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真夏の夜のセクハラハラスメント

 フォロワー8000人記念に書き上げたnoteの炎上が、フォロワー8200人になっても未だ続くトゥーンベリ・ゴンです。このnoteについて、皆さんから多くの意見をいただくと共に、事もあろうに貴重なアンサーnoteまで頂きました。

しかし事態はこれに収まりません。離れ(note)が火種となった炎上が母屋(twitter)にまで伸びたと思ったら、母屋の別の所からも火の手が上がり、放火魔が駆けつけ、平成生まれの私に、『昭和セクハラ親父』という不名誉な称号が与えられてしまいました。

言うなれば母屋の鎮火活動に加わるどころか、キャンプファイヤーみたいに暖を取ったり、BBQをしたり、何なら季節外れの盆踊りでも踊りだし、勝手にステージを設営して大喜利ショーをおっ始めた、という感じです。

noteを書いたら、しばらくは余韻や反応を楽しみたいところではありますが、体育座りで腰を下ろしたまま目の前の祭りが終わるまで見守るのは愚策中の愚策。なにせ、燃えてるのはウチですから(笑)

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引用ツイート: のりつけ雅春。結婚アフロ田中⑩発売中 


はじめに

 まず私の作戦の全体像が見透かされてきているようなので、そのバレ始めた部分を解説しながらアンサーnoteをしゃぶっていきます。

当然この種明かしをやってしまうとフォロワー数が必ず減りますが、今回は身を切る覚悟をもってnoteを書きます。

単純に「1万フォロワー目指してます!」って言ったら「何言ってんだこいつ?んじゃフォロー外したるわw」って思う人がいらっしゃって、それを咎める事は出来ないんですよね。気持ちは分かります。

例えば8000人中、それが僅か1%であっても80人も減ってしまいますから短期的には物凄くデカイし悲しい後退なのですが、大きな目標の前ではこれもまた大きな試練と受け入れます。

「ちょ、元々アチコチに火を放ったのはゴンだろ?何言ってんだコイツ…てか何で毎週炎上してるんだよ」

って感じた方、半分正解です。笑

① 母屋と離れ(twitterとnote)

 ツイッターで私に”いっちょかみ(一丁噛み)”してくる人が良く言うセリフの一つに『ゴンには中身がない』『ゴンは何をしたいのか分からない』があります。

既に皆さんご存知の通り、私は大きく主張したい部分や内心の吐露などネタはこうしてnoteにまとめ、ツイッター上は「今日のワンコ」みたいなノリで、フェミニスト界隈のダブスタの指摘、世界のブーメラン採集等に使っています。

ひと昔前は私もツイッターのツリー機能を使って長々とレスバしていた時期がありましたし、今もやらない訳ではありませんが、長々と思いの丈を綴ったにも関わらず、後から読み返えそうとしたら色々と不都合がある事に気が付きました。

まず、下手をしたら数日どころか数週間、数ヶ月に渡って一つのツリーで延々と議論をしているパターン。これは主張がぶつかり合う双方のディベート力が欠けている場合もありますが、その多くはドッジボールのように攻撃されたプレイヤーが外野に出され、また外野から攻撃が成功すると内野に入ってくるようなプレイヤーの入れ替わりが激しいことが大きな要因に見えました。騒ぎが大きくなれば野次馬も寄ってきます。

本来、まともな大人同士なら、どちらか一方がテーマを提示し、そのテーマを元に議論をしたならば早期決着が望めるはずです。

しかし、勢いよくしゃしゃり出てきた無関係な野次馬達は、確信部分に触れられると「勉強しろ!お前と話す価値がない!」と自分の論を出す事なく、お前何しにきてん状態で場を荒らして消えます。

レスバになって収集がつかなくなりそうだったら、賛成派・反対派のどちらでも良いので「〇〇ってテーマは~」とnoteでもhatenaでもまとめればいいって話なのに、それをせずに愚痴愚痴と文句だけ言っては居なくなってしまいます。

