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私がエンジニアになるまで




私がエンジニアを目指すまでのお話を書いてみようと思います。


小中高時代

小中高生のときは我ながら目立たがり屋だったな~と感じる。
この時代から「何者かになりたい!」という気持ちが強かった。

しかし、悲しいことに自分自身には何かに特化した才能は全く無かった…

ゲームがめちゃくちゃ上手いわけでも無ければ小学三年生からやっていたサッカーはスタメンとベンチをいったり来たり

絵を書いてみようと思って2,3ヶ月ほど試してみたが、自分の下手さに吐き気がして断念。
当時は自分がめちゃくちゃ絵がうまいと勘違いして机にシャーペンで絵を書いてみんなに見せたり、ピクシブに絵を投稿して3いいねくらいもらえるとめちゃくちゃ喜んだりしてました。(黒歴史)

音楽が好きで、邦ロックアーティストを聞いていたので「そうだ!音楽をやろう」と思い立ち親父に相談すると


「バンドやるならドラマーは人少ないから簡単にバンドメンバーになれるよ。やるならドラムをおすすめする」

と言われ、音がほぼ鳴らないドラムの練習セットを購入。

しかし自分がやりたかったことはメロディーを奏でることで、ドラムだけ叩いていても全くその曲っぽい感じにならないと気づいて2週間でやめる

唯一続いたのはブレイクダンス

当時めちゃイケ黄金期でゴリやナイナイの岡村がテレビでブレイクダンスをやっていた

ここで始めてブレイクダンスの存在を知り、オカザイルを見て「これができたらクラスで人気者になれるかも!」と思い、一人でブレイクダンスを始めた


クラスで一人だけブレイクダンスの存在を知っている友達の墨田君と一緒に近くの公園に行って放課後ブレイクダンスを練習した。

半年くらい続けたところでウインドミルとスワイプスという技ができるようになった。


いわゆるパワームーブと呼ばれるザ・ブレイクダンスという動きで、精度が悪くて形が汚かったが、とりあえず回れるようになったということでクラスで披露した。

その結果、「何やってんのあいつ?」的な寒い空気になりクラスのみんなは反応に困っていたように思う。

墨田君はこの頃にはブレイクダンスの練習はやめていた。


プログラミングとは全く縁のない生活を送っていたが、小学生の時から家にはノートパソコンがあった。

ブロードバンドだったので動画の再生にはかなり時間がかかったのを覚えている。

見ていたのは主にゲームの攻略サイトだった。

裏技を調べるのが好きでワザップでよく嘘の情報に騙され、再現しない方法もよくあったがps2版でCDを開いた状態にすると海を渡れることを知ったときは感動した。

小学生の頃はローマ字という概念が理解できず、PCでの入力はすべて日本語入力を使用していた。

この場合50音のすべてのキー配置を覚えないといけないため、タイピングが絶望的に遅かった。

中学生になってローマ字という概念を理解してからはタイピング速度が少し向上したが、今も多分そんなに早くない。

高校生になったときに自分専用のデスクトップPCを買ってもらえた。
これはめちゃくちゃ嬉しかった。

とはいえ相変わらずやっていることはゲームの攻略サイトを漁るネットサーフィンだけ。

高校3年生になったときには「将来どんな職業に就こうかな?」と悩んだりしたが、そもそも世の中にどんな職業があるのかすら分からなかった。

あと当時はなんJやVIPにドハマリしており、プログラマー=IT土方みたいなイメージが自分の中にあり「絶対プログラマーだけにはならんでおこう」とすら思っていた。


大学時代

大学時代は高校生からやっていたブレイクダンスにハマって毎日練習していた。
このときにはブレイクダンスのパワームーブの中で最も難しいと言われるエアートラックスという技ができるようになるまで上達していた。


しかし、ダンサーになるというのは現実的な選択肢じゃないなと思っていた。

そもそもプロダンサーの母数が少なすぎる上に、上には上がいると実感。
あと小学生のキッズダンサーが自分が一生かけてもできそうな技を軽々とこなす動画を見て絶望。ダンスを辞めることを決意する。

