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医者には解らない人間の体の神秘

人間のからだ全体の六五パーセントは水分であり、これは、地球上にある水分量と同じである。

また六〇兆もある細胞、筋肉の中には、常に流れがあり、臓器も、手足も、顔にある目鼻も口も、すべてが連結して動いている。

そして、この自然界、地球上の生命ある物。 その植物も動物も、すべての生命の種類が六〇兆ある。

そして人間は、自然の産物。大自然の中の小自然である。

ただ、学者、医学博士、病院のお医者さんは、それを解剖学、統計医学、薬学という枠の中に収め、部品的に物を見て、調べて、他人の知識に頼って考えている。

人間の体は、部品の組み合わせではない。 母体。母親の体内から出てくる以前から、人間の形をした一つの固まりとして、一つにまとめられた状態で今生に産み落とされる。

製造メーカーは一つである。 それがどうして、あらゆる科に別れ、人間の体をバラバラに考えて、診て治そうとするのか。

例えば人は、突然、上から物が落ちてくると、「さぁ落ちてきたから目を瞑るよ」と言わなくても、瞬間的にパッと目を瞑る。誰がどう命令したわけでもなく、その時、人間の目はちゃんと瞑るように創られている。

チリも、ホコリも、上から物が落ちてきても目の中に入らないように、そこに睫が生えていて、目を閉じた時、上瞼があり、返してみれば何にもない。血管があるだけである。

また、人の涙は、鉄砲水のように一度にグーッと出てしまえば、外へ溢れてしまう。そこに常に、必要なだけ涙を分泌
していれば、涙腺を通って中に入って行く。

ここまで精巧に創られた人間の目の動き。 そこにある涙一滴。それに似せた目薬をどんなに立派に作っても、どう考えても、人間そのものが分泌している涙とは別な物である。

睫一本と上瞼と下瞼。その、瞬きした時に、中に入ってる結節。 血管と目の玉と・・・。
この微妙な境。これほどの物を、どんなに医療技術が進歩しても、科学が発達しても、医学者、科学者が、どう考えても、人間が造れる物ではない。

人間の肉体とはそれほど、精巧に創られている

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このような時代に、人間がどの様にしたら、健康に幸せに生きて行くことが出来るのか、明確にこちらのブログで書き記していきます