双方が互いに「どっち陣営でもいいから誰かやれよ!私はやらないけど」って態度を取っているんですね。結局誰もまとめようとせず、数ヶ月に渡って一つのツリーで議論を続けたのに結論にたどり着かずに自然消滅してしまいます。

さらには、ツイッターのアカウントなんていくつでも作れますから、負けたらリセットボタンを押す人、最初からリセットボタンを押すつもりで新しくアカウントを作成してくる人も多い。

さらにさらに、都合が悪くなったら自分のツイートやアカウントを削除したり、アカウントに鍵を掛けてしまうまでいらっしゃいます。

これらの理由により、1週間掛けて結論を出したツリーであっても、1年もすれば歯抜けのツリーとなり、資料としての価値はなくなってしまうの性質をツイッターは持っています。

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別の視点からツイッターと言うシステムを見ますと、とあるアカウントのツイート数が何万ともなれば、その発信者がどう考えているのか?をツイッター上から探る事は大変むずかしいと言わざるを得ません。

ワード検索して仮にヒットしたとしても、そこから日付検索を使って前後のツイートを読む人は皆無でしょうから、その当時の流れならジョークや皮肉である事が一目瞭然であっても、後から探してピックアップすれば、それが誤解を産む火種に変わっていたなんて事もしばしばです。

こうした特性から鑑みるに、ツイッターは自身のビジョンや立ち位置を語るのは不向きで、誤解の発生は避けられません。むしろツイッターで発信すれば発信する程、誤解は大量生産されてしまうのです。

一方のnoteは、その議論の推移や記録、執筆時の心境がそのままダイレクトに残ります。今日観た映画の感想を今日書くのと、1ヶ月後・1年後に書くのでは勢いや描写が変わってしまうのは言うまでもありません。今書きたいと思った事をそのテンションで書き綴れるので、後から読み返して当時の状況の記憶を辿る事が出来るメリットがあります。

編集機能も強力でリンクをコピペすればニュース記事や情報サイト、ツイッターの記事を引用出来ますから、完全保存とは言えないまでもアーカイバーとしての能力も優秀です。4000字と言えば原稿用紙10枚分ですがnoteだと気を抜いてツラツラと書くとあっと言う間に達してしまいます。

しかし悲しいかな、noteには拡散力がない。独り言のように書き綴ってもスキが1つか2つ…ではとても悲しいし執筆意欲も湧いてきません。

ここでもうお気づきでしょうが、ツイッターでフォロワー数を増やしながらnoteで地固めをして行く作戦が有効ではないか?と思い立つ訳です。

お陰様でこの1年強、noteを書くことでレスバやツッコミは激減し、減少し続けています。自分が一度noteに編纂しておけば記憶にも強く残るのでレスバもし易く、トンチンカンな言いがかりも早期にお帰り頂けるようになりました(とか言いつつ今燃えてるんですけどね。笑)

 こうして、母屋と離れ(twitterとnote)のメリットを相互に利用しながら活動し、現在に至ります。


② 非モテこそ結婚しろ

 前章から引き継ぎますが、こうしてある程度活動していますと、なんだかんだ言いつつも私のnoteを読んでる方々にとっては私の向いている方向やビジョンは伝わり、ファン層を形成しています。

ツイッターで私の日常をおもしろおかしく観察しているという、一種のエンターテインメントが形成され、また規模が小さいながら”受け入れてくれる人々がいる”と言っても良い状況を確立しつつあります。

承前の『ゴンには中身がない』『ゴンは何をしたいのか分からない』と言う方は、大抵同時に『読む前から読む価値がない』『反吐が出る』『読まなくても分かる』『ちょっと読んだだけで嫌気がさしたので止めた』ともおっしゃいます。

いいんです。私は読む方に対して奉仕したいのであって、読まない方をどうしようもありませんから。

しかし同時に、議論をする上でテーマとなる資料を読む前から決めつけると言う行為、先入観を元に嫌悪感を示す行為は、一般社会人として恥ずかしい行為だと留意する事をおすすめします。例えそれが、自分とは宗教や価値観が異なる相手のものであっても。

