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『Firebird ファイアバード』

※公式OK貰いましたので
映画『Firebird ファイアバード』舞台挨拶レポ動画です。

映画『トップガン』ではトム・クルーズの敵機として描かれたソ連製戦闘機ミグ。そのエース・パイロットが今作の主人公の一人である。
だからと言ってLGBTQ版『トップガン』という訳ではないが、迫力と緊迫の戦闘機シーンがあり、等身大のラブ・ストーリーには異色なミリタリー的面白さが加えられているのが本作の魅力の一つだ。普段ラブ・ストーリーに足を運ばない層にも楽しめる要素だと思う。

エース・パイロットとは、国を守る英雄である。
英雄が実は同性愛者であった、というのは規律の厳しい保守的な国、しかも軍隊の中とあっては衝撃的事実であろう。しかも若くて位も低い一兵士との恋である。このアイデアだけで面白そうな映画が作れる。だが物語は若い兵士側から語られる。

何故ならこれは「国と同性愛の対立」という世の中を俯瞰するような映画じゃなく、芸術(舞台と音楽)の趣味が合った二人の男がお互いの立場を超えて隠れて愛し合う、その「恋の心の揺れを繊細に描く」映画だからだ。
この映画の二人は激しく心が揺れる。この国では同性愛は法律で禁止されていて、バレると社会的死を意味するので、二人はお互いの恋を時には隠そうとし、時にはこの不条理への怒りから全てぶちまけたい衝動に駆られる。しかもパイロットは軍人としてのプライドも大切にしたい。若い兵士は何も持ってない者の純粋さからパイロットを不誠実に感じることがある。矛盾が生まれ、心が揺れる。

カメラは二人を客観的に撮るより、近づいてその表情の小さな変化などを主観的に寄り添って撮る。大義名分より心を繊細に描くのは現代の優れた映画に共通する部分だろう。20世紀、私たちは心をずいぶん置き去りにしてしまった。社会や構造を描く優れたドラマはたくさん作られたが、その時どんな痛みを感じていたのかというような心の問題を繊細に描くようになったのは近年の作品の方が多い。同性愛に対する社会や人々が俯瞰的・構造的に描かれるわけじゃなく、人物に迫るカメラが繊細な心理を紡いでいくから、とても納得がいく。例えば悪役ポジションの人が単なる嫌な奴として描かれてないのがリアリティに深みを与えてる。彼の立場にも彼なりの理がある。だから結婚式での彼の好々爺的な姿がとても切ない。

ところで同性愛を描いた作品が純度の高いラブ・ストーリーになりがちなのは何故だろう。一つ言えるのは、彼らがカテゴライズされる場所が社会の中にまだまだ無いからじゃないか。たとえば、この映画の中の女性は恋愛の先に「妻」というポジションを手にいれる。そして「母」にもなる。この古風なポジションの是非は今は置いておいて、とにかく周囲から認識されるポジションがある。それを手に入れることで、愛情が次のステージに進む。
しかし、同性愛の男性カップルには、この映画の舞台となる90年代の共産圏だけでなく、今も、多くの場所で収まれるポジションがない。それゆえに「恋心」を拠り所にしがちであり、ティーン・エイジャーの恋愛のように「今この瞬間」を求めて純度高く燃え上がるのだろう。そして二人のうちの一人は「軍人」というポジションを捨てられずにいるので、葛藤が生まれ、すれ違いの悲劇が起こる。

映像も美しい。密かに愛し合う兵士二人の上空をミグが飛んでいく息を呑む美しさのカットが印象的だ。


ところで写真は舞台挨拶の監督と主演二人の様子。
監督も語ってたが、この映画の公開により、舞台となったエストニアで同性愛に関する法律が変わったらしい。
まだまだ映画は社会を動かす力がある。

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