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2024/5/2 ABEMAだめライフ特集 個人カンペ

 この記事では5月2日のABEMAプライムだめライフ特集「今の社会はちゃんとしすぎ?だめライフ愛好会を研究」の台本を基にしたカンニング・ペーパーを公開する。問答形式になっているのでだめライフについて気軽に知りたい人はこれを読むと理解が早まるかもしれない。

Q:だめライフとは何か、なぜ作ったのか?
「ご紹介にありましたように、最初は『だめがだめでいられる場所』作りのために作りました。最初は『だめ人間』を自認する人たちが学内で週1くらいの頻度で集まって大人しくお喋りをするというだけのサークルでした。それが去年の4月頃から活動の規模を広げて、学内や路上で花見や鍋といったことをするようになりました。

 作った理由としては、ぼく自身が時間にルーズだったり、バイトが続かないという『だめ』な人間だという自覚があり、社会的な圧力というものを感じていたからです。そうしたものへの反発から作りました」

Q:サークル?大学公認?
「サークルと銘打っていますが、一人でやっています。大学公認ではありません。勝手にやっています」

Q:なぜ「だめライフ愛好会」とネーミング?
「『だめ』という言葉は『だめ連』からとりました。だめライフを始める前から『だめ連』のことは知っていて、共感を覚えていました。ただ、だめ連と名乗るのはオリジナリティがないと思い『だめ』に『ライフ』をつけてだめライフとしました」

Q:山田さんは「だめ」な人?どんなとこが?
「ぼくは昔から非常に時間にルーズなところがあって、大学の授業も時間通りに出られた試しがないですし、だめライフのイベントも結構遅刻します。また、逃げ癖があって、面倒だと思うと逃げてしまうこともあります。バイトが続かなかったりします。そういうところが『だめ』だろうと思います」

Q:名称を「だめライフ神奈川」に変えた理由は?
「約1年間中央大学で活動をしてきて思ったのは、イベントに来る人が学内でやっているせいか似通ってしまうということなんですね。同じような人しか来ない。それに、中央大学と名乗ることで中央大学の学生に対象を限定してしまう感じが出てしまって排他的だと思い、地域名を冠しました」

Q:なぜ鍋をする?そこにどんな意味が?
「実はだめ連以外にも、松本哉という人が90年代に始めた『法政の貧乏くささを守る会』という団体がありまして、それの学内鍋集会にも影響を受けました。大学という知性の中で鍋をするというのは、それこそ貧乏くさくてみすぼらしくて面白いだろうという発想ですね。また、鍋を通じて人との交流が図れるということもあります。誰かと一緒にご飯を食べるのは楽しいですから」

Q:敵は大学?大学を変えることが目的?
「中央大学の名前を冠していた去年のうちは、自由にビラを貼ることもできない窮屈な大学というものを変えてやりたいという思いがありました。ですが、大学というたかだか数年しかいない場所に活動を限定する意味があるのだろうかと思い、最近は街に進出しています」

Q:なぜここまで拡大してる?もっと拡大してほしい?
「一番の要因は、SNSだと思います。Twitterのアカウントを作りさえすればだめライフを名乗れてしまうという気軽さが拡大した理由の一つだと思います。
 また、『だめ』という言葉は非常にキャッチーで普遍的ですよね。誰しもが一つくらいは『だめ』なところを持っていると思いますから、各々の抱える『だめ』を肯定するツールとしてだめライフが使われたということはあると思います。
 拡大してほしいかというと、立役者としては自分の作った言葉が広がっていくというのは嬉しいことだと思います」

Q:だめライフの活動は社会や大学への抵抗?
「抵抗の一つではあると思います。学生運動が流行る時代じゃないですから、少人数でささやかに『秩序をずらしていく』ということをやっています」

Q:昔は「人生の夏休み」だったが…今は違う?
「先行きが不安な今の時代で、かつてのような『人生の夏休み』を謳歌するのは難しいのではないかと思います。たしかに授業の出席の厳格化や就活の早期化など『上から押し付けられた』ものもありますが、ぼくら学生自身が将来への不安から『ちゃんとしなきゃ』と思って行動しているところもあるだろうと思います」

