上京して演劇と出会う/パレスチナ

大学受験に失敗して上京した。予備校通いながら初めて観たお芝居が「劇団暫」だった。兄の勧めだった。何かお芝居観たいなあといったらすすめてきた。兄のいる早稲田大で人気の劇団だと聞いた。
大学の隣りにある予備校に通っていた。大学校内でチラシをもらったので行こうと思った。
小中学校で同級生だったが中学の途中で転校していった協子ちゃんを誘って観に行った。ちょっと好きだった。
早稲田の6号館、国際学部の屋上に、69年くらい、学生運動の頃に長屋のように不法建築のアトリエが建てられていた。学生自治会で運営されているらしい。
鳩がたくさん棲みついていたなあ。
その一室で公演は行われた。元々は風間杜夫さんが所属していた「表現劇場」が使っていた場所だと聞いたことがある。ぎゅうぎゅう詰めだった。
つかこうへい作「郵便屋さん、ちょっと」。つかこうへいの名前を初めて知った。のちに大ブームを作り出すなんて夢にも思わなかった。
演出は「ひのもといちろう」。後に有名になる三浦洋一の変名だったと聞いた。三浦さんはまだ2年生か3年生の頃。
座長の向島三四郎、現在監督/脚本家で「つかこうへい正伝」著者の長谷川康夫、演劇プロデューサーになった市村朝一が出演していた。女優さんは失念。
ショックだった。とにかく笑った。なんだこれは!こんな演劇があるのか!
こんなパワフルで軽やかで楽しい演劇があったのか!
高校時代に文学座や俳優座やら民芸やらの新潟公演を観に行き、アングラと言われる演劇の情報に触れ、唐十郎や佐藤信の戯曲を読み、寺山修司の映画に触れて著作を読み漁っていた。そんな頭でっかちな青年だったのに…。
帰り際に協子ちゃんから、
「あそこに入るの?」
って言われた。役者になるなんて一言も言ってなかったのに。
そ、そ、そんなつもりはないよお。
と言ったが心動かされていた。
2年後参加することになるがそれはまた別の話。
次に観たのは、唐十郎率いる「状況劇場」。
兄からは、殴られないように気をつけろと言われた。アングラのイメージが強かったから。
上野不忍池公園野外音楽堂。
「唐版/風の又三郎」。
内容は書かない。戯曲として出版もされているので興味ある方はお読みいただきたい。
満員だった。ベンチ最後列うしろの立ち見席を指示された。更に後ろに人が入るので立膝でと言われた。下は砂利だぞ。膝やられんぞ。
開演。これまた、なんじゃこれは!
一瞬で心持っていかれた。
脇の通路の幅より大きいリヤカーが通路を疾走する。肩に衝撃。でも気にならない。そういうものだと思った。膝の痛みも忘れた。
李麗仙、根津甚八、小林薫、大久保鷹。役者たちのスピード感と存在感。笑いと耽美。言葉とイメージの奔流。パッション。
すげえ!
ラスト。舞台後ろのテントの幕がはねあげられる。東天紅の赤いネオンが見える。不忍池から水を滴らせながら零戦が上がってくる。ダイナミズム。カタルシス!
いっぺんに心わしづかみー!
圧倒された。
自分の生きる道はここにしかねえや、と思い込んだ。
その後友人の牛腸くんや亡くなった松下くんたちを誘って2回観に行った。
不忍池公演の後、状況劇場が海外公演に行くことを知る。
パレスチナへ。
シオニズムと闘うパレスチナ人と連帯するということか。
ちいちゃい頃、ピーターオトゥール主演の映画「アラビアのロレンス」を観てはまった記憶がある。内容もよくわからないままかっこいいなあと思って、モーリスジャール作曲のサウンドトラックLPを親にせがんで買ってもらった。兄と2人でロレンスごっこをした。
凄いことした人だなあと思っていたが、後年ロレンスがこの時の成功譚を激しく悔やんでいたことをだいぶ大人になってから知ることになる。
それはさておき、状況劇場が行くことを知って初めてパレスチナがどんな状況かがわかってくる。シオニズムという言葉も初めて知った。
2ヶ月後に夢の島で凱旋公演を観に行った。「パレスチナ帰りの又三郎」と謳っていた。
今度も友人の田辺くんを誘った。ひとりでも多くシンパを増やしたかったのかなあ。
イントロ部分で客席上手のテントが跳ね上げられ敵役といえる三腐人が船に乗って移動する。胸にはダビデの星。シオニストという設定になっていたのだ。
三幕通してセリフがたびたびアラビア語に変えられていたが、もう何回も観ているのでセリフはだいたい憶えていた。
途中で豪雨があり、パンチカーペットを敷いただけの桟敷席でケツがビショビショになった。
ラスト。後方のテントが跳ね上げられるとそこには零戦ならぬ戦車があった。
なんという名称なのかわからないが、頭にアラブ風の布を巻いて又三郎と織部が乗り込む。
そして戦車は遥か遠くまで走っていくのであった!
大団円。
唖然呆然。
しばらく抜け出れない状態が続いたよ。
そしてその後も演劇三昧の生活は続く。
鈴木忠司の早稲田小劇場。寺山修司の天井桟敷。VAN99ホール。受験勉強なんかに全然身が入らなかった。
真っ当に大学出て就職しようと思っていたのに、ちゃあんと立派に道を踏み外しちゃったよ。
あれから半世紀近く経ってしまったが、まだパレスチナ問題は泥沼だ。
パレスチナ市街の瓦礫の山。当時報道写真で見た時よりはるかに豊かになっているようにみえる。
あの紅いテントはあの時どのあたりにたてたのだろう?
唐十郎さんは今何を思っているのかな?
お身体は大丈夫ですか?
ニュースを観てあの夢の島の公演を思い出した。
心痛い。

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