私はツイッター上では笑って見過ごしますし「全部ゴンのせい」も気に入っていますけど、それをツイッターで公言する事が普通の感覚の持ち主からどれくらいドン引きされているかは知っておいた方が良いと思います。

 さてこちらは執筆初期のnoteですけれども、この私の内心の吐露に多くの反響を頂けた事は非常に力になりました。と言うか、これで大分気を良くしました(笑)また、このnoteを元に引用リツイートやメンションで、多くの感想も頂く事が出来ました(ポジティブ/ネガティブ含めて)。

ある程度のボリュームがあると議論のベースがあるので、やはり議論は活発になりますが、同じく前章にのっとれば、書けば書いたで文句は言われます。笑

 「自身に都合良く書いている!」と。

そうなんです。noteにまとめて書けば、議論のベースをコントロールしたり、イニシアティブを握る事が出来るんです。資料も自説に都合の良いものを選択出来ますし、予め反論用の資料に目を通す事も出来ます。

要するに 「自身に都合良く書いているん」です。

そして、文句を言うためにツイッターで140文字程度を連投する人は沢山いても、ある程度のボリュームの文章を書くという行為を、他の人は意外に取らないと言う事にも気が付きました。

実際に書き終わって公開してしまえば全体的に体裁の整ったそれなりの文章がありますから、確かに不公平感=都合良く書いている(我田引水でnoteを書いていますから)は出てくるでしょう。

しかし文章を書くチャンスは誰にでも平等にあって、他方は書かない選択をしたにも関わらず、この議論には口を挟みたいのですから、私のnoteを受け入れるor自身でnoteを書けば良いと言う話にしかなりませんよね。笑

こうして私は、自身の恥部や忘れてしまいたい過去をネタに、深刻に考え込んでしまわない程度のユーモラスな表現を使い、公開したところ好評を獲得し、現在の活動の源泉となったのです。


③ 非モテは死ねばいい?

 先のnoteが受け入れられた理由の一つに、終わらないスクールカーストが背景にあると思います。都会に比べて校外には私立小学校や中学校も少なく(場合によってはなく)、下手をすると小中高と同じ顔合わせになります。

そこで男女関わらず非モテ属性を押し付けられ、ピラミッドの最底辺へ属してしまうと、その後何年にも渡って最底辺を抜け出せなくなってしまうのです。


イジメです。

このようなイジメがなくならない理由は様々ですが、なくなっていない、むしろ増えているのではないかと感じさせる事があります。

私のことを「マンガすら読んだ事のない堅物」と言う人は皆無です。むしろ「マンガしか読んでないんじゃないか?」と思う人もいるんじゃないかと言うレベルの漫画好きですが、最近だとネットでインディーズやアマチュア作品が読めるようになりました。

そこで気がつくのは、まず学校のいじめネタが凄く多いんです。イジメやイジリ、無視、無理解で苦しむ主人公。商業誌なら、イジメラレっ子や友達もいない主人公が、異世界に転生して活躍するパターンもあります。

顔が、体型が、動きが、と気持ち悪がられたり、教科書を読むのが遅い、たどたどしい、運動能力が低い、走るのが遅い、得意な事が何もない、あってもキモイ等々。


では、キモイ奴は死ね、非モテは死ね、って事でしょうか?