あと、当時ダンスをやっている周りの人はみんなダメ人間だったということもありこの環境だと自分は良くない方向に進んでいくのでは?という気持ちも強かった

  • ダンサーA(同じ大学の友達)

    • 海外でビザが切れたまま不法滞在をしている

    • 一度も就職したことがない

    • よく奇声を発する(「チョアー」とかよく言う)

  • ダンサーB(先輩)

    • 地元でダンスを教えてくれた

    • フリーター

    • ダンスの先輩だと思って慕っていたが、自分の引っ越しの際に引越し業者のバイトとして働いているところを目撃してしまい尊敬の念が完全に消える

  • ダンサーC(サークルの同期)

    • マルチをやっている

    • サークルでのあだ名が「詐欺師」

    • 実際に同じサークルの後輩の女の子がダンサーCからの投資詐欺話に乗ってしまい、50万円という大学1年生にとっては人生を左右するほどの大金を失う


とりあえず自分は絶対に就職してまともになろうという気持ちが高まった環境だった。
ブレイクダンサーはもちろんいい人もたくさんいるが、変な人も多い。


就職が近づく大学4年生のときに、改めて就きたいと思う職業を考えたが全く思いつかなかった。

昔から本を読むことが好きだったので、いろんな職業の本を読んでいたときにサイバーエージェントの社長 藤田晋さんの「渋谷ではたらく社長の告白」を読んで感銘を受ける


ここで、始めて起業やweb業界っていいなあと思った。

あとこのときに「渋谷ではたらく社長の告白」を元にしたドラマ 「会社は学校じゃねぇんだよ」が無料公開されており、これも全部視聴して「こんな風になりたい!」と本気で思った。


しかしただの大学生がいきなり起業するというのはハードルが高いなと感じた。

実店舗型のビジネスはランニングコストがかかるため、失敗したら借金を背負うことになってしまう。

webサービスであれば自分で開発したらタダで自分のアイデアをビジネスにできるうえ、失敗しても時間以外のデメリットはない。

ここで「起業するなら絶対にwebサービスだ!」と決意するも、プログラミングのやり方が全く分からず諦めた。

諦めてばっかりの人生だが、とりあえず就職先は見つかりサラリーマンに。

社会人時代

正直仕事ができる方ではなかった。

毎日上司に呼び出されて怒られていた。
しかも内容が

  • 「橋田くん洋服が生乾きの匂いしてて臭いけど、ちゃんと洗濯とかしてる?」

  • 「髪の毛が長すぎるからちゃんと切ってね」

  • 「洋服がみすぼらしすぎる上に、奇抜すぎる。ユニクロでちゃんとした洋服を買ってきて」

  • 「貧乏ゆすりが鬱陶しいからやめなさい」

など、仕事以前の問題でよく怒られていた。

今でも全く社会に適合できていないが、当時ちゃんと指摘してくれた上司には感謝😭

「自分には人間関係に直接関係するような仕事は向いてない!」と強く実感する。

この時によく自分のことを心配して飲みいったり相談に乗ってくれた同期に感謝

同期は本当にいい人ばかりで

  • 体育会系マッチョのMくん

    • しっかりとした志があり、熱い心を持つ男だった

  • 人を思いやる気持ちが強くてとても優しいUさん

    • 「ああ、この人は人の悪という感情を捨て去って生まれてきたんだな」というくらいの聖人

  • 元お笑い芸人のOさん

    • 会議中にいつも笑いを取りに行っていた

など、素敵なメンバーばかりだった。

そして運良く職場ではコードを書いている人が何人かいた。

spreadsheetでの業務を自動化するためにGASを書いていた人が何名かいて、一度スクリプトを作ってしまえばその人以外コードを理解できないため、コードを書ける人がどんどん出世していくのを目の当たりにし、「自分にはもうこれしかない!」と思い、どんどんGASで自動化スクリプトを作成。

