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母たちの時代にnoteがあったら

もうすぐ母の日。70歳になった母の人生に思いを馳せてみる。SNSがなかった母たちの時代。どこかの誰かに母親としての思いを発信して共有するでもなく、子育てと仕事の両立をアピールするでもなく、外の世界よりも何より自分たちの家庭に目を向けて踏ん張ってきた女性たちの世代。

母の世代はある意味自由であった

TwitterやFacebook、InstagramなどのSNSがない、LINEやメールもない、つながる手段は電話だけだったけど、それはある意味自由だった。SNSのアピール合戦に踊らされる必要はなく、当たり障りのないLINEの文面を考える必要もない。育児の情報といえば育児書または自分の母か義母、せいぜいご近所友達からの情報だった。病気になれば小児科医か子育ての先輩に相談し、過剰に供給された不安をあおる情報を取り込むこともなかった。

自分の感覚を何より大切にした母たち

他の母親たちの育児を参考にできるWebメディアやSNSは便利だけれど、子どもを自分目線で見て、いいのか悪いのかを自分で判断するという要素を奪っていく怖さがある。母親たちの世代はまず自分で考えることを実践してきた。誰かが調べた情報や乱立するメディアからの情報を鵜呑みにすることなく、自分の感覚を大切にし、自分の考えで行動してきた強い世代だ。

我が家の自慢のお母ちゃんとしての人生

女性が子育てをしながら、自分の考えや得意なことを表現できる場所、発信できる場所が今はたくさんある。文章で表現したいことがあればブログやnote、手作りの作品を売買したいならメルカリなどのフリマサイトやminneなどのハンドメイド通販サイトなどだ。一方、母たちの世代は、育児に向き合ってきた日々はノートに綴り、得意な裁縫は子どもたちの持ち物に、ハンドメイドの作品はせいぜい幼稚園のバザーや近所のイベントでのお披露目だった。今なら、とんでもないクリエーターとして世に羽ばたいたであろう女性たちも発掘されることなく、我が家の自慢のお母ちゃんとして、人生を全うしている。

母親たちの時代。その人生がクローズアップされることは決して多くはなかった。地域の役に立っても、人と違うことをしても、PTAで理不尽な思いをしても、子育てておもしろいことがあっても、泣けるほど辛いことがあっても、夫がイクメンでなくても、世の中に発信されることはなかった。母の時代にnoteがあったら、母は何を綴っただろう。

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