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ITリテラシーってなんだ

ITって言葉自体がすでにITっぽくない。IT風。でもすぐに慣れていく。だってみんな使ってるんだもの。そしてなんとなく、よく伝わる気になるんだもの。

1日を46時間にする方法。全部まるっとITの文脈で考えるので、どうしても浮かんでくる「ITリテラシー」という話。

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リテラシーはなんのために

ヒト以外の生きものは世代から世代へと情報を伝えるチャンネルをほぼ遺伝だけに依存している。…(中略)…しかし、ヒトという種はどういうわけだか、世代間情報伝達のために、遺伝以外のチャンネルを発展させてきた。1)

引用ってカッコいいよね。だって『』つけるんだから。noteだとカッコつかないけど。

リベラルアーツぽくさを出したかったのではなくて(出したかったけど)、ITリテラシーって単体だと成立しないって話。ITリテラシーはだいたい「日々の暮らしの中で不便なく、デジタル的ななにかを使ってやりたいことをするための能力」という形になるのだけど、世のなかのあまねく何かはすべて押しなべて

y = f(x)

でいいので、肝になるのはインプット x とか処理 f。これがヒトとヒトでない生きものとを分ける。意味ある x、価値のない f 、見極めに必要なのは情報リテラシー。

それをデジタル的ななにか(ツールとかガジェットとかサービスとか)で効率化させていくとき、必要になるのがITリテラシー。言葉遊びでなくて、ITリテラシーって単体だとなんの価値もないよね、でも情報リテラシーだけももう成立しないんじゃないのっていう確認。

46時間とリテラシー

1日を46時間にするために必要なのはリテラシー。だって無駄なことしてたら時間減っちゃうんだもの。再利用されないライブラリは無駄の極致。昔ながらのモジュール分割とかにこだわらないで使いきり。毎回コード書きゃいいって話ですよ。腕も上がらないけど。

扱うのはつねに情報。なので情報が合目的か、それが効率的なものか。正しいかどうかを批判的に評価できて、役立てられて、周りへの影響も考えられる。それを可能にするのが情報リテラシー。なんだそれ。身につけてるの超人なんじゃないのか。概念上の存在か。

情報リテラシーは現代のリベラルアーツの構成要素。やっぱりリベラルアーツって憧れるね。

だから何かというと

46時間のためにもリベラルアーツ追い人としても、(情報リテラシーを含んだ)ITリテラシーに向き合わないといけないね、というお話。

引用文献

1) 戸田山和久. 教養の書 THE BOOK OF ENLIGHTENMENT. 筑摩書房, 2020, p.26 

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