いいえ。違います。


社会に出れば分かります。多くの社会人や労働者はイケメン・美女ではありませんし、何なら普通以下です。でも、仕事を一生懸命にやってお金を稼いでみんな普通に生活をしています。

社会に出て働き始めると、全然死ぬ必要もなく、普通に勉強して普通に働けばなにも問題ないことが分かります。

しかしイジメに熱中している加害者も、ターゲットになっている被害者も気が付かないものです。その狭い世界が、世界の全てであるかのように勘違いしてしまいます。特に被害者は追い詰められてしまうのです。

そして、そんな非モテの代表の顔面平均以下のキモイ私ですら結婚出来たんだから、皆さんにもチャンスありますよと伝えたいんです。私みたいな人間だって這い上がれたんだから、みんなも這い上がることが出来るよと本気で伝えたいんです。

私の活動は、幼少期から大人になるまでスクールカースト下位のせいで、ずっと感じてきた「劣等感」「コンプレックス」「妬み嫉み」「苦しみ」「悲しみ」の全てをひっくり返すリベンジです。私から社会への復讐劇です。

リアルの「私」という看板が外れて、トゥーンベリ・ゴンのアイコンを看板にすれば、論だけで、文章だけで(最近ちょいちょい声出してる)こんなにも周りの人間達と戦えるんだぞと。

自分がキモイのを恐れる必要は何もないのです。本当の敵は自分の中にいます。みんなそこまで相手のことを見てないです。

スクールカースト下位のバイアスを取り除けば、先入観さえなければ、自分の論だけでも十分世間の人間と渡り合えるんです。学校を卒業しちゃえば、もう自分を邪魔しようと人間はいないんです。

と、当時の自分にも言ってあげたい。笑


④ フォロワー数のパワー

 私はフォロワー数の獲得を目標にしていると明確にツイートしています。そしてそれについて、「フォロワー至上主義だ」「他人をおちょくってフォロワーを獲得するキモイ奴」などと言われています。

では、フォロワー数の価値とはなんでしょうか?

よくある事ですが、私にメンションをつけたアカウントに返信した所、返答もなくブロックをされたり、アカウントを削除されたりします。

なぜ私に絡んでくるのか?それは、今の私は弱小じゃないからです。もし私のフォロワー数が300程度だったら、誰からも見向きもされないでしょう。500でもほぼ変わらないと思います。相手からすると絡む意味がないんです。

こういった経験上、フォロワー数が多いアカウントが、二桁・三桁のアカウントを無視するのも頷けます。相手はいつ消しても良いアカウントで罵詈雑言のオンパレード、何の証拠もなくお気持ちだけで攻撃的な物言いに終始し、メンションをつければ削除かブロックか鍵アカウント。恥も外聞もなく、ネカマとバレてもお構いなしです。

私も弱小時代があったので極力エゴサして拾ってはいるものの、流石にこれが続くとゲンナリしてしまいます。後には何も残りません。

同様に、私も弱小時代に多くの大手アカウントから無視され続けられました。2000を超えた辺りから少しずつ構って貰えるようになり、4000を超えると逆に絡んでくるアカウントの方が多くなります。

つまり、多くの人は「フォロワー数なんか関係ないし、その人のツイートの中身や性格で決めている」と口ではいいながらも、ツイッター全体を見渡せばフォロワー数にはまだまだ価値がある事が分かります。

絡まれるかどうかの指標としては、先のイジメの話と通づるものがありますが、理知的で理路整然とツイートする頭の良さそうな人は絡まれにくい。また読書量が多く、書物からの引用をする人も絡まれにくい。もし喧嘩を売ったとしたら、返り討ちにあう可能性が高いからです。

しかし逆に、ツイッターではそうしたインテリ層のフォロワー数が必ずしも増えない事象をしばしば目にする事が出来ます。頭が良さそう過ぎて絡めない、すなわちフォロワーも増えないという結果です。

私はマンガからの引用を多数しています。むしろ引用要件についてお叱りを受ける程に引用しまくりますが、この手法もフォロワー獲得の一助となります。

例えば、私がカントやソクラテスを引用して何かを伝えようとしたら、恐らく全然ウケないでしょう。むしろドン引きされると思います。

キャラじゃないってのもありますが、ツイッターではアカデミックに言論を戦わせる人々と、カジュアルに相手の揚げ足を取り合う人々では後者の方が圧倒的に多いので、同じように何かを引用して指標とすべき事例を提示したい時は、マンガのワンシーンと言うのはキャッチーでポップで、それを知る者にとっては響くのではないかと思われます。

