[禍話リライト]人のいい佐藤君[禍話 第五夜]
大学を卒業してから、通勤の便のために故郷から都内に引っ越した。
父にも母にも、ものすごく心配された。
「お前は優しすぎるから、東京行って変な奴に騙されたりしないように気をつけろよ?世の中、良い人の方が珍しいんだから」
僕ははいはい、とか適当に返事しといたけど、そんなことはないと思う。どんな人だって、真心で接していれば、きっと心を開いてくれる。そのためには、きちんとコミュニケーションをとることが大事だ。
例えば、円満なご近所付き合いのための挨拶は大切だ。ちゃんと引っ越しそばも用意したし、隣に住んでる人に挨拶をしに行こう。
部屋の前に行くと、玄関横の窓の向こうのカーテンの隙間から微かに光が漏れていた。ご在宅だな、と気合を入れて、インターホンを押した。
ピンポーン
しかし、しばらく待っても、返事がない。作業中か何かで聞こえなかったのかな。もう一度、インターホンを押す。
ピンポーン
目の片隅でカーテンが揺れた気がした。微かに物音が聞こえる気もする。
ご在宅っぽいんだけど、出てくれないみたいだな。
都会の人付き合いは、距離感が難しい。今度、廊下とかであったら積極的に挨拶しよう。
それからしばらくは仕事の日々だった。
研修に次ぐ研修や慣れない上下関係に振り回されながらも、同期や上司、先輩が助けてくれて、何とかこなせていた。
やっぱり、都会でも人があたたかいのは変わらないな、と思いながら帰宅して、まったりと過ごす。
リビングで遅い夕食を取っていると、そういえば、隣人さんと結局話せてないな、明日から休みだし、また、あいさつにでも行ってみるかな、とか考えていると、音が聞こえてきた。
ガサゴソ……ガサゴソ……
ボソボソ……ボソボソ……
隣室から何かを擦るような音がする。何やら独り言も言っているようだ。
ここんところ毎日だな。ひょっとして芸術家か何かで、独り言を言いながら熱心に作業しているのかもしれない。忙しいのかもしれないけど、是非会って挨拶してみたいな。
ガサゴソ……ガサゴソ……
ボソボソ……ボソボソ……
それにしても、良く聞こえてくるな。防音のしっかりしたマンションという話だったんだけど。
テレビで深夜バラエティ番組を見ていたら、眠くなってしまったので、寝室に行って寝た。
物音はいつの間にか止んでいた。
結局、翌日もその翌日も、隣人さんには会えなかった。それでも、ガサゴソという物音はするので、在宅なんだろうけど、出てくれない。何か粗相してしまったのだろうか。
分からないことがあったら、誰かに相談したほうがいい。ということで、会社で先輩に相談してみた。
先輩はニヤリとして言った。
「ひょっとしてお前に惚れちゃったんじゃないのー?お前、見た目いいし。向こうはドアスコープ越しに訪ねてきたお前のこと見えたりするんだろう?」
先輩とはそのまま飲みに行って、恋の話をして盛り上がった。高校までの恋愛遍歴とかを話したら、先輩は僕の経験のなさに驚いていた。
「お前イケメンなのに、タンパクなんだな。社会人なんだから、もっと遊びを覚えて適度に発散していけよ。ちょっくらお前のマンションで飲みなおしながら、いろいろ教えてやるよ。隣人にもひょっとしたら会えるかもな」
女性の趣味なんかを話しながら、歩いていると僕が住んでいるマンションがベランダ側から見える通りに差し掛かった。
「ほらあれですよ」
自分の部屋のベランダを指さした僕は背筋が凍った。
隣室のベランダから、髪の長い女性がぎゅいんと上半身を乗り出して、僕の部屋を覗いている。
異様に首が長いように見えた。
先輩は僕の首根っこを掴むと、走り出した。怒っているようだ。
「いくら佐藤のことが好きでも覗きは犯罪だ。とっ捕まえて説教してやる」
先輩はマンションに着くと、ズンズンと隣人さんの部屋に向かった。
ドアを叩く。
ドンドンドン!!
「すいません!!俺、佐藤の会社の先輩なんだけど、オタクが覗き行為してるの見ちゃったんですよね!!ちょっと出てきてくださいよ!!」
ドンドンドン!!
