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誰かの人生に関わるということ。


私は、自分自身もASDとADHDを持っている。

それでも、支援者の道をありがたいことに歩んでいる。

この世界を知るきっかけになった彼ら彼女らは

今頃どうしているんだろうか。

彼ら、彼女らがいなければ、今のように

毎日はきらきらしていなかった。


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ありがたいことに、

私は人に恵まれて、合理的配慮のなされた環境で

様々な仕事に取り組ませていただいている。

普通の職場では考えられないだろうけど

私は職場が騒がしい時にはイヤフォンをする。

薄く波の音を流しているときもある。

私には元から聴覚の過敏さがあって

騒がしい場所で一つの会話を聞き取ることや

集中を一定に保つことが難しい。

視覚認知や空間認知が弱く、

目から入った情報を注意深く観察したり

耳から聞いた情報を覚えていることが難しい。

そんな凸凹に気付いたのも、

この世界に関わることが出来たからだと思う。

昔よりは随分、自分のできないことや

努力したことを認められるようになった。


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でも、だからと言って現場に出れば

支援は待ったなしで。

日々ご利用者さんの様子は変わる。

わたしたちとおなじように、

その日の体調、その日の気分、

その日のコンディションは違うわけで。

発達特性故の生きづらい毎日の中で

いかに支援の手を介入させたり(時には見守ったり)

休日の余暇でリフレッシュをして頂いたり

多くの医療や福祉と繋がりネットワークを広げて

包括的に支えていけるかなんだと思う。

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その中で、

いち支援員でしかない私に出来ることや

繋がる権限なんて全くなくて。

でも、だからといって、

そこに胡坐をかいているようでは

支援者ではいられないと思っている。

日々変わる状況の中で

ご利用者さんの先々を考えたうえで

何がベストで、そのベストに向かう

スモールステップをどう刻むかは

大切に考えていたいし。

大切に考えられる支援者の仲間を

増やしてゆければと思う。


人に何かを伝えることは

とてもとても難しくて。

取り違えたり 間違えてしまったり

いろんなトラブルもあるんだけれど


ひも解いてゆく力を

諦めずにいたいな


間違えても 失敗しても

もう一度 繋ぎなおせる


そんなひとに、なりたいな。

なるんだ。

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