逆に、言論を操る青識亜論さんがマンガのワンシーンを引用したら、青識さんの界隈、議論クラスタには言論・弁舌で競い合う人々が集まってますから、これもドン引きでしょうね。

軽くまとめると、

・フォロワー数が少ない人は絡まれにくい。露出度が少ないのは当然ですが、絡む価値がないからです。

・転じて、相手が絡んできたいな、言い負かしてやりたいな、と思うくらいのフォロワー数は必要。

・理路整然としていて頭の良い人(良さそうに見える人)は絡まれない。

・頭が良くなさそうで、フォロワー数が多い人は絡まれやすい。相手が自己顕示欲を発散できるから。

・引用先が堅いと反論の余地がないので絡まれにくい、言い負かしやすいがフォロワー数は増えにくい


という傾向がツイッターにはあるのではないかと思います。

⑤ ホームラン戦略とフライボール革命
(アンサーへのアンサー)

・神崎編

トゥーンベリ・ゴン氏の戦略は「インプレッション数」の最大化。
インプレッションを最大にするためには、トゥーンベリ・ゴン氏も言う通り「バズらせること」が重要な目標となります。

これは、野球で言う「ホームラン狙い」です。
対して、私の戦略は「エンゲージメント率」の最大化となります。

 より正確には「正のエンゲージメント」です。つまり、全く反応が無いツイートを控えると共に、極端な反発による「負のエンゲージメント」が起こり得る過激な言動も避けます。

<中略>

これは、野球で言う「ヒット狙い」です。

 神崎さんの分析力には頭が下がります。私のお笑いへの造詣と、私の日々のツイートからここまで読み取るかと脱帽するしかありません。もはや語り尽くされてしまっています。笑

先のフォロワー数獲得の話もそうですが、フォロワー数が少ないと、RTもフォロワー内だけで収まってしまいます。爆発的にRTやいいねがついて、ポジティブフォロワーだけに留まらずにネガティブフォロワーまで届き、さらに一言二言反論ツイートを貰うまでが起こってはじめて、ネガティブフォロワーの獲得に繋がります。

この界隈、タダでさえ少ないフェミニスト自称層に対して「アンチ行動を取る者」はさらに少ないですから、ポジティブフォロワーだけの獲得を狙っていては5000を超えるフォロワー数を獲得出来なかったと思います。

私が不穏当なツイートをして凍結され、「ざまーみろ!ゴン!」とスクショと共にツイートして勝ち誇る一瞬のエクスタシーを感じるために、今か今かと待ち構えるフォロワーも含めて増えていかねば、アンチフェミネタで5桁を超えるRT・ファボには届きません。

こうして「今日のワンコ」みたいなノリのツイートで素振りをしながら、バッターボックスに立った時には常にホームランばかりを狙い、ホームランに届かなかったツイートはどうなるか?・・・

「ふーん。H(ヒット)じゃん。」

力こそパワーです。ホームランを常に狙っていると、打ち損じても長打を狙えるんです。そもそも大谷翔平レベルになれば外野フライは全部ホームランです。

などと言っている場合ではありません。私は今、信頼を置く方から苦言を呈されているのです。Hって字を使ってごめんなさい。

でも思い返してみて下さい。私の大好きな漫画、HUNTER×HUNTERの略称は『H×H』です。あだち充の名作のタイトルは略さずとも『 H2』ですよ?

みんな人でそんなに 『H』アレルギーなんですかね?

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ここで服買ったら気絶するんじゃないですか?HにMですよ??