先輩が返事はなかった。覗いてたとしても、実際に僕は被害に遭ってないし、別に良いのに、と思っていたけど、先輩が見たことない剣幕で怒鳴っていたので、言うに言えない。
先輩が、返事がないのに業を煮やし、苛立たし気にドアノブひねったら、開いてしまった。
なにか起きてるのかもしれない。あるいは、いまも覗きに夢中でノックに気付いていないのか。
「俺少し行ってくるけど、ここで待ってろよ」
僕は、少し怖かったし、人の家に勝手に入るのは憚られたので、おとなしく待っていた。
しばらくして、先輩が慌てた様子で出てきた。
「警察、警察。首吊ってる」
愕然とした。
先輩は落ち着いて110番した。僕はショックで動けなくて、ぼーっとしていたら、ほどなくして警察が来た。
僕は何もしゃべれなかったけど、先輩が一緒に事情を話してくれた。
すると、警察の人が僕の様子を察してか、少しだけ女の様子を話してくれた。
「君たちがノックしたせいで、追いつめられて自殺したと思っているんだろう?それはないから、安心してくれ。遺体は何日も前のものだ」
え?と思った。
じゃあ、ベランダを覗いていた女は別人なのか?
警察の事情聴取が終わってから、先輩が怪訝そうな顔で話してくれた。
「警察はああいってたけど、覗いてた女と首吊ってた女は同じ服着てたよ。あと、部屋が妙に汚れてた。丁度あの女の背丈ぐらいの高さまで、壁一面びっしり汚れててさ。きったねぇなってその時は思ったんだけど、今考えると、壁の脂汗染みって多分あんな感じなんだよな」
あの女、毎晩お前の部屋の方の壁に全身こすりつけながら、何かをお前に話しかけてたんじゃないか?
僕はその女の人は気持ち悪いと思ってしまった。でも、僕がちゃんとコミュニケーションを取れていれば、その女の人は自殺なんかしなかったんじゃないだろうか?
そんな思いが頭から離れずに、僕は女の人と会うのが嫌になってしまった。また誰かを傷つけてしまったら、と思うと怖かったのだ。
嫌なことがあったので、もうそのマンションに住み続ける気を無くしてしまって、会社の男性寮に住むことにした。
すると男性寮に住む先輩たちが気を使って、歓迎宴会を開いてくれた。おそらくは、元気をなくしていた僕を見て、元気づけようとしたのだと思う。
宴会はでは先輩が一発芸とかを披露してくれた。僕は下戸だったので、あまり飲めないのが申し訳なかったが、先輩たちの一気飲みトーナメント戦はすごく面白くて、声を出して笑ってしまった。
そうだな、偶々変な人に会っちゃっただけだな。これからの人生も長いのだし、一々落ち込んでいられないな。気を取り直していこう。
楽しく先輩たちの酔っ払いをいなしていると、先輩たちはべろべろになって、床に倒れたり、ソファに寝転んだりしながら、酒を飲み続けていた。まだ飲むつもりらしく、酒はまだかコールを皆で唱え始めた。
「じゃあ、僕買ってきますよ。今日開いてくれて感謝してますから、行かせてください」
おぉ、悪いな、お前のための会なのに。気持ち悪い女なんて早く忘れて、また元気になってくれよ。
僕は心があったかくなった。
やっぱり先輩方はいい人だな。早く仕事覚えて、役に立てるように頑張ろう。
寮に併設されている自転車置き場に向かって、自転車を出そうとする。
しかし、何故か自転車は動かない。
どこか錆びついているのか、と思って車体、タイヤを見てもそのようなことはない。
鍵かな、と思って見ても、問題ない。
めちゃくちゃに焦った。
早く買ってきてあげないと、先輩たちの酔いがさめてしまう。
自転車の荷台に乗って俯いている彼女も足をパタパタさせて退屈そうにしている。
そうこうしているうちに、先輩たちが出てきてしまった。
きっと心配してきてくれたのだろう。
「すいません、先輩、自転車がおかしくて」
先輩方は顔を真っ白にして、僕のことを心配してくれる。
「お前大丈夫かよ、てゆーか、そ、その女……」
先輩が声を出した瞬間、彼女が顔をあげた。
先輩方は、ばっと顔を伏せた。彼女の顔を見ないようにしているのだろうか。寒いのか、ガタガタと震えているようだ。
僕のせいだ。僕が上手く自転車出せないから……
「すいません、自転車が上手く出せなくて…」
すると、彼女の首がニョインと伸びた。
ぞぶり、と唇が噛まれた。そのまま、口の中に何かが流し込まれた。
気持ち悪い……
気持ち悪い……
気持ち……
気がついたら、病院のベッドの上だった。付き添っていてくれた先輩が泣きながら、説明してくれる。
「お前が変な女と一緒にいると思ったら、急に泡吹いて倒れて、あわてて病院運んだんだよ。ホント目が覚めて良かった。脳梗塞だってよ」
先輩には本当に感謝しかないな。
病室の窓の外から彼女が首を伸ばして、僕のことを見ている。
はやく元気になって、皆のためにもバリバリ仕事しなきゃな。
※本記事はツイキャス『禍話』シリーズの「禍話 第五夜(2)」より一部抜粋し、書き起こして編集したものです。(00:40ごろから)
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