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人間という社会的動物の美しさ。~海が見える街に別れを告げて~

アリストテレスは『人間はゾーンポリティコンである』(ポリス的動物)といった。つまり、社会を形成して社会のなかに生きるというのが人間なのである。

先日、大学卒業、そして大学院進学を機に4年間を過ごした海が見える街を離れた。すっかり疲れ切った僕がここに辿りついたのは、偶然だけではなく、「摂理」と呼ばれるものなのかもしれない。どん底まで落ちた自尊心、社会的疎外感、未来への不安で始まった大学生活も4年間を通して、学び、悩み、何百冊の本を読み、そして人と出会い、今は自分が一人の『ゾーンポリティコン』として生きているように感じられる。『孤高』に憧れ、裏切られることを恐れ、『ゾーンポリティコン』になることへの疑念と葛藤と、それへの反発をする時期は自分の中では終わったように思える。今の自分でいいのだ。もちろん、最初に抱いた疎外感や鬱屈とした思いや成長したいという欲求が消えたわけではない。ただ、今のままの自分でいい、いや今の自分がいいと思えるのだ。

別れを伝えることが多い時期である。それと同時に、思いを伝えたり、伝えられたりすることが多い時期でもある。思いを実際に言葉にしてみると、他の人々に対して、こんな思いを抱いていたのかと驚くこともあるし、あの人は自分に対して、こんな思いや感謝を抱いてくれていたのかと驚くこともある。そして、そういった思いや感謝が相互作用のなかで生まれたということを本当にうれしく、そして不思議に思う。

日々の喜びよりも苦しみの方が多いタスクをやりこなすことによって得たものや見えてきたものは、それと同じ熱量で行っている人々の姿やそこから得られる学び、サポートしてくれる人の多さへの驚きと感謝、自分と同じ境遇にある人をサポートすることへの喜びであった。そして、その一連の相互作用は美しいと感じた。我々『ゾーンポリティコン』は、自己と他者を超越したものを築きあげることができるのである。僕は、「ありがとう。」といって、ぎゅっと抱きしめられたあの感覚を僕は忘れない。

「さようなら」というよりも、「また会おう。」という方が多い。日本人的な、また会おうといって本当は会わないといったスタイルは好きではない。僕は時折、この海が見える街に人間という社会的動物の美しさを求めて帰ってくるだろう。だから、僕は「また会おう」と言う。

新天地に対して、不安がないわけではない。ただ、新たに出会う彼らが『ゾーンポリティコン』であることは変わらないし、僕もそうだ。人間と言う社会的動物の美しさを感じられないことはないだろうというどこか安心感と期待に似た思いを抱いている。

次の街も海が見えるそうだ。


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