「付き合おう」は必要か?
「今は誰とも付き合うことができない」
そう遠くない未来に結婚を望む女性が、このセリフを言われた場合、この後の身の振り方に非常に悩む。「はい、それなら結構。」と、ばっさりと切り替えができる人もいるだろうが、相手に惚れていて、すでに深い関係になってしまっている場合は、そう簡単にはいかない。"今は"付き合えないとしても、"いつかは"付き合えるのではないかと、淡い期待を抱かすのは、優しさではないと思う。いっそ、「君とは付き合えない」と言ってくれた方が、紳士的だと思う。そもそも、誰とも付き合う気がないのなら、先に言ってほしい。
後で関係を確認させるようなことは、始めからしてくれるな、である。
付き合うというのは、"お互いが、お互い以外の異性には目を向けません"という、口頭での約束なのだと思う。それをすることで、お互いに多少の責任が生まれ、その約束を守らなくてはいけないということを自覚させる。簡単に破ってしまう者もいるが、大抵は守ろうと努力するだろう。では、その約束なしで、二人の関係が上手くいっていた場合は、付き合うという"約束"は、必要がないのだろうか。
中学生の時、道徳の時間か何かで、男女交際についての作文を書かされた。確か、「どのような関係が望ましいか」だったと思う。筆者が書いたのは、「お互いが成長できる関係がいいと思う」だ。もちろんその時は恋愛経験などない。これを読んだ先生はどう思っただろう。模範解答はあるのだろうか。しかし当時の私は何を思って、このように書いたのか、はたまた、どこかのセリフを引用したのかわからない。今の筆者であれば、このようには書かないであろう。そうではあるが、人は常に何かを学び、成長していくのが望ましいとされている。生きていくことのすべては学びだという人もいる。一緒にいることで、何かを学び、成長できる相手であるならば、付き合うという約束などいらないのではないか。むしろ、付き合ってはいるものの、どちらかが束縛し過ぎたり、どちらかが片方をコントロールしようとする関係よりも遥かにいいのではないか。とも思える。
「付き合おう」は必要か?
海外では、このようなことは特には言わないらしい。そうゆう文化なのだろう。しかしここは日本である。食事の前には皆、「いただきます」と言う。
この問題の答えはないのかもしれない。何を選ぶにしても、後で後悔のない選択をするしかない。大抵の男女は、いつか別れがくる。その時に、後悔さえしなければいい。正しい選択などないのだ。
ただひとつ言えることは、付き合うという約束さえ出来ない男など、そもそも付き合うに値しない男である、のかもしれない。筆者は、食事の前には必ず、「いただきます」を言える男性がいい。
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