Q:大学で感じる「抑圧」とは?
「遅刻・欠席にうるさかったりすると面倒だと感じますね。ぼくは授業に出なくても一人で本を読んで知識をつけていくタイプなので管理される必要性を感じません。また、学内で鍋などをやっていると職員が遠くから監視しているんですよね。そういうのも不愉快だなぁと思いますね。職員さんも一緒に鍋を食べたらいいのにと思いますね(笑)」

Q:コロナ禍で自由無く…その反動も?
「コロナ禍においては、様々な社会的な圧力がありました。ぼくもそうしたものに苦しめられた一人なので、その反動ということはあるかと思います。具体的には、自粛をしろ、マスクをしろ、というようなことですね」

Q:大学以外の外の社会でも生きづらさ感じる?
「社会全体が品行方正になっている気がします。街中のいわゆる排除アートなんかもそうですし、いたるところに監視カメラがあったりしますよね。とにかく社会を清潔にしようという気分が伝わってきます。ぼくはそのことを『清潔さで汚される』と呼んでいます。安心安全というのは聞こえはいいですが、それによってぼくらの主体性や自律性は奪われていくわけです」

Q:「鍋」「昼寝」で大学・社会が変わる?
「今のぼくの志向性としては、社会を変えたいというよりも、自分とその周りの世界を変えたいというほうが近いです。今は若い人も少ないですし、社会を変えるというムードもないので、『自分たちの身近な世界だけを良くしていこう』という方向です。そうやって各々が自分と周りの世界を地道に変えていくことでいずれは社会全体が変わってくるのではないかと思います」

Q:直接的なデモや抗議活動はしない理由は?
「これはぼくの個人的な理由ですが、直接的な政治活動をするのは性に合わないですよね。それにどうせやるならもっとコミカルにやっていきたいので、直接的なアクションは取らないというわけです」

Q:ハラスメントやコンプラ意識の高まりで息苦しさを感じる声もあるが、今の社会はちゃんとしすぎなのか?  「ちゃんとしてる」とは大事な事ではないか?
「社会が変わっていくこと自体は良いと思います。人間の社会というのは時代時代で必ず変化しているわけですから。ただ、その速度が早いと摩擦が生じてしまうと思います。昨今のポリコレとかコンプライアンスというのはその流れが早いからこそ問題視されているのだろうと思います」

Q:どんな「だめ」を社会に認めてほしい?
「日によってたとえば具合が悪かったりもするわけで、機械のように規則正しく人間は動けないですよね。ちょっとくらい遅刻したり締切を破ったりするくらい大目に見てほしいかな、と思います」

Q:でもそれって「わがまま」と何が違う?
「わがままと捉えられる面もあると思いますが、逆に、それを『わがまま
』と捉える社会の在り方は正しいのだろうかということを問いたいと思います」

Q:昭和の「ゆるい」時代に戻るべき?
「社会のレールに乗れない人たちは今よりも白い目で見られる時代でしたから、そっくりそのまま戻ることはできないと思います。ただ、昭和の頃にあった良い意味での『ゆるさ』(法律やルールに縛られ過ぎない柔軟なあり方)は戻ってきて欲しいと思います」

Q:これから社会に出る上で「だめ」は直す?貫く?
「ぼくはこれから農業をやろうと思っていて、そのために必要なスキルや習慣(朝早く起きるなど)というものは身につけていく必要があると思います。ただ、今まで通り貫けるところは貫いていきたいです。できるだけ今までの生活と変わらないようにしていきたいです」

Q:社会はもっと「ゆるく」なるべき?どこまで?
「ゆるくなってほしいとは思いますが、先ほども言ったように昭和にそのまま戻るわけにもいかないですから、社会としてどこまでゆるくしていくかというのは難しいテーマだと思います」

Q:「ちゃんとしすぎ」社会で若者が委縮してる?
「案外若い世代は適応していて、『これが当たり前』と思っているところもあるのかなと思いますが、一方でぼくらのようにそうは思わない人たちもいるということは知っておいて欲しいと思いますね」

……台本の質問案はだいたいこんなカンジだったのだが、実際には1割も喋らなかった(笑)。放送とはだいぶ印象が変わってくるのではないだろーか。

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