スプレッドシートの特定行に変更があればgmailに通知が飛ぶようにしたり、ボタンクリックで自動的にデータが入力されるようなスクリプトを作った。

そうこうしているうちに「プログラミング楽しいな」と感じてドットインストールで勉強してオリジナルサイトを作ったりしてみた。

当時はVue2が流行っていたので、Vue2+FirebaseでWebアプリを色々作る。
Vuetifyで簡単にそれっぽい見た目を作ることができることに感動した

  • Twitterアカウントを褒め合うという痛いコンセプトのサイトを作成

    • Twitter APIが有料になったためTwitterによるログインができなくなりサービス終了

  • 自己紹介画像を簡単に生成できるというコンセプトのサイトを作成

    • 一時期こういう自己紹介カードが流行っていた。画像は編集が大変なので、何度でも編集可能にするサイトがあれば便利だと思って作る

    • 何人かなさけで使ってくれるも、当然継続利用は0

  • 教師のためのランダム指名アプリ

    • 教員が生徒を当てる際に前の人ばっかり当てられることに不平等を感じて作成

    • これはもっとブラッシュアップすれば普通に有用ではないかなと少し思ってる

    • もっと席を柔軟にカスタマイズ可能にして、セル表示もわかりやすくしたら使ってくれる人はいそう


他にも有料noteの評価掲示板を作ってみたりした。
これは結構ユーザーがついたが、有料化できずドメインの使用料が毎年かかるのが嫌になって閉鎖。

色々サービスを作っていくうちに「エンジニアになってもっと自分が理想とするwebアプリを作れるようになりたい」と強く感じるようになった。

この時に足が悪くなってしまい、立ち仕事ができなくなったこともあり会社を退職。

会社を辞める際には今後の生活などが不安だったが、全然余裕だったし今はエンジニアになってよかったなと心から思う日々だ

半年ほど療養生活をして、25歳の時にエンジニアとして未経験中途転職。

Paizaを頑張ってやっていてAランクを取っていたため、Paizaで転職活動を行った。

ポテンシャル採用ということで運良く入社させてもらえた。

入社して最初の案件はJava、フレームワークはSpring Bootだった。

いままでVueでJavaScriptしか学んでこなかった未経験にはJavaのクラスもSpring BootのアノテーションによるDIも全く理解できず何も役に立たなかった

フロントはReactで作られていたのでギリ理解でき、簡単な文言修正やフロント側のロジック修正を少しづつ行っていた

一度mainブランチにforce pushしてしまうという犯罪行為を犯してしまったこともある(このときはローカルに最新のmainをfetchしていた人がいたため、すぐに戻してなんとかなった)

何もできない自分を育ててくれた社長、厳しいレビューをしてくれた上司には本当に感謝

あとこの会社はリモートワークだったので最初は質問の仕方が分からないことがめちゃくちゃ辛かった。
未経験エンジニアには出社を強くおすすめする。

この会社は2年間所属したあとに転職し、今に至る。

エンジニアのイメージ


自分がエンジニアになる前のエンジニアのイメージはこんな感じ

  • 見た目を気にしない

    • お風呂に入らない

    • 服を着替えない

    • 臭い

    • 髪を切らない

  • ピザばかり食べている

  • 太っている

  • 人生での楽しみはプログラミングのみ



時間は有限なので、人は何かを得るには何かを失わないといけないと思っている

普通の人が身だしなみを整えるような時間をすべてプログラミングに当てるような本物のエンジニア像みたいなのが自分の中にあって、圧倒的にできる人はそういう人なのかもと今でも思う

あと自分もそれくらいプログラミングを好きになって、プログラミングだけしていたら楽しいと思えるような人になりたいという憧れもある

とはいえ、コミュニケーション能力のほうが働いている上では大切で実際に上記のような人物がいても業務において活躍できるかというとそんなこともない(特にSIerでは)


振り返ってみて


今でも自分のサービスを作ってたくさんの人に使ってもらいたいなという気持ちは強い

ただ、色々サービスを作ってみて学んだのは

  • ランニングコストがかかるサービスは継続が難しい

  • 作ってもそもそもニーズが異なる可能性は高い

ということ。

あと、「エンジニアとしてやっていけるかな?」みたいな不安は毎日のようにあったが結局なんとかなってるので継続こそすべてだなと

エンジニアになりたい人がいたら自分はまず必ずこう伝える

「自分が作りたいと思うサービスをまず作ってみて」

「それを完成させられたらエンジニアになれるよ」と

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