そして神崎さんに一言だけ言いたい。

もう1度、考えてみてください。

 『フェミテロ』という言葉は。

 「笑い」に変わるものでしょうか。

 「幸せ」になれるものでしょうか。

そして、お笑いという観点で。

最後にあえて、申し上げるとしたら。

……。

 『フェミテロ』は少々、スベってないでしょうか。

 お笑い大好きな私にとって「スベった」は最も刺さる評価です。三日三晩寝込みました。私は神崎さんを絶対に許さない、絶対にだ。


・ホイル編

 彼とはなんだかんだで長い付き合いになりますが、ほぼブロックしてたので、ツイキャスがジャムおじさんみたいな声だなって事しか知りません。

ですが、この分析はなかなか私の性格を見抜いてます。しかし半分は不正解。意図的にフォロワーを増やそうとはしていますし、青識さんとは別の方向性でエンタメ色を濃くしてはいるものの、私は他人を舐めてはいません。

青識/神崎路線と別の層の獲得に【自覚的】な様子は伺えた。
『どーせお前らはエンタメの方が好きなんだろw』という人を舐めた態度(事実ではあるだろうがw)が透けて見えるぞ。

またこのツイッター内に限れば、アカデミックな議論が格上で、エンタメが格下だとも考えていません。あくまでもSNSの性質や参加者の構成上、エンタメ色が強めでキャッチーな表現や文体の方が好まれると感じたのでそうしているのです。

私はフォロワー数を増やしたいから、一人からフォローされる大変さを知っているつもりです。既に説明したように「フォロワー数なんか関係ない」を言い訳にしたくありません。そしてツイッタラーに「フォロワー数増やすの意味あるの?」みたいな物言いは無粋だと思います。

一企業の社長さんに「どーせ金のためだろ?」と聞いたら失礼に当たるように。社長さんにはビジョンや目標があり、実現の為に利益を創出しているのです。私もフォロワー数を増やす事そのものが目標ではありません。

非モテ・アンチフェミ属性でフォロワーを増やすのは本当に大変ですし、折角フォローしてくれた人々を楽しませたいと常々考えています。そして、今回のように意図せず炎上する事もあります。

迷惑系youtuberや、とんでもない事をツイートして耳目を集めるような悪乗をしたつもりはなくとも、フォロワー8000人の拡散力で様々な方面に拡大してしまいます。これは今後の課題として受け止めねばなりません。

フェミテロの件もこっそり反省しようかちょっと悩んでます。あと4ヶ月ほどじっくり考えさせて下さい。

・マスナリ編

 皆さんお感じのように、小田急事件に端を発したフェミサイド宣言が、私のフェミテロ発言に繋がったのは言うまでもありません。その後の神崎さんの募金の呼びかけ、幻集郎氏のブラッシュアップによる拡散の裏で付箋紙やTシャツで何かをしようとしたフェミニストの求心力がリアルタイムで低下していった様子はまだ記憶に新しいでしょう。

そんな中、マスナリさんのスペースで幻集郎氏との対談があると言うことでyoutubeで視聴しておりましたが、マスナリさんの優しさに溢れておりました。

フェミニストが求心力を失いつつある今、アンチフェミニストの行動変容が求められているのではないか、おちょくりの先に何があるのかを示すべきではないか、との大変優しい問いかけをされていました。

正直なところ私も幻集郎氏と同様でエンタメ基調のタイプに分類されると思います。味方以上に敵も引き寄せるキャラクターです。胸に刺さりました。

そして今回、次々にオウンゴールを放り込むフェミニストにダメ押しするどころか、私自身がオウンゴールを決めてしまった訳ですが、マスナリさんは再び私(我々アンチフェミ)に対して優しい言葉を掛けてくれたのです。

そろそろ私にも行動変容が必要であると感じてきているのは事実です。そして穏健派の方からこうしたアドバイスを頂ける事に心から感謝しています。

ただ、このキャラクターを直様方向転換する事は出来ません。明日からエンタメを排したり、またアンチフェミに明日からやめようと性急に変容する事は出来ないのです。

つい昨日までエンターテイメントをしていた私が、明日にはそのエンタメを否定するのが難しいという事は、マスナリさん、神崎さんにはご理解頂きたいと思います。

しかし、お二人からのアドバイスはしっかり胸に留め置きましたので、然るべき機会が来たらお話させて頂きたいと思います。本当にありがとうございます。

・手嶋編

つづいて手嶋海嶺氏のnote… 神崎さん、マスナリさんのnoteを受けての考察です。とってもゆっくり読みました。これも仰る通りで、第三者から見て両氏の提唱する柔和路線、穏健路線が成功するとは限りませんし、もしかしたらおちょくりを超えて先鋭化した先に勝利が訪れる世界線があるかもしれません。リスク管理をするならば両建てもアリでしょう。

しかし私は将来的に、両氏のアドバイスを受け入れたいと考えています。これは決して妥協ではありません。私一人で稼げるフォロワー数は高々知れていますから、大きな目標を達成する為に私一人が意地になって、この期に及んで”フェミテロ”を押し通す価値は最早ありません。

もしかすると現在のトゥーンベリ・ゴンのファンの方は去ってしまうかもしれませんが、極力そうならないようなスタイルを模索したいと考えています。

⑥ 真夏の夜のセクハラハラスメント

 10000字以上の前置きをしてやっと本題に入ります。お待たせしました。

ここで改めて私のビジョン、目標を語らせて頂きますが、私の目標は「非モテの開放」です。大枠としては男女平等主義やイジメの撲滅がメインテーマで、特に若年層に自身のコンプレックスとどう向き合えば良いのか、その助力になれれば良いなと考えています。

スクールカーストは性別に関わらず第三者からそのポジションに押し付けられると、その被害者は思春期に大きな傷を負い、自信を無くして生活や学業へ支障をきたします。

しかし承前の通り、一歩社会に出てみれば仕事さえ普通に出来れば顔や体型、性別でハラスメントや大人のイジメを受けるかと言われればそうではありません。もちろん社会問題として現存はしますが、利潤の追求と言う目的を有した集団が企業内に集まっていますから、テレビドラマや再現バラエティーのようにハラスメントが横行し、いつ仕事をしているのか良く分からないという状況にはならないでしょう。

もし学生時代に上手にコンプレックスと向き合う事が出来て、他者とのコミュニケーションを苦手にさえならなければ普通に就職して、普通に生活する事が可能です。逆に思いつめて視野をせばめ、コミュニケーションが苦手になると、就職にも影響を及ぼし兼ねません。

日本では労働して賃金を得て生活していれば、さらには信頼のある地位にあれば尚更、自身が犯罪の加害者になる事は統計上稀と言えます。一方で仕事を得られなければ自尊心は低くなりがちで、他人からの目線が気になります。折角就職しても短期間で辞めてしまったり、自暴自棄になって犯罪に手を染めてしまっては元も子もありません。

したがって非モテである事、スクールカースト下位である事を引きずったままで大学生活・社会人生活に突入するのではなく、コンプレックスと上手くつき合いながら明るい気分で新たな生活を迎えて欲しいと願っています。

コンプレックスと上手く付き合うと一口で言うのは簡単ですが、現実はそうではありません。人によって、解消してあげるのが良いのか、戦わせた方が良いのか、共存させた方が良いのか、正解が違うのです。

もちろん無いに越した事はありませんが、若い男女が非モテのレッテルを貼られ、スクールカーストの下位にランキングされた時の心のあり方にフォーカスを当てた活動をしてみたいです。

さて、そうした目的を持つ私=エンタメの権化として知られるゴンが指摘を受けたツイートがこちら。

私のツイートそのものは見た目の通り大したインプレッションではないのですが、引用元のオリちゃんはそうは行きませんでした。その顛末をタイミング良く神崎さんがnoteにまとめてくれたので、早くも引用させて頂く事にします。

こちらで今回の騒動の流れを全て確認できます。

もはやこのnote、フェミニズムの歴史を学べる教科書といえるでしょう。フェミニストを名乗る方、アンチフェミニストとして活動したい方は必読です。

この中で神崎さんはこのように吐露しています。

ここまでを踏まえて、申し上げさせて頂くと……。

 「下ネタ」がセクハラを誘発するか、あるいは性の解放となるか、はたまた家父長制による性的消費なのか、家父長制への反抗なのか。

 現時点では、分からない。

 ……という結論になります。

これは、先ほど私が書いた文章と似ています。

コンプレックスと上手く付き合うと一口で言うのは簡単ですが、現実はそうではありません。人によって、解消してあげるのが良いのか、戦わせた方が良いのか、共存させた方が良いのか、正解が違うのです。

正解が分からないからこそ個別に個人に寄り添い、話を聞かねばならない事が共通しており、正解が分からないからこそ、一事の顛末を一つの型にハメようとはしないのです。

一方で、オリちゃんに粘着しているアカウントは、オリちゃん本人がハラスメントを否定しているにも関わらず、自身の物差しを使い、型にハメ、自身の主張に絶対の自信を持ってハラスメントだと断定、その主張をし続けます。


私がツイッターのルールに言及するのも何ですが、見たくないものがTLに回ってくるなんてのは日常茶飯事で、イチイチ不適切だの消せだの謝罪しろだのと言っていたらキリがありません。ブロックやミュートをすれば良いのです。これはツイッターの公式ヘルプにも動画付きで説明があります。

Twitterをより快適に活用する方法

ミュートの詳細設定オプションを使用する方法

そして構い続けた我々も反省せねばならないのは、我々もまた彼らをブロックすれば良かったと言う事です。この手の話は言わずもがな平行線で終わる事が殆どですから、互いの主張を認め合って物別れに終わるのですが、今回の相手はそうする事が出来ない相手だったのです。

しかし私は、これらのやりとりの中で、自分自身の成長を確信しつつあります。フォロワーが増えて多様な方々と議論を重ねる度に、非モテポジションであったはずの私の心が癒やされているのです。

先ほど「苦言を受け入れる事は妥協ではない」と表現しました。この心境の変化は成長や進化に近いのではないかと思います。

話を戻しまして、オリちゃんのツイートや一連の対応に非があったでしょうか?私は無かったと確信しています。

オリちゃんを何日間も追いかけまして、深夜だろうと長文のリプを貼り付けてる親父は、明確な「セクハラハラスメント」をしてる加害者です。今世ではもう手遅れなので、来世まで反省して下さい。

また、私自身がオリちゃんに「セクハラじゃなかった?」と聞いて回答を得ても意味がない所、神崎さんが尋ねてくれたのは大変ありがたかったです。重ねて感謝いたします。


⑦ まとめ

 女性が下ネタを言って良いのか?と言う題材があれば現時点では賛否は割れるでしょう。しかしフェミニストもアンチフェミニストも男女平等を標榜するのであれば、女性が下ネタを言ってもいいと私は考えます。

問題は、女性が下ネタを口にした事と、性的に開放され誰でも受け入れるようなイメージを混同し、実際に手を出してしまう事でしょう。

逆に言えば、男女の距離の測り方を互いに知っていれば、下ネタを言っても安全だと分かっていれば問題はないのです。

最後に「フェミテロ」を正式に撤回させて頂きたいと思います。アンチフェミ活動の歴史は、後世に残らないくらい小さいものかもしれません。しかし「フェミテロ」を使い続け、私が想像しなかった分断を生んだとしたならば後の歴史家はアンチフェミニストを評価しないでしょう。私一人の安直な言動でアンチフェミニストの歴史が黒くなってしまう事は私の本意ではありません。

またこのnoteを書く過程で、自身の心境の変化も伺え清々しい気持ちで撤回を受け入れる事が出来そうです。この場を借りて謝罪をさせて頂きます。

「フェミテロ」という表現は不適切でした。大変失礼いたしました。謹んでお詫び申し上げます。

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出典:ONE PIECE(ジャンプ・コミックス)

アンサーnoteやツイートを頂いた多くの皆様には重ねて感謝申し上げます。

またすぐに炎上すると思いますが、温かい目で見守って頂きたいです。いつも応援ありがとうございます!

#フェミニスト
#フェミニズム
#コラム
#ふーんえっちじゃん

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