を振ったり、連れ戻すように皆に言ったりした。
僕たちはそんな彼女の尋常でない様子を、僕や女性の先輩は心配したり、ある人は少し冷ややかな目で見たりしたが、誰も先輩を引き戻そうとはしなかった。

先輩が路地の中ほどを過ぎたころ、何かがストンと落ちるように彼女は急に落ち着いた。

「あれ、何ともないかも」

僕たちはあまりにも急だったので、ビックリした。
ビックリしすぎて吹き出してしまった人もいた。
何となく雰囲気が明るくなる。

「あの中ごろを通り過ぎれば、もう大丈夫な感じがします。皆で行っても多分大丈夫ですよ」

女の子は安心したように笑みを浮かべながら路地の中頃ほどを指さした。
僕はその子のあまりの変わりように不安を覚えたが、ほかの人はそうではなく、彼女の様子を面白く思っているようだった。

「大丈夫なんであそこまで行きません??」

「あそこまで行ったら何とかなりますよ」

「あの辺が一番安全です。むしろここが危ないですね」

女の子はしきりに路地の方向を指さす。
路地の方向に少しずつ進んでいるほどに前のめりだった。
僕はさすがにおかしいと思ったので、落ち着かせようと女の子の肩に手をかけて押しとどめようとした。
その子はすごい力で路地のほうに進もうとしていて、なかなか止まらない。

(この子、こんなに力強かったのか……?そもそも、力のかかり方がおかしい。足で進もうとしているというよりか、引っ張られているような……?)

疑問に思った瞬間、女の子がこちらを向いた。
安心したような顔。
しかし、その眼は涙に塗れて充血していた。
体全体が細かく痙攣している。

「助けて。あそこまで行けば安全だけど行きたくないの。あそこまで行けば楽しくなれるけど死にたくないの」

次の瞬間、彼女の肩にかけていた腕が外れるかと思うほどの力で彼女が引っ張られた。
彼女の足は地面から完全に浮いていて、腕だけが地面と平行にピンと伸びていた。

僕が必死にとどめようとすると、流石に様子をおかしく思ったほかのメンバーが駆けつけてきた。

何とか彼女を路地から引き離し、腰を抜かして錯乱する彼女を落ち着けようとしていると、周りの様子がおかしいことに気づいた。

静かなのである。
異様な静けさの中に先輩の足音だけが響く。
路地裏まで聞こえてきたかすかな喧噪、車の走行音、風の音。
一切合切が消え去って、大通りに向かう先輩の靴音だけが聞こえる。

コツ  コツ  コツ

振り返って、先輩のほうを見ると鳥肌が全身を覆った。
一緒に来たメンバーや女の子も愕然として、目の前の光景を見ている。

それは、先輩と歩幅を合わせて歩く女の後ろ姿だった。
ここに来たメンバーのだれかであるはずがない。
髪が腰ほどにある以外分からない、真っ黒なシルエット。
それしかわからないはずなのに、その場にいた全員が女だと分かった。

あるいは、それが先輩と仲睦まじく腕を組んでいたからかもしれない。
響いていた靴音がハイヒールの音に似ていると思ったからかもしれない。

コツ  コツ  コツ

全員が先輩に戻るように言おうと思ったが、体も声帯も動かなかった。
それは不思議な感覚だった。
安心、あるいは絶望。
もうどうにもならないのだから、何もしなくていいのだ、と。


先輩とその女はもう少しで大通りだというところで止まった。
話の通りなら祠があるであろう位置だ。

女は組んでいた腕をほどいて、先輩の腰に腕を回した。
滑らかに、肩にまで手を伸ばし、軽く二回たたいた。

ポンポン


つんざくような悲鳴が路地裏に響き渡った。
僕たちはその声に正気を取り戻して一目散に逃げた。
先輩のことなどどうでもよかった。
一刻も早く、この路地から離れなければならないと思った。

しかし、女の子は私たちを留めた。

「もういないから、先輩を連れて帰ってあげよう」

また様子がおかしくなったのかと一瞬思ったが、彼女はなんとか普段の落ち着きを取り戻しているようだった。
僕たちは恐る恐る先輩に近寄った。

先輩は地面に横たわって、いまだに呻いており、痛みを何とかこらえるように歯をかみしめて、息を獣のようにはいていた。
まず、女に叩かれた肩を見ると特に何ともない。
次に足を見ると、倒れ伏した原因が分かった。
膝の皿やその周りの関節部分が明らかに歪んでおり、意図せず触ってしまったときに異常に痛がったのだ。

僕たちはコンビニに行って事情を話し、担架のようなものを作って、先輩を大通りまで運び、救急車を呼んだ。
先輩は痛みに呻きながら、メンバーのうちの一人に付き添われて病院に運ばれていった。



しばらくたって、僕と女の子は先輩の見舞いに訪れた。
先輩の足の回復の目途が立ち、精神もだいぶ落ち着いてきたらしかった。
他のメンバーは残念ながら内定後の活動に忙しく、都合がつかなかった。

僕たちと先輩は、ぎこちなく近況報告を行った。
以前の先輩の強引で攻撃的な態度はすっかり鳴りを潜め、少し暗いが人の好さを感じる言動になっていた。
大体の近況を話してしまって、沈黙が訪れたころ、先輩が口を開いた。

「あのときさ、実は何があったかほとんど覚えてないんだ。行くって言いだしてから、次の瞬間にはもう膝が粉々になっててさ。まいっちゃうよ全く」

僕たちは見たことを話した。
先輩にわざわざ言うこともないかとも思ったが、伝えられずにはいられなかった。
知らず知らずのうちに僕の精神にも負担がかかっていたのかもしれない。

先輩はどこか納得した様子だった。

「でも、あの時すごかったらしいぞ。一緒に救急車に付き添ってくれた奴が言うには、救急隊員は事情を聴いてこなかったらしいぜ。俺の様子を見るなり、納得したようなうんざりしたような顔をして淡々と作業してたんだって」

僕が首をひねると先輩はかすかに脱力して笑いながら言った。

「だからさ、同じようなことが原因で同じようなことが結構起こってるんだろ。あの場所ではさ」


僕がしかめっ面をしている横で、彼女がぽつりとつぶやいた。

「だから行かないほうがいいって言ったんですよ」

眉をひそめながらも、何故か得意げだったのが印象的だった。




※本記事はツイキャス『禍話』シリーズの「THE禍話 第1夜」より一部抜粋し、書き起こして編集・加筆したものです。(35:00